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梨木香歩『f植物園の巣穴』を推す

 投稿者:園主  投稿日:2009年 6月 5日(金)19時19分23秒
   みなさま

本日は、たいへん素晴らしい小説をお薦めしょうと存じます。それは、以前、その年の話題作であった『家守綺譚』(新潮文庫)を絶賛させていただいた、梨木香歩の新刊『f植物園の巣穴』(朝日新聞出版)でございます。

本作『f植物園の巣穴』は、夏目漱石の『夢十夜』や内田百間の『冥土』などの夢文学に直接的に連なる、正統派の日本の幻想小説でございます。『家守綺譚』が、私にとってはオールタイムベスト級の傑作でしたので、『f植物園の巣穴』もその装丁の類似性から、同種の幻想小説であると予想し相当の期待を寄せていたのでございますが、とは言え正直なところ、『家守綺譚』を超えるほどのものまでは期待しておりませんでした。ところが、あにはからんや『f植物園の巣穴』は、『家守綺譚』に優るとも劣らない、期待以上の傑作だったのでございます。
あえて注文をつけますならば、幻想小説としては、あまりにまとまり過ぎ、やや理に落ちたのではないかと思える点で、それほど完成度は高く、最後は収まるべきところにすべてが収まり、およそ過剰性や余剰というものが無いというのが、難点と言えば難点なのでございます(一方、『家守綺譚』にあったBLの「今風」が無く、やや「大人向け」になっている点は、私にとっては、プラス材料でございました)。

ともあれ、私の本年のベスト1小説は、これで決まりだと存じます。
みなさまにもお楽しみいただけば、これにすぐる喜びはございません。




では、本日はこれにて失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

日本推理作家協会理事長人事と笠井潔

 投稿者:園主 & ホランド  投稿日:2009年 5月24日(日)12時21分17秒
  園主  一昨日(23日)の読売新聞朝刊に『東野圭吾さん、日本推理作家協会理事長に』ってあったな。大沢在昌理事長の任期満了にともなって21日に理事会が開かれ、新理事長に選出されたそうだ。

ホランド  東野さんは、いま一番の売れっ子作家だし、カッコいいし、いろんな意味で適任なんでしょうね。もともと本格系の作家だけどが、いまは広くエンターテインメントの王者といったところですし、『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞し、ガリレオシリーズはドラマも大ヒットして、一般の認知度も極めて高い。
 こないだ読んだ、佐野洋さんの『ミステリーとの半世紀』にも、協会の理事長には対出版社的な力が求められるというようなことが書かれていましたから、やはり協会を代表して、出版社に物申せる人気作家でないといけないみたいですね、かつての乱歩や清張みたいに。

園主  それでも、昔なら中島河太郎とか山村正夫といった古株功労者が理事長になれたんだろうけど、この出版不況の現状からすれば、そんな余裕はもうないだろうな。
 それにしても、笠井潔ファンとして見るならば、今回の理事長人事は、一昨年だったかの「『容疑者X』論争」(「本格」論争)を、日本推理作家協会の主流派が、遠目にどう見ていたのかを、はっきり示したも同然のものだと思うな。まあ、当時だって、理事長を辞めたばかりの逢坂剛が、論争そのものを、下らないとするような短文を公表していたから、その周辺がどんなふうに考えていたかは、容易に推察できたんだけどな。

ホランド  あの、本格村の主導権争いの内紛とも言える不毛な論争に対し、冷ややかな傍観に撤して巻き込まれなかった東野さんに、協会理事会も、ある種の頼もしさを感じ、信頼を深めたというのは確かでしょうね。

園主  かつて『理屈なら何とでもつけられる』と嘯いたことさえある理論家笠井潔の土俵にノコノコと上がって、不用意に論争をやるなんてのは、愚の骨頂だからね。ただ、それでも、自分の小説を「環境管理社会の小説的模型」なんて言われ、弱者を食い物にする新自由主義の権化的な作品だなんて非難されれば、普通なら心穏やかではいられないし、文句のひとつくらい言いたくもなるのが人情だ。

ホランド  それを無視黙殺しきることで、「格」の違いを見せつけた東野さんの賢明さは、笠井さんの口先政治屋ぶりを疎んじていた人たちには、頼もしいものと映ったでしょうね。

園主  それに、このところの協会の理事長は、北方謙三・逢坂剛・大沢在昌と、冒険小説・ハードボイルド系の人が続いたから、基本的には本格系と言ってよい東野さんが理事長になるのは、バランス的にも好ましいということになるだろう。
 そんなわけで、本格ミステリ業界内はもとより、ミステリ業界全体の中ですら、笠井潔の立場は、片隅に追いやられつつあると言っていい。少なくとも、笠井潔の取り巻き作家や評論家たちは、今回の理事長人事にある種の脅威を感じているだろう。でなきゃ、単なる鈍感バカだ。

ホランド  となると、笠井さんの一の子分と言ってよい法月綸太郎とか小森健太朗は、どうするんだろう?

園主  今さら「君子、豹変す」というわけには行きにくいだろうけど、綾辻行人、我孫子武丸、二階堂黎人あたりなら、法月や小森のように笠井と公に徒党(探偵小説研究会)を組んでるわけじゃないから、じわじわと距離をおくくらいのことはするだろうな。綾辻なんか、笠井の探偵小説論について「批評の面白さとは、こういうことだったのか」なんて賛嘆の言葉を寄せてた、笠井理論の受益者のくせに、「『容疑者X』論争」については、賢く沈黙したままだしな。――ま、公には、ってことだろうけど。

ホランド  つまり、園主さまが以前から指摘なさっていた、笠井丸からの鼠たちの脱走が、さらに加速するだろう、ということですね?

園主  当然そうなるだろう。笠井丸の沈没はもはや明らかで、いくら笠井さんが意地なって頑張っても、もう手遅れだよ。ここで意地でも巻き返しを図ろうと、内部の結束固めなんかやったら、良くてさらに仲間を減らすだろうし、うまく結束を固めても、その行く末は「連合赤軍・総括殺人事件」の再演でしかないだろう。実際、『容疑者Xの献身』を高く評価した探偵小説研究会所属の身内評論家に向けた笠井さんの非難は、本格ミステリ界における革命戦士たるの自覚を欠いた者たちへの「総括」そのものだったからね。まあ、ミステリ業界なんて、所詮は口舌の徒の世界だから、笠井さんに何と非難されようと嫌な気分を味わうだけなんだけど、新左翼セクトの理論家だった40年前の笠井さんだったら、矢吹駆の学生運動時代を描いた『熾天使の夏』にも描かれていたような、文字どおり暴力的なリンチ総括も辞さなかっただろうな。なにしろ「自分も彼ら(連合赤軍メンバー)と同じようなところにいた」んだという衝撃によって、笠井潔は転向し、『バイバイ、エンジェル』『テロルの現象学』の作家・評論家になったと、自身なんども語っているんだから。つまり、「『容疑者X』論争」の時に「昔だったら、総括(リンチ)ものだぞ」くらいのことが、笠井潔の頭を過っていたとしても、なんの不思議もないだろうということだ。

ホランド  結局笠井さんは、自身の過去を『バイバイ、エンジェル』や『テロルの現象学』を書くことでは、総括しきれなかったということですね。だから、実際の行動では、同じことを形を変えながら繰り返してしまう。

園主  人の本質的な部分、骨がらみの性格、言い換えれば「業」とでも呼ぶべきものは、頭の良さなんかでは乗り越えられない。だからこそ、宗教は「帰依」することを求め、自我への執着を禁じたんだろう。自分の頭で考えて解決しようなどというのは、ある意味では度しがたい傲慢。自分の目だけで、自分の目を見ることが出来ると本気で主張するたぐいの、傲慢なんだからな。

ホランド  まあそれでも、神や仏に頼らずに、知性一本で切り抜けようとするのが、哲学や思想なんでしょうけどね。

園主  ともあれ、落廃の憂き目を見たも同然の笠井潔を、今になって賢しらに、陰であれこれ言うだけなら、そこらのミステリ作家や評論家にだって出来ることだろうから、ここでは「日本一たくさん『バイバイ、エンジェル』の初版本を持っている、古い笠井潔ファン」として、あえて無理にでも、笠井潔を擁護してみようかな(笑)。

ホランド  そんなこと出来るの?(笑)

園主  例えばだな、東野さんは対出版社的に顔が利くというけど、笠井さんだって、文春や新潮や講談社といったメジャーどころだけじゃなくて、朝日新聞出版や作品社、原書房や南雲堂とかにも、顔が利くぞ。笠井さん自身、ホントにいろんな出版社から本を出してるし、だからこそ探偵小説研究会所属の身内評論家に仕事を分け与えることで、政治的影響力を行使することも出来たんだからな。――ああ、そうそう情況出版とかもあったな。

ホランド  たしかに、笠井さんと東野さんの本は、売れ行きを比べるのも申し訳ないような感じですけど……。でも、だいたい笠井さんの本って、ほとんど初版どまりでしょ? 特に評論書は。それに、朝日新聞出版以下、顔が利いてもしょうがないとこばかりですよ、少なくとも文芸としての営業的には(笑)。そのあたりだったら、二階堂黎人とか日下三蔵なんかのほうが顔が利くんじゃないですか。少なくとも、営業を考慮した企画を持ち込んでくれる。

園主  そこまで言うかあ……。たしかに笠井さんは、顔は利かないかも知れないけど、押しは強いぞ!

ホランド  って言うか、そのあたりの弱小出版社から出てる笠井さんの本って、みんな笠井先生から出版を押し付けられた本ばかりじゃないですか。それだったら、日下さんのミステリアンソロジーや二階堂さんの企画本のほうが、ふつうに売れるでしょう。『探偵小説は<セカイ>と遭遇した』とか『探偵小説論』とか、まだ続いてる『ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つか?』とか、古いところでは作品社から出した『笠井潔伝奇小説集成』とかなんて、もう出すだけ出版社は損するって感じですけどね〜。ボクだって、そんなの全部は買ってないし、そこまで全部、定価で買って読んだり蒐めたりしてる人なんて、園主さまと、はらぴょんさん以外、見たことも聞いたこともないですよ(笑)。

園主  そうかも知れないけど、笠井さんが売れない評論書の刊行を、弱小出版社に押しつけているなんて、そんな見てきたようなことを言わないで欲しいな。
 具体的に書名をあげると、いかにも説得力があるけど、たしか笠井さんも、限界小説研究会の評論アンソロジー『探偵小説のクリティカル・ターン』(南雲堂)に書いてたとおり、売れなくたって出す意義のあることを認めた、有意の編集者が出したのかも知れないじゃないか。

ホランド  園主さまだって、さっきは自分で『笠井さんは、顔は利かないかも知れないけど、押しは強いぞ!』って、言ったじゃないですか(笑)。

園主  そこはそれ。――じゃなくて、それは、つい口が滑っただけで、そんなこと、これっぽっちも思っていません!

ホランド  ぶっちゃけ言っちゃうと、有意の編集者というよりも「主体性がなく、押し切られやすい編集者」というところでしょうかね。

園主  ボロクソだなあ。でも、笠井さんをはねつけるには、「人を人とも思わない」と作家から総スカンを食らうくらいの、骨のある反時代的な編集者が実権を握らないとダメだろうな。毒をもって毒を制す。でも、それはそれで、弊害もあるだろう。だけど今どき、そんな編集者はいないんじゃないか。

ホランド  もともとは東野さんとの比較(?)の話だったのに、東野さんはどっか行っちゃいましたね(笑)。

園主  大江健三郎と渡辺淳一の影響力を、単純に比較できないのと似たようなものだと思ってたもれ。

ホランド  南雲堂とか作品社とかの出版社名が出てくる時点で、笠井さんの負けという感じですけどね(笑)。

園主  弱小出版社には弱小出版社の使命がある、と思ってたもれ。

ホランド  さすがの東野さんも、そのあたりの出版社には、顔が利かないだろうなあ(笑)。

園主  利かない。売れっ子になる前だって、東野さんには縁がなかった。その点、あちこちに幅広く顔の利く笠井さんは、それだけで偉い!

ホランド  まあ、笠井さんで問題なのは、矢吹駆シリーズとかの、売れそうな小説は大出版社(文春、講談社)へ、売れそうにない「志の高い本」、つまり評論書なんかは弱小出版社へと、意識的に振り分けているところでしょうね。このあたりは、なるほど大江健三郎的と言えるかもしれません。そういえば、笠井さん、大江健三郎が好きですよね。

園主  ああ、それは気がつかなかったな。評論は売れないから、弱小出版社に押し付けているというのはわかってたけど、たしかに小説でも、出版社の大きさによって、力の入り方が違うよな。ホントに政治屋って、嫌になるほど力関係に露骨。「弱きを助ける」っていうような、男気(侠気)のかけらも無い……。
 残念だけど、嘘八百でも並べないかぎり、笠井さんの自業自得とも言うべき現状を擁護するのは、私の力量をもってしても無理なようだ。後は、笠井さんが自家宣伝したとおり『自業自得の潔さ』(『道』初版本あとがき)を示して、自身の本質的な問題点を直視剔抉するしかないんだけど、それが絶対にできない人なんだという現実を直視しちゃったところが私の悲劇であり、その悲劇のゆえに、誰よりも熱心な笠井潔ファンである私が、あえて笠井潔葬送派として剔抉係を演じなければならないことにもなっちゃったんだよなあ。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

キララを、探偵す。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 5月20日(水)22時47分38秒
   みなさま


ちょっと面白い発見をいたしましたので、早速ご報告させていただきたいと存じます。

ご存知、竹本健治に『キララ、探偵す。』『キララ、またも探偵す。』(共に文藝春秋)というシリーズ短編集があり、その主人公がセクサロイドとしての裏機能をもつ、メイド型アンドロイドのキララであることは、ここ「花園」の閲覧者のみなさまなら、すでにご承知ことかと存じます。――が、そんなキララが実在していることが判明した、と申し上げたら、どうでございましょう?
――残念ながら、もちろんそんな楽しい事実は無いのでございますが、それに近い現実を発見したのでございます。


以前、Keenさまが、ラブドール(昔の言い方なら、ダッチワイフ)の開発史と現状を紹介したユニークな書物『南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで ―― 特殊用途愛玩人形の戦後史』(高月 靖・バジリコ)を、『キララ、探偵す。』に絡めて紹介し、『南極1号伝説』の表紙に使われたラブドールの顔写真が「キララに見えた」というようなことを、ここ「花園」に書いていらっしゃいました。
この表紙につかわれていたラブドールは、同業界でトップシェアを誇るオリエント工業の製品なのでございますが、昨日ひょんなことから、そのオリエント工業のラブドールのラインナップに、そのものずばり「キララ」(プチジュエル・シリーズ)という名前の製品があるのを、確認したのでございます。

この「キララ」、わりあい最近発売されたものあるのは確かでございますが、いつ頃から販売されている製品かは正確には未確認で、竹本健治のキララを意識してのネーミングであったのか否かも、現時点では定かではごさません。しかしながら、私が調べましたところ、少なくとも竹本健治の方は、オリエント工業というメーカーはもとより、キララという名前のラブドールの存在も知らなかったようでございます。

――さて、ラブドール「キララ」の、ネーミングの真相や、いかに?

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

すべては私のせいなのです。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 5月16日(土)18時27分52秒
  みなさま、相変わらず暢気にサボらせていただいておりますが、私、元気にやっておりますので、どうぞご安心くださいまし。
本日は、Keenさまがお書き込みを下さいましたので、一時的に復帰でございます(笑)。


 Keenさま

お書き込み、ありがとうございます。また、たいへんご無沙汰いたしました。

私の予想では、『幻影城の時代 完全版』が、日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞するはずだったのでございますが、結果的には見事にダブル落選をしてしまいました。

これは一般的には、協会賞の選考委員や本格ミステリ作家クラブの投票メンバーの、鑑識眼の無さに由来するものと考えられるところでございましょうが、じつのところ、その真相は、私の存在に深く関わっているのでございます。――つまり、私が執筆者の一人として関わっておりましたために、プロの先生方に敬遠されるという、我が愛する笠井潔なみの処遇を受けた結果なのでございますね。アマチュアの世界では歓迎されたものであっても、プロの方は、中身以前のことをまず重視なさる。それが、プロ(営利)の世界なのでございます。まして今は、私が活動を休止しておりますので、鬼の居ぬ間に、ということだったのでございましょう。ともあれ、罪もない『幻影城の時代 完全版』関係者の各位には、たいへん申し訳ないことをしたと存じます。

――というのは、もちろん冗談ではございますが、一抹の真実を含んだ冗談とご理解いただければ、幸いに存じます(笑)。



では、またひと眠りさせていただきます。(ρ_-)ノ
 

本格ミステリ大賞決定

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 5月15日(金)09時04分29秒
  あれ〜、幻影城の時代は〜?(T_T)  

淳さまへ

 投稿者:園主  投稿日:2009年 3月 4日(水)23時38分43秒
  お気遣いはまことにありがたいものの、私の感想を忌憚なく申しますと「そんな細かいこと、いちいち気にするなよ」という感じでございます。
私が淳さまに期待しているのは、精神的にもっとタフになっていただくことでございまして、私に気を使っていただくことではございません。そんな私の期待に応えたいと思うのであれば、気の回らないことを謝罪するのではなく、私が安心してサボれるように、もっと頻繁に近況報告をするとか、私がオススメした本の感想を書き込むとかして下さいまし。こんなことで、いちいちオタオタされたのでは、こちらまで落ちつきませんから。

そんなわけで、淳さまが目指すべきは、例えば、新しいパソコンを買う買うと公言がら、その約束を3年経ってもまだ果たさず、いよいよパソコンが使えなくなっても「じゃあ、この際バカンスということで、しばらくサボらせてもらおう」なんてことができるほど、タフな人間になることなのでございます。つまり、男は『タフでなければ生きてはいけない。優しくなければ生きる資格はない。』(レイモンド・チャンドラー『プレイバック』より)でございますよ(笑)。
 

陳謝

 投稿者:  投稿日:2009年 3月 4日(水)21時20分49秒
  ★アリョーシャ

大変失礼しました…
もう既に、パソコンを購入されていて、
容易にレス出来る環境が整っていたと思っていたのです。
不躾な発言、重ね重ねお詫び申し上げます。

なお、この陳謝の書き込みにレスは不要です。
是非とも、この有意な機会にのんびりされてください。
 

10年目のバカンス

 投稿者:園主  投稿日:2009年 3月 4日(水)20時08分46秒
  みなさま、ここ「花園」の補強整備に関して、何の進展も見ないままに3月となってしまいました。まことに申し訳ございません。
この文章も携帯で書いており、ひととおり書き上げた後、パソコンに転送し、仕上げをほどこした後にアップするという手順でございます。


このところの私でございますが、車を運転して出かける時間が増えたとはいうものの、それ以外は以前と変わらず、ぼちぼち本を読み、映画を観るなどしております。ですから、文章を書こうと思えば、ネタがないというわけでもないのでございますが、本を読んだり映画を観たりして、そこから何かを得、なにかしら自身が高められたと感じられれば、それだけで満足し、それ以上あえて何かを書きたいという気持ちにまではならないのでございます。つまり、現在の私には、知的欲求は変わらずあっても、表現欲求が乏しいのでございますね。またそんなわけで、私にとりましては「表現ツール」以外の何物でもないパソコンの整備作業が、なかなか進まないのでございます。

たとえば、例の田母神 元幕僚長が、見るからに頭の悪そうな本を出して調子こいている様子や、たびたび新聞・テレビに話題を提供している阿呆内閣の行状にも、日本人として当然の忸怩たる思いを抱いてはおりますものの、それをわざわざ語るのも馬鹿馬鹿しいという気分でなのでございます。
昨日、山下和美の新刊『天才柳沢教授の生活』第27巻と、買い逃していた『不思議な少年』の第7巻を買い、先ほどこの2冊を読了いたしました。今回はどちらも全体に楽しめましたが、どちらかと言えば、苦みのつよい『不思議な少年』のエピソードのほうが、今の私には強く訴えたようでございます。不思議な少年のしばしば口にする「人間ってやつは……」というため息にも似た言葉は、今の私にとりわけ馴染むものなのでございます。ですから今の私は、さながら不思議な少年のごとく、眉をひそめ、一歩ひいた位置で人間を眺めております。

『不思議な少年』第7巻の掉尾に収録された第29話「ヨコハマ・リリィ」
――戦後の焼け跡に立つ、お姫様に憧れる変り者の少女娼婦リリィは、進駐軍米兵の姿で現れた不思議な少年を、待ち続けた「私の王子様」として恋しますが、やがて不思議な少年が、永遠にみつからないであろうものを探し続ける旅人であることを直感して、自分と結婚することでその旅を終わらせようと持ちかけます。しかし、不思議な少年は、その申し出を断ったうえで「でも、いつか…、またここに戻ってくる」と約して旅立ち、以降リリィは、不思議な少年の帰還を待って、その場所で街に立ち続けました。そして、老婆になったリリィの前に、とうとう不思議な少年は帰ってまいります。


 リリィ   「捜しつづけていたものは、やはりみつからなかったでしょう?」
 不思議な少年「(※ 僕があの米兵だと)気づいていたんだね」
 リリィ   「いくら年格好を変えても駄目よ。だって…瞳が同じだもの。
        何十年も待ちつづけているうちに段々わかってきたの。
        あなたは永遠の旅人だってこと。
        そして…、あなたはみつからなくても、永遠に捜しつづける人だわ。
        ―― 行きなさい。」


リリィは、不思議な少年が再会をさんざ躊躇したあげくに意を決して姿を見せたのだということを、察していたのでございます。
不思議な少年は、戦後の焼け跡で再会を約した際、別れ際に託されていたリリィの大切なオルゴールを返すと、ふたたび時空の彼方へと旅立っていきます。そして残されたリリィのほうは、オルゴールの懐かしい音色にしばし耳を傾けたあと――。


  「さてと、元気出して行こうかね…。あの人と違って、私にはゴールがあるんだから!」


そう独りごちて、元気に歩みはじめるのでした。


――ですから私も、いつまでも不思議な少年を気取ってはいられません。しばらく静養させていただいたあとは、また元気出して行かなければならないのでございます。





 KeenJr.@時雨詩亜さま

こんにちは、はじめまして

こちらでは、初めまして。「アレクセイの花園」へ、ようこそおいで下さいました。

まずは、ご挨拶の遅れましたことをお詫びさせて下さいまし。そして、これに懲りず、末長くおつきあいいただければ、幸いと存じます。
言うまでもございませんが、親子二代に渡ってこの掲示板をご利用ご愛顧いただけますことは、私にとって何よりもうれしく誇らしい、管理人冥利に尽きることなのでございます。


さて、ご投稿いただきましたショートストーリーでございますが、まず言えることは、中学生になられたばかりの方の御作にしては、大変達者な文章だということでございます。少なくとも、お母上が、ここ「花園」でのリレー小説に参加して、最初に書いて下さった時よりも、お上手なのではないかと存じます(笑)。

じつは私、一年ほど前から東京在住の中学生男子と、月に一度ていどのペースでメールのやりとりをしております。彼も、とうてい中学生とは思えない達者な文章を書く、とても頭のよい方なのですが、「アレクセイの花園」でおおっぴらにやりとりをする覚悟はまだ持てないとのことですので、個人的にメールをやりとりすることになりました。
彼はすでに『虚無への供物』や『匣の中の失落』を読んで、気に入ってくれておりますし、舞城王太郎はお気に入り作家でございます。今は、中井英夫の短編集『幻戯』を楽しみつつ『トグラ・マグラ』に挑戦しておられます(笑)。
中学生が、少ないお小遣いのなかからこうした本を購入し、読んで下さるというそれだけでも十分にありがたいことなのに、そのうえ的を射た感想を聞かせて下さるのですから、こんなにうれしいことはございません。素直な向上心を持つ若者に接することができるというのは、まさしく天佑とでも呼ぶべきものでございましょう。

同様、時雨さまのショートストーリーも、たいへん楽しく興味深く拝読いたしました。全体に、夢独特の不思議な非現実感や不連続性が、うまく表現できていると存じます。これはたぶん、変に辻褄をあわせようせず粉飾をほどこさず、素直に夢を文章に移そうとなさったからでございましょう。むろん、それ自体、決して容易なことではないのでございます。

それにしても、特に素晴らしかったのは「口紅のケースに差し込まれていた親指」のイメージでございます。
小説にするならば、指は人差し指で、蓋を開けると爪先がこちらを向いていなければならない、といったこともございましょうが、ともあれ、口紅のケースに指が刺さっているというイメージは(前例の有無まではわかりませんが)、ミステリ作家や幻想小説家なら、きっと使ってみたいイメージなのではないかと思いました。また、そう思わせるだけでも大したものでございましょう(私は、麻耶雄高のデビュー作『翼ある闇』に登場する、切断された足首の入った一足の靴を連想いたしましたが、イメージの洗練度では、指の差し込まれた口紅ケースの方が上でございましょう)。


今後も、内容にこだわらず、あれこれお書き込みをいただければ、幸いと存じます。以後おつきあいの程、よろしくお願い申し上げます。



 Keenさま

自子紹介

Keenさまの子煩悩ぶりが窺われるフォローでございましたね(笑)。

それにしても、子供の成長というのは感動的でございます。独身の私に自分の子供はおりませんが、だからこそディスコ・ウェンズデーの気持ちが、少しはわかるような気がいたしました。

それから、Keenさまにお願いでございますが、詩亜さまには(マンガも含めて)良い本をたくさん与えてあげて下さいまし。特に今回のオススメは、前説でふれましたご存知 山下和美の傑作シリーズ『天才柳沢教授の生活』と『不思議な少年』。
若い詩亜さまには渋すぎて、ちょっと難しいところもあるかも知れませんが、いずれ数年中には読むべき本だと存じます。


ともあれ、Keenさまからも詩亜さまに、肩肘張ることなく気楽にお書き込みいただきますよう、「花園」の先輩としてご助言いただければと存じます。



 さま

星を見ないで地べたを生きる。

上のお書き込みにつきましては、メールでのレスに書かせていただきましたとおりで、人間には何かをなさねばならないという義務はありませんし、成人君子になる必要もございます。また、ゲバラやヴェイユのような非凡な人間にならなければならないというようなことも無いのございます。
自分の人生を誠実に生きられればそれで十分であり、そのうえで、他人を喜ばせることができたり社会に貢献したりすることができれば、それは幸運なことであり喜びなのでございます。ですから、あまり欲張ったり焦ったりして、自分で墓穴を掘らないようにして下さいましよ(笑)。

淳さまには、『不思議な少年』第7巻収録、第27話「ペーター・ユルゲン」をオススメしたいと存じます。


闇の終わり

さて、職業訓練学校でコンピュータ・プログラミングを勉強なさるのでございますね。

すでにオジサンの域に達しつつある方には、なかなか大変な勉強かと存じますが、「アレクセイの花園」の技術顧問になって、まずは私に貢献できるようになって下さいまし。世間一般への貢献は、そのハードルを越えてからでもよろしかろうかと存じます(笑)。



 ホランド

――というわけで、もうしばらくは羽を伸ばしてもらって結構だ。「アレクセイの花園」の本格的再開を心待ちにして下さっている方には申し訳ないんだけれど、この際、10年目の浮気…じゃなくて、10年目のバカンスということで、いましばらくは見逃してもらおうじゃないか(笑)。





それではみなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

闇の終わり

 投稿者:  投稿日:2009年 3月 3日(火)22時10分10秒
  ★アリョーシャ

大体、ローズ・ガーデンの管理者が定期的な剪定(せんてい)を怠ってるとは何ぞ何ぞ!!
はぅ、私メも近況報告途絶えてましたね、、、、すみません…


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そそ、東京都の職業訓練校に入るにも一応試験なるものがあるんです。今年は大不況のあおりも受けまして、失業者が急増。倍率は二倍と大変な難関(テヘっ)となりましたが、私メ見事に合格!とあいなりまして、今年の四月から「ネットワーク・プログラミング科」なる名称のクラスでパソコンを勉強することになりました。

既にjavaだc言語だ、SQLだのとワケ分からん書物を取り寄せてはプログラミング言語を勉強していますが、まあ(個人的に)難しいこと難しいこと。一年間ミッチリ…大変ですコレ。

まあ幸い(?)、ワタクシ立派にドタマ障害者二級をやってるもんで、「障害者枠で就職出来たら(ニヒヒ)」と悪い笑みで楽天的に将来を見据えています。←ホントに狂っとるんか疑わしい…。さてさて、この大不況を「持たざる者」が独りで生き抜くことが出来るのでありましょうや!?

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「花園」は「百花繚乱」(でしょ?)。
ってんでー、ここで是非是非紹介したい音楽作品があるんですよ。
嘗て大友良英を率いて、前衛シーンを牽引していたGround Zeroの『plays standards』です。下記はミクシィのレヴュー。

「これを聴いて感興を覚える人間には、江原啓之のオーラが、蟲の如く湧き出ずる醜貌を診ることが出来る資質を持つ。 七転八倒の傑作。」

なんか意味不明ですけど、要するに(?)スタンダードとして認知されてる曲をポスト・フリーに大友を筆頭に、百戦錬磨の達人たちが演奏したらトンデモナイ作品に仕上がってしまったということです。





★keen母さま&KeenJr.@時雨詩亜さま



なんかいいですねー、親子のやり取りが微笑ましいです。
なんていうかなああー、早熟の才能って、
「何者かである」と過信して生きてきた勘違い男からすると、
いい歳(32)して中学生にとってもジェラゥスです。
 

自子紹介

 投稿者:Keen@母  投稿日:2009年 3月 1日(日)00時08分36秒
  あのー、本人が書き忘れているので追記しますと、「時雨」は「トキサメ」と読んで頂きたいようです。断り書きを入れないと、麻生さんはともかく、普通は「シグレ」って読んじゃいますよねー。
Keen Jr.のハンドル「時雨詩亜」は「トキサメ シア」でお願い致します。

それと、園主さまはお気づきでしょうが、詩亜の創作には舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』の影響もあるようです。が、詩亜はこれを読んでいません。私がちょっと梢ちゃんの話を聞かせただけだったのですが、相当印象が強かったものと思われます。
なんとなく京極夏彦調も感じられますが、実は、長じてからの詩亜が書いたものをきちんと読むのは、初めてに近いです。こういうのを書くようになったのか……
小学校低学年の時には平仮名で園主さまと文通をしていた詩亜も、年齢が二桁に近づいた頃からのブランクを経て、ついに「花園」デビューしました。現在はチューボーです(あ、女の子ですけど)。

詩亜の亜は亜愛一郎の亜だっ!
(※このハンドルは、本人が亜愛一郎シリーズを読む前から使っています。暗合の子は暗合?)
 

こんにちは、はじめまして

 投稿者:KeenJr.@時雨詩亜  投稿日:2009年 2月26日(木)19時14分55秒
  初めまして、Keen Jr.こと時雨詩亜です。
今日は初投稿なのですが、私が書いたSSを投稿させていただきます。
ある日の昼寝中に見た夢なのですが、自分でも何でこんなことしてるんだ?という部分が多すぎて、とりあえず書いてみたものの内容が把握できずにいる部分もあります。
題名も決まっておらず、どうしようかなあと考えたりもしていますが。


振袖を着て、髪を高く結い上げた女性が、映画を見ている。どうやらラブロマンス物のようだ。
目の前の大きなスクリーンには、綺麗な女性と男優が恋愛劇を展開している。


その映画も、しばらくすれば終わる。映画が終わると、女性客の多くが顔を赤らめて感想を言い合っている。
振袖の女性は、終わってもまだ暗いままの劇場をゆっくりと歩き、出口へと歩を進める。

しばらくすると、忘れ物が無いかどうか調べている劇場のスタッフが、一つの忘れ物を見つけた。


「あら?口紅を忘れている人がいるのね」


本来紅や橙の色がついているべき場所。
そこには誰のとも分からない親指が刺さっていた、とそれを見つけた女性は証言したそうだ。




ある日、刑事と警部がとある女性の家を訪れていた。その女性は、親指が入った口紅が落ちていた席に座っていたという。
女性の家は大きく、玄関から中に入ると真っ先に二階へ続く大きなうねった階段と、埃で汚れた古ぼけたシャンデリアが眼に入る。
彼女は、黒い振袖を着ている。顔立ちはすっきりと整っていて、美人と形容するに相応しい。


「貴女は、何か知らないんですか」

「知りませんわ。それにしても。私が犯人で口紅の中に殺した人間の親指を入れて捨てたとおっしゃるの?」

「その可能性も捨てきれないでしょう」

「おかしなことをおっしゃるのね。私が犯人なら、そんな分かりやすいことはしませんわ」

「ええそうでしょうね。でも気が動転していて正しい判断力をもてなかったという場合だってありますよ」

「知っているわ。犯人は楽しみたかったんじゃないかしら」

ふふふ、と女性が笑う。
刑事と警部は怪訝そうな顔をしている。

「案外この指の持ち主は、私かもね」

「でも貴女の指は10本ともあるでしょう」

「幻覚かもしれないわ。もしかしたら誤魔化しているのかもね」

やはり刑事と警部は怪訝そうだ。女性はつかみ所のない口調で、揶揄するようにしている。
す、と女性は身体が沈み込むような柔らかいソファから立ちあがり。軽快な歩調で階段を登っていく。
二人が何だ、と顔を見合わせたとき、女性が声を出した。


「あら、ここにも指が落ちているわ」



あーあ かのじょはまたゆびをうしなってしまったのね





深夜だろうか。カーテンを閉めずとも外は暗いようだ。その中で、“私”が今までのことをテレビで見ている。
女性が呟くと、“私”はテレビを消し、身体に巻きつけていた毛布を手に抱える。

そして、立ち上がる瞬間、“私”は見知らぬ男性となっていた。
“私”だった男性は、部屋を出て廊下をゆっくりと歩いている。そして、一度部屋に入り、扉を閉めた。
が、一人暮らしのはずなのに扉の外から物音がする。男性は“私”の意思とは裏腹に扉を開けて再び外へ行く。

するとキッチンの方に淡い光が燈っている。男性は、少し速い歩調でキッチンの方へ駆けていく。

そして、男性はキッチンへ着くと、やわらかい微笑みを浮かべる。



突然意識が浮上する。ようやく“私”が現実で目覚めたんだ。けたたましく鳴り響く目覚ましを叩いて止める。
小さな古臭いアパートの一室に、“私”は住んでいる。

すっくと起き上がり、ぼさぼさの前髪をオールバックのように後ろに撫で付ける。部屋をうろうろしながら思う。



あの男性になった“私”は、あの光に何を見たんだろう?小さなキッチンを入り口から覗き込む。
ここに淡い光があったんだろうな。でも“私”の家のキッチンは大分違うけど。
冷蔵庫を開け、外国産のミネラルウォーターを取り出し、キャップを捻って口をつける。

寝ぼけた頭で小さな部屋をうろうろとしながら着替える。
ふと顔を洗面所の方へ目を向けると、ワックスやブラシの傍に口紅ではないが、リップクリームが無造作に転がっている。


これを開けたら、“私”はあの夢の中で光を見ることができるのだろうか?





嬉々として蓋に手をかける。




この“私”というのは、時雨です。色々と最近読んだ本の内容がちらちらと見えていますが・・・(たとえば“私”が住んでいる『古臭いアパート』というのは三浦しをんさんの風が強く吹いているの竹青壮、など)

いつか感想をいただけたら嬉しいです。
では、また。
 

 ストリブリング・クイーン・乱歩

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月22日(日)13時27分14秒
 

    ストリブリング・クイーン・乱歩


                             田中幸一


※ 『カリブ諸島の手がかり』の内容とオチに言及します。未読の方はご注意下さい。

 SRの会が生み出した狂歌に「この味が、いいねと乱歩が言ったから、サキ、ダールまでミステリのうち」というのがある。作者は失念したが、折に触れて思い出す、掛け値なしの傑作である。
 今回、河出文庫入りしたのを機に、T・S・ストリブリングの『カリブ諸島の手がかり』を読んだ。国書刊行会や論創社などからハードカバーで刊行されている所謂「黄金期本格」というのにそれほど興味のない私は、その一方で、国書刊行会ならSFの方ばかりを購入して積読の山を築いていたりする。そんなわけで、今年三月に刊行された『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』という『このミス』のベストオブベストランキングを見るまでは、ストリブリングも『カリブ諸島の手がかり』も知らなければ、もちろんポジオリの名も知らなかったのだが、名だたる名作群に伍して第25位につけていたこの作品ならハードカバーで読む価値もあるだろうから、古本で見つければ是非購入しようと思っているうちに、今回の文庫化とあいなったのである。

 当然のことながら、私はほとんど予備知識なくこの作品に接した。ぜいぜい「本格ミステリの古典的名作」という予断があった程度のことだろう。だが、実際に読みはじめてみると、本格ミステリとしてはどこかズレていて、切れ味に欠ける。「ユーモアものだとは言え、これで本格の名作と言えるのか?」と疑問を感じながら読み進めたいった結果、いきなりにあのオチに、うっちゃられてしまった。

 たしかに、ユニークな作品ではある。しかし、この作品を「本格の傑作」と評価するのは、違うのではないか。また、オチの驚きだけで評価すべき作品でもない(私たちはすでに、映画『ジェイコブズ・ラダー』や小泉迦十の『火蛾』といった作品を持っている)。そう思った。そして、その後、羽柴壮一の解説を読んで、すべてが腑に落ちた。本作は、かの「本格の神様」エラリー・クイーンが絶賛した作品だからこそ、「本格の名作」だと大方に勘違いされたのだ。――つまり「この味が、いいねとクイーンが言ったから、ストリブリングも本格のうち」というわけである。

 山口雅也は本作を高く評価して『ミステリが辿ったかもしれない、もうひとつの歴史を示唆している』と言い、有栖川有栖は本作を評して『最後の最後で推理小説の底が抜ける』と評したそうだが、こうした評価は本作の特異性を指摘するものであり「オーソドックスな本格」からの逸脱性を指摘するものに他ならない。つまり、本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、クイーンの権威に引きずられた、的外れな評価でしかないのである。もちろん、解説で羽柴が指摘しているように、クイーン自身も、本作を単純に「オーソドックスな本格」として評価していたわけではあるまい。本作が提示するのは「本格ミステリにおける論理性の限界」の問題、つまり「後期クイーン的問題」に直結するものであり、だからこそ本作は「論理のパラダイスとしての本格ミステリ」ではなく、その正反対の(悪夢)世界を描いてみせたのだ。

 本作中で「探偵役」を演ずる主人公の心理学者ポジオリは、植民地支配の影響色濃いカリブ諸島において、そのリベラルな思想から、現地の支配階級白人の差別意識や文化破壊をしばしば批判してみせる。こうした態度は、作者ストリブリングが、後の1930年代には『(※アメリカ)南部社会の矛盾や人種差別、物質主義への批判を盛り込んだ』作品を書いて評価され、ピュリッツァー賞を受賞した、という経歴からも納得のいくところであろう。しかしながら、ポジオリは作者ストリブリングの思想をそのままに体現した人物というわけではない。ポジオリは心理学者であり、心理学的な手法によって、知的に「名探偵」を演じたいという欲望に突き動かされた結果、ひどい目に遭うことになる「西欧人」である。つまり、「心理学」と言い「知的=論理的=名探偵」と言っても、それは「西欧的な知」を体現するものであって、決して「カリブ文化的(オリエンタル)な知」ではない。その齟齬に配慮し得ず、自己の知的優位の上に胡座をかいたからこそ、ポジオリは「西欧的な知」を体現する「名探偵」として、敗れさらざるを得なかった。言い換えればポジオリは、ポストモダン・ミステリの理論家であるステファーノ・ターニが語った「やぶれさる探偵」を、半世紀も早く先取りした存在だったのである。

 さて、ここで注目すべきは、ストリブリングが、アメリカ人であるにも関わらずアメリカの歴史や文化に批判的な目をもち、西欧人であるにも関わらず「論理的思考=西欧的な知」を相対化する目を持ち、ミステリ作家であるにも関わらずミステリを批評的に相対化する目をもった作家であった、ということである。つまり、「本格の神様」であるクイーンは、「本格ミステリ」の一面性を揶揄し批判する「本格の鬼子」的な作品とも評すべき『カリブ諸島の手がかり』を、わざわざ高く評価したのだ。この意味は、重大である。なぜならば、こういう批判者に対する公正さがあったればこそ、クイーンは後年「本格の論理性の基礎」を追求するという、自己批評的な、極めて困難な作業に、誠実に取り組むこともできたと言えるからである。

 つまり、クイーンが、ストリブリングあるいは『カリブ諸島の手がかり』を高く評価したのは、それらが「本格ミステリ護教主義」的な作家であり作品であったからではなく、まさにその正反対のものだったからなのだ。つまり『カリブ諸島の手がかり』は、「オーソドックスな本格」として傑作なのではなく、「アンチ西欧知」としての「アンチ本格」という「メタ・ミステリ」として、その先駆性・先見性において「歴史的な傑作」だったと評価すべき作品であり、その点を正しく捉え得たからこそ、山口雅也は本作を先のように的確に評し得たのである(山口が、異世界ミステリや量子力学ミステリに強く傾いていることを、ここで想起していただきたい。山口は、クイーンの末裔であるとともに、ストリブリングの末裔でもあるのだ)。

 したがって、「本格の鬼子」である本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、本作の真意を理解しない、蒙昧かつ権威主義的な「本格ミステリ護教主義」でしかない。クイーンが偉大なのは、安っぽくて頭の悪い「護教主義」には走らず、「(本格)ミステリ」の可能性に貪欲かつ公正だったからで、その態度は『単にほめるだけの追従よりも、正当に評価すべきものは評価し、批判すべきものは批判する平林初之輔の批評を最も信頼していた』(権田萬治)という、本邦の巨人江戸川乱歩の偉大さにも通じていよう。

 クイーンや乱歩はたしかに偉大だった。しかし、クイーンや乱歩が『誉めたから』といって、それを鵜呑みにすることで、その権威に追随しようとする者は、自らが担ぐ「教祖」の教えに対して、忠実な信者だとは、決して言えない。クイーンや乱歩の読者たる者、少なくとも批評家を名乗る者は、クイーンのストリブリング、乱歩の平林初之輔として信頼を得られるような、気骨をこそ持つべきなのである。



 2008年8月30日


 初出:『SRマンスリー』(2008年11月号 NO.361)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

風邪ひき療養中

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 2月11日(水)12時42分53秒
  久しぶりに本格的な風邪です。
先週、Keen Jr.がすわインフルエンザか?という高熱で早退してきて、でも違ってたのですぐ回復して今はもう元気なのですが、その看病疲れがでたのかもしれません。
あるいは、泡坂妻夫さん逝去のショックもあるかと……生きている間は、いつかまた亜愛一郎シリーズの続きを書いてくれるかも、という希望を持てたのに、もう永遠に亜くんに会えないんですね……
『幻影城の時代 完全版』の亜智一郎最新作がシリーズ最後の作品になったのでしょうか。
今、本棚から亜シリーズの文庫本4冊を引っ張り出して、読み返しているところです。何回読んでも面白いです〜。Keen Jr.もすっかり亜くんファンになり、今は智一郎を読んでいるところです。
昨年の大河ドラマ『篤姫』でちょうど智一郎の時代の江戸城が描かれていたので、『篤姫』の配役の役者さんを私の脳内スクリーンで智一郎たちと共演させて、楽しんでいます。

NSR第2回も読み返してみました。我ながら冴えてたなあ〜とか思ったりして。

元気になったら、また改めて。
 

『20世紀少年』第二部を観る。

 投稿者:ホランド  投稿日:2009年 2月10日(火)12時27分19秒
   みなさん、こんにちは!  昨日は園主さまと『20世紀少年 第二部 最後の希望』を観てきました。
 じつはボク、原作はむろん、映画の第一部そのものも観ておらず、テレビで放映された第一部の編集版「もうひとつの第一部」を観て、第二部を観ることにしたんです。でも「もうひとつの第一部」がよく出来ていたので、第二部からでも十分に楽しめましたよ。

 以下にご紹介するのは、先ほど園主さまに送った携帯メールです。

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【第一信】

こんにちは。(^O^)/

昨日『二十世紀少年』第二部にお誘いいただき、ありがとうございました。


テレビで第一部の総集編を観ていただけにしては十分楽しめる作品でしたが、やっぱり第二部らしい弱さはありましたね。第一部や第三部に比べたら、間違いなく見せ場は少ないんでしょう。それでも主人公たちが、逆境のなかを自己犠牲的に頑張っている姿には感動させられます。ボクは、信念に生き、大勢に抗して闘う孤独なヒーローというのに、どうしても惹かれてしまうんですね(こないだから観た『チェ』二部作もそうでしたが)。
この作品のテーマは、タイトルどおり「20世紀の少年性(とは何か?)」ということであり、その功罪だと、ボクは読みました。「功」の部分はケンヂたちの正義が象徴し、「罪」の部分は ともだち のようなルサンチマンに凝り固まった孤独な人間を生み出さなければならなかったという側面なんでしょう。もちろん、この物語を駆動しているのは、後者の「謎=秘められた真相」なんでしょうし、そこが『三丁目の夕日』的な現実逃避的ノスタルジーには回収されない、本作の本領なんじゃないかと思います。

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【第二信】

いま思いついたことをちょっと書きます。

ケンヂたちに象徴される「仲間=友達」の魅力(友情と結束)というものは、おのずとその「外部」を生み出さないわけにはいかない。仲間になりたい者のすべてが、仲間になれるわけじゃない。だとすれば、仲間というものが素晴らしいものであればあるほど、そこから爪弾きになった者の孤独は深い、ということなんでしょうね。だから、そんな「自分を爪弾きにするような世界なら、いっそ滅んでしまえ」なんて思っちゃう。

まあ、そうした意味でボクは――、人は独りであることに堪ええないと道を誤る、仲間の存在というのは、当然のものではなく、むしろ稀有な幸運だと考えるべきなんだ、と思います。
実際、ケンヂたちが取り結んだような「真の友情」なんて、現実には、めったにあるものではありませんからね。孤独に堪えられなければ、エセ友達としての馴れ合い関係か、単なる損得打算によって結ばれた徒党を組み、それを仲間や友達と呼んで美化し、自己満足するしかない。そういうことなんだと思います。
 

亜愛一郎の昇天

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月 4日(水)23時04分58秒
   みなさま

私的には「『亜愛一郎の狼狽』などで有名」な――、あの泡坂妻夫さんが、昨日お亡くなりになりました。



『 泡坂妻夫さん死去=ミステリー作家、「蔭桔梗」で直木賞

 「乱れからくり」など奇想天外な着想による本格派ミステリーで知られ、「蔭桔梗」で直木賞を受賞した作家の泡坂妻夫(あわさか・つまお、本名厚川昌男=あつかわ・まさお)さんが3日、東京都板橋区の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀は未定。喪主は妻耀子(ようこ)さん。
 紋服に家紋を描く紋章上絵師の家に生まれ、家業を継いだが、40歳を過ぎて書いた推理小説「DL2号機事件」が雑誌「幻影城」新人賞の佳作に入選し、作家デビュー。アマチュア奇術師としても著名で、「しあわせの書」「生者と死者」などの作品では単行本に仕掛けを施すユニークな試みが話題を呼んだ。
 このほか、推理小説的な趣の人間ドラマや時代小説も手掛けた。代表作に泉鏡花賞を受けた「折鶴」「喜劇悲奇劇」「11枚のとらんぷ」「写楽百面相」などがある。(了)

(2009/02/04-13:31)』

          (http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009020400476



泡坂さんとは昨年開催された「島崎博さんをお迎えする会」で初めて対面し、かねてより聞き知っていた巧みな手品を見せていただくことも出来ました。

私は、泡坂さんの「亜シリーズ」のファンではあっても、泡坂妻夫ファンを名乗り得るほどの熱心な読者ではなく、初対面にも特別な感慨はございませんでした。ただ、その飄々として好々爺然としたたたずまいに、人間としての魅力をつよく感じました。やはり、泡坂妻夫は、あの「雲の写真家」亜愛一郎の産みの親であり、亜は泡坂妻夫の分身だったのでございます。そして泡坂さんは、雲の彼方へと帰っていった――。

泡坂妻夫さんのご冥福を心よりお祈りしたいと存じます。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

『静かなる祝祭』刊行。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月 2日(月)22時42分46秒
   みなさま

新パソコン導入に向けての準備でございますが……。申し訳ございません。今のところ、まったく進んでおりません。言い訳をしてもキリがないので止めておきますが、ともあれどうか、今しばらく猶予を下さいまし。m(_ _)m



さて、そんなことを言っている間にも、みなさまにお知らせしておかなくてはならない情報が入りましたので、速報的にご報告させていただきます。

私も参加いたしました同人誌版『幻影城の時代』が大幅増補されたうえで、過日講談社から『幻影城の時代 完全版』として公刊されたというのは、既にご承知のことかと存じますが、この『完全版』に収録、初公開された竹本健治の『静かなる祝祭』が、『匣の中の失楽』刊行30周年企画のひとつとして、スピンオフ単行本として刊行されます。

『静かなる祝祭』は、竹本健治のデビュー作『匣の中の失楽』の原型となった未完の作品でございますが、今回の単行本では、竹本健治の「当時の手書き原稿」をそのまま縮小して編冊し装丁を施した、竹本健治ファンには見過ごせない異色の一冊となっております。

――とは言え、このとおり本書は「竹本健治ファンのための本」と言ってよく、初めから一定数以上売れないのは見込んだ上での刊行ですので、この機会に買い逃すと入手が極めて困難なものとなる可能性が高いため、ここ「花園」をご覧の竹本健治ファンの方に向けて、速報させていただいた次第にございます。
本書は、同人誌版『幻影城の時代』と同様、紀伊國屋書店やブックファーストなど一部の大型書店にも配本されるそうでございますが、小部数刊行のため、地方にまでは行き渡らないものと存じますので、こうした一般書店で入手できない方は、ネット検索してみて下さいまし。東京や大阪などの一部古書店でも定価販売がなされる予定で、そちらで電話注文も可能になろうかと存じます。




それではみなさま、おやすみなさいまし。
 

星を見ないで地べたを生きる。

 投稿者:  投稿日:2009年 1月28日(水)18時45分21秒
  ★アリョーシャ

自身の病気がもたらす生き方の怠惰性を差し引いても、
僕の現実生活に見られる特質は、全般的に「甘ったれ根性」であるということです。
実際、僕は自殺未遂以来、特に両親の生温い庇護下にあるために、
差し迫ったあらゆる危機を先送りする努力だけで生きていました。
つまり「自立的な生活をする」という基本的な厳しい現実に、目を塞いで生きてきたんです。
だからこそ、ろくに現実に即した思考をすることも、
僕の尊敬する人々が生きる行動主義に徹することも出来ないでいました。
というのも自分の生活を疎かにしている人間の行動主義など欺瞞に過ぎないことくらいはわかるからです。

僕の尊敬する友人などは、自らの生活を大切にしながら、
釜が崎の炊き出し支援などで、行動主義を生きています。
彼らの胸の内には「如何しても看過することが出来ない」という憤怒の念が根底に生きており、
「もう、そう行動せざるを得ない」という力に換気された彼らの行動主義には感動を覚えます。
逆にいえば、「憤怒の念」に依拠しない行動主義は贋物であり、唾棄すべきものだと思っています。

まだ行動主義に生きられない僕は、
「まず僕は独りで生き得るための労働基盤を作り出さないといけない」
と思い立ち、公的な職業訓練校で職能技術獲得のために勉強することに決めました。
仮に生活の基盤を得ても、僕は行動主義を生きることは出来ないかもしれない。
それは真に恥ずべきことなのだろうか?


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>『巻末に付記されていた高村薫の作品』というのが、よくわかりません。
>何を指して、おっしゃっておられるのか? 誤記なのでございましょうか?

遅くなって申し訳ありません。これは僕の間違い…北村薫でした。
アリョーシャから頂いた『先生と僕』の巻末にさりげなく

「あ、そうそう。まだ先の話だろうけど、卒論を書く前には『六の宮の姫君』を読んでおいた方がいいと思うよ」

とありますよね。
すみません…。因みに僕は高村さんも北村さんも読んだことがありません…
 

「いかに現実を生きるか」を問え。

 投稿者:  投稿日:2009年 1月28日(水)18時11分16秒
  ★アリョーシャ

お久しぶりです。

これだけ間をあけてしまったのには、それなりの理由があります。
年始にアリョーシャから長文の激励&アドヴァイス・メールを頂戴して、

”「言葉の運用」に厳格であることこそが、自他共に誠実さを表すことなんだ”

と自分に言い聞かせるうちに、何も書けなくなりました。

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」
最もベタなウィトゲン・シュタイン哲学の命題ですが、
むろん、僕は彼の深甚な哲学の真意を心得ているわけではありません。
しかし僕は、この命題に反駁するように、多くの「語りえぬもの」について
いかにして「わからん」のか「沈黙」を破り、
敢えて公けに「語る」勇気と気概を持たなくてはならないのかもしれません。

「完結した結論」を提示しようとする努力から何も書けない自分より、
未熟ながらも「思考の過程」を恥をかきながら書けるようにならなければ。

幸い僕にとって「花園で書く」という行為は、
取りも直さず、アリョーシャの「情の濃い指弾」に晒されることになりますので、
少なくとも、僕に自己修正能力(反省力)が微塵でもあれば、
ささやかであっても、成長を期待することが出来るでしょう。

ただ悲しいのは、推敲を心掛けて自らの文章を客観的読者として目にするとき、
その「凡庸な退屈さ」に反吐がでるのです。
それもこれも、意識下に秘された「過大な自尊心」と「過剰な自意識」ゆえでしょう。

といのも僕には「私は何者かである(筈だ)」という鼻持ちならない選民意識が確かに存在し、
結局「私は何者で無かった」と認めざるを得ない根拠の数々にアタマをもたげるのです。

どだい大したことが書けない人間なのだから、
抽象化された観念や想念ばかりに耽溺してないで、
もっと身近な生活の話から僕は書き始めることが大切でしょう。
だって身近な生活の一瞬一瞬にこそ、
自らを問われる現実に即した思想的課題が山積している筈ですから。

「どれだけ本を読んだか」というよりも、
「いかに現実を生きたか」のほうが、遥かに人間の真贋を決する問題だと思うのです。
 

遅れ馳せのご報告

 投稿者:園主  投稿日:2009年 1月25日(日)23時49分1秒
   みなさま

おひさしぶりでございます。
昨年末も書き込みが間遠だったのでございますが、今年は元旦のご挨拶以来、私、ホランド共々、まったく書き込みをしておりませんでしたので、ご心配下さった方もあろうかと存じます。そんな奇特な方には、たいへん申し訳ないないことをしたと、伏してお詫び申し上げたいと存じます。m(_ _)m

書き込みの出来なかった理由でございますが、当初は昨年末同様、なんとなく気が向かないという、自分でも今だにハッキリしない理由によるものだったのでございますが、7日ごろでしたか、友人にメールを書こうとしたところ、以前から不調だったキーボードがとうとう故障してしまい、文章が打てなくなってしまったのでございます(なにしろ「e」のキーが反応しないのでは、文章は書けません)。それでも、新しいパソコンにするのが面倒で、キーボードの買い換えでしのごうとしたのですが、なにしろ10年前のパソコンの純正キーボードでございますから「今のOSに対応したキーボードでは、きちんと対応するという保証は致しかねますので、中古を探された方が確実でしょう」と、販売店員に言われてしまいました。で、そんな手間をかけるくらいならパソコンを買い換えたほうが早いと考え、Macのコーナーを見に行きますと、Macもずいぶん安くなっており、キーボードだけ買い換えることなど馬鹿馬鹿しくなって、パソコン自体の買い換えを決断いたしました。
しかしながら、新しいパソコンを導入するには、まず部屋の片付けをしなくてはならないのですが、なにしろ物が無闇に多いため、なかなかこれが容易には着手しかねているというのが、いつわらざる現状なのでございます。

したがいまして、私がやる気を無くしたとか、病気になったとか、自動車事故で死んだから更新が滞っているといったようなわけではございませんので、その点はどうかご安心くださいまし。平たく言ってしまえば、相変わらず「怠惰の虫」にやられているだけなのでございます(笑)。

昨日、ご投稿の件でKeenさまにお電話を差し上げた際、以上のような事情をご説明し「私がサボっている間に、たびたびお書き込みいただき申し訳ありません」と申し上げましたところ、Keenさまから「どうしたんだろうと心配している人もいるでしょうから、報告だけはしておいた方がいいですよ」とご助言をいただき、私自身も「そう思ってるんですが、携帯で文章を書くのが面倒で、ついズルズルと。でも、私が書き込みをしない理由を、みなさん、どんなふうに考えるんでしょうね? 私が恋愛して、それどころじゃなくなっているとか」と冗談半分に申しますと、Keenさまは途端に爆笑して「それは無いでしょう。誰もそんなこと考えません」と断言なさいました。――私といたしましては、いささか不本意なご意見ではございましたが、ともあれ皆様へのご報告は園主の義務でもございますので、本日このとおりご報告させていただきました次第でございます。
なお、私が恋愛のせいで書き込みをサボっているのではと、チラとでもお思いになられた方は、その旨、是非ここ「花園」にお書き込み下さいまし、ささやかながらプレゼントを差し上げたいと存じます。


そんなわけで、いましばらくお時間を下さいまし。再起動のあかつきには、新型パソコンの威力をもって、サイト全体をバージョンアップしたいと考えております。
 

世界は勘違いでできている

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 1月22日(木)17時22分37秒
  すみません、前回リンクミスしてました。
正しくは鈴木信也『バリハケン』(集英社ジャンプ・コミックス)です。既刊は1〜3巻、ネット上で試し読みもできるようになっていますので、興味を持たれた方はのぞいてみて下さい。

中学時代は「空気くん」と言われるほど薄い存在だったオタク少年・御手洗団吾(みたらしだんご)は、高校入学後、偶然と周囲の勘違いのあり得ない積み重ねの挙げ句、不良集団を率いる番長になってしまいます。番長として学園を取り仕切る生活のかたわら、隠れオタクとしてアキバに通い、同人誌活動にも勤しむ二重生活。当初は真相がバレた時の仕返しが怖くてそれらしく振る舞っていただけの団吾でしたが、自分を兄貴と心から慕ってくれる舎弟達と共に、これまた偶然と勘違いのあり得ない積み重ねで数々のレジェンドを打ち立てる中で、次第に本物の番長心に目覚めて行きます。総番長・団吾の威光は、他校のみならず極道の集英組、アメリカ、果ては宇宙にまで輝き渡るのでした……

とあらすじを書いても、なんだか空しくなるほど伝わっていない気がします。この作品の魅力は、やはりその読者を選ぶギリギリスレスレなギャグセンスにあるので、好みの分かれるところでしょう。
ちなみにタイトルは、団吾と舎弟集団が人手の足りない部活動に助っ人として派遣される「派遣組」、あるいは、上級生や他校と覇権を争う「覇権組」を名乗っているところからきています。この部活動がまた「長風呂部」だの「トイレ部」だの「おしりペン道部」だのといった具合に、下ネタ全開のあり得ない部活ばっかりでして、「おしりペン道部」の概要については2巻で試し読みできますので、ご参照下さい……(好みじゃなかったらゴメンナサイ)

で、結局私は『バリハケン』の何にそんなに惹かれたのかというと、私好みのギャグのあまりなバカバカしさはもとより、あー、世界ってのは人の勘違いと思い込みでできているんだなあ、と妙に納得できて、肩の力が抜けたところにあります。人は自分の見たいものしか見ないし、見えないものですが、その「見たい!」と強く願う心が昇華して、時に奇跡を呼ぶこともある……のかもしれない。


「人の気持ちは具体的に合体するんだ。気持ちを生んだ人間の全く与り知らないようなところでもね。不思議なもんだよな。」(『ディスコ探偵水曜日』より)


そして団吾は、肝心なところではちゃんと実力を発揮しているのです。たとえそれがオタク心の暴発した火事場の馬鹿力であり、舎弟達が自分に都合よく解釈した勘違いに過ぎなかったとしても。
物事は、見る人の心次第でいかようにも変化します。
やがて不良仲間とオタク仲間のどちらも大切にしたいと考えるようになった団吾は、いつまでこんなコウモリ生活を続けるのかと後ろめたさを感じるようになります。その時の象徴的な会話を引用すると、


「か…火讐(かしゅう)
 どうしてお前はいつもオイによくしてくれるんじゃ」

「兄貴はオレの命を救ってくれた漢(ひと)だから…
 オレは自分の信じたものに従ってるだけっすよ」(3巻・伝説23「首都エリア統一」より)


その翌日、他校の襲撃で危機に瀕した舎弟達を救うため、団吾は楽しみにしていたオタクイベント会場を抜け出して、修羅場に駆けつけます。そこで抗争に巻き込まれた、学園で唯一団吾の二重生活を知っている旧友の茶越くんを身を挺して救うのです。


「うう…
 茶越くん大丈夫…?」

「お前…あんなに嫌がってたのにどうして…」

「……
 つっ…

 い…痛い…や
 へへ…ホントだよね
 ボクは今だって オタクやめるつもりないし
 ケンカだって怖いし腕折られるかもしれないなんて死ぬほど嫌だし…
 だけど

 友達(みんな)がそんな目にあうのはもっと嫌だから…」


その後、舎弟達の加勢で見事な勝利を収めるのですが、一部始終を見ていた茶越くんは思います。


「団吾…お前は勘違いで偶然番長にさせられただけって言うけどさ
 それだけじゃ ここまで奴らに慕われないさ…
 今のお前はもう偽者じゃない 立派な番長だよ」(3巻・伝説24「決意の総番長」より)


私は結末(3月発売予定の4巻)はまだ知りませんが、大体の想像はつきます。そもそも勘違いネタをあまり引っ張るのは無理があるでしょうから、連載を打ち切られたというよりも、妥当な長さだったのかもしれません。


「世界は他人と一緒に作られるんでしょ?一人ってのはさっきみたいにホント弱くて、弱いのは、あんな奴の言葉を使うのは嫌だけど、ま、悪いことなんだと思ってていいよ。だって人は他人といるだけでも強くなれるんだから。努力はしないと。」(『ディスコ探偵水曜日』より)


こんな風に『ディスコ探偵水曜日』とつなげるのは無理矢理でしょうか?
私はスッキリしてしまいましたが。(^0^*
 

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