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省察1
投稿者:淳 投稿日:2010年 2月 8日(月)06時46分19秒棚卸しが終わって、ホッとする合い間もなく、一斉の価格改定作業と、ヴァレンタイン絡みでてんてこ舞いの日々です。まあ、酷い残業続きでヘトヘトです(苦笑)
僕が、応答したいと思う論点を簡潔に書き起きますね。次のレスでは、先般の「アリョーシャの問い」について逐語的な応答になるように勤めます。
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*「個人の自由意志が最大限に尊重された社会を望む」というアナキズムの基礎的な土台となる信条と、「仏国土」という理想の間に存在する大きな隔たりについて。
*「信仰者」を自認する人は、論証が不可能な事柄についてこそ、懸命に命を賭けて「言葉」を尽くすべきであり、それは、美辞麗句や修辞を尽くして語るのではなく、ごく素朴な「言葉」をもって語るべきであるという点。
*信仰における「絶対」とは、宗教間の相対比較を繰り返して、「絶対」に至るのではなく、「絶対」とは常に、数学の公式と同様の正確さのように、独立して「在る」ものでなければならないという点。同時に信仰者が「絶対」に陥る恐れについて。(例えば、死ぬまでヴェイユが洗礼を拒んだように)
*色心不二と諸法実相について。
*イラク戦争勃発時において、一般的な創価学会員が、骨抜きにされた傍観者どころか、一部、積極的に戦争の正当性を訴えた点について。(僕にとって余りも衝撃的な事件だったのです)
*「まず先に個人としての信仰に基づく信念があり、その後に連帯があるべきだ」という点。
*実践レベルでのアナキズムと実践レベルでの日蓮の信仰について。
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陽水の音楽については、簡単です。僕は、殆ど一部の例外を除いて歌詞を重要視しません。声も一つの楽器の一部として楽しみます。僕の聴く音楽の多くはインストなのです。
それに僕は、あの曲のCDを持ってませんでしたので、歌詞まで知りませんでしたが、歌詞は兎も角、音楽として素晴らしい曲ですよ。