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簡単な「散文」を書きましたので、アップさせていただきます。
「小さな覚悟と大きな未来」
私だけの憩いの場所は3人の子どもたちと対話している時かな。と言っても、まだ上の子も小学校の就学前であり、対話というよりも愛情のこもった言葉を投げかけているといった言葉遊びのような感じです。私にとってはとても貴重な時間帯であったそんな休息の空間が消失してしまったのですが、それによって一人でゆっくりと考えるという貴重な時間帯が増したりもしました。
しかし物事を考えていても、やはりその背後にはどこかで子どものことを配慮しようとする思考が私を捕捉して離しません。
ダメな親父から這い上がろうと懸命にもがいているのですが、一度張り付いてしまったレッテルはどこまでも私につきまとってきます。
世間の評価など気にせずに、筋を通した生き方をすればするほど孤立してしまいますが、それはさほど気にならなくなりました。だから、結果など恐れずに自分の信念に従って行動できればいいのですが、世間のぶ厚い壁に容赦なく阻まれてしまいます。
「もっと馴れ合いましょう」と誘惑する世間へのレスポンスとして、「私は私の道を行く」と言い切っても、相手にはそれが開き直りとしか受け止められていない寂しさ。拒むというより、じゃれあうのが嫌いなだけなのですが、それが私を孤独へ向かわせてしまいます。どこまで行ったら出口が見えるのでしょうか。
この先、たとえ一人だとしても、現実にはしっかりと目を向けて対処していき、決して観念の中だけで自己満足するような人間にはなりたくありません。
そして、今は自分の子どものためとしか言えないような小さな覚悟しか持ち合わせていませんが、いつか「全ての子どもたちのために私は闘い続けている」と確信を持てるように。
★淳さん
>そそ、遅読ながら、サイードの『知識人とは何か』も中盤(110項)にさしかかってますが、
kamuiさんの実践にも深く通底するような本ですよ。
『知識人とは何か』を精読されているお姿が浮かびます。たぶん理論的な書物で抽象的な事柄が書かれていると推測いたしますが、淳さんの読書の進め方は私にも参考になっていますよ。
それは、実際の行動に当てはめながら論理を確証されていき、論理に肉付けを施している作業のことです。
淳さんは、ただ(知識人的態度)を私に当てはめているので、そこは自分の愚かさを知っている私には、過剰な賛辞だと受け止めています。でも、素直にいいますが、淳さんのような真面目な方にそういわれるとやっぱり嬉しいですね。(笑)
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