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★アリョーシャ
自身の病気がもたらす生き方の怠惰性を差し引いても、
僕の現実生活に見られる特質は、全般的に「甘ったれ根性」であるということです。
実際、僕は自殺未遂以来、特に両親の生温い庇護下にあるために、
差し迫ったあらゆる危機を先送りする努力だけで生きていました。
つまり「自立的な生活をする」という基本的な厳しい現実に、目を塞いで生きてきたんです。
だからこそ、ろくに現実に即した思考をすることも、
僕の尊敬する人々が生きる行動主義に徹することも出来ないでいました。
というのも自分の生活を疎かにしている人間の行動主義など欺瞞に過ぎないことくらいはわかるからです。
僕の尊敬する友人などは、自らの生活を大切にしながら、
釜が崎の炊き出し支援などで、行動主義を生きています。
彼らの胸の内には「如何しても看過することが出来ない」という憤怒の念が根底に生きており、
「もう、そう行動せざるを得ない」という力に換気された彼らの行動主義には感動を覚えます。
逆にいえば、「憤怒の念」に依拠しない行動主義は贋物であり、唾棄すべきものだと思っています。
まだ行動主義に生きられない僕は、
「まず僕は独りで生き得るための労働基盤を作り出さないといけない」
と思い立ち、公的な職業訓練校で職能技術獲得のために勉強することに決めました。
仮に生活の基盤を得ても、僕は行動主義を生きることは出来ないかもしれない。
それは真に恥ずべきことなのだろうか?
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>『巻末に付記されていた高村薫の作品』というのが、よくわかりません。
>何を指して、おっしゃっておられるのか? 誤記なのでございましょうか?
遅くなって申し訳ありません。これは僕の間違い…北村薫でした。
アリョーシャから頂いた『先生と僕』の巻末にさりげなく
「あ、そうそう。まだ先の話だろうけど、卒論を書く前には『六の宮の姫君』を読んでおいた方がいいと思うよ」
とありますよね。
すみません…。因みに僕は高村さんも北村さんも読んだことがありません…
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