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『20世紀少年』第二部を観る。

 投稿者:ホランド  投稿日:2009年 2月10日(火)12時27分19秒
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   みなさん、こんにちは!  昨日は園主さまと『20世紀少年 第二部 最後の希望』を観てきました。
 じつはボク、原作はむろん、映画の第一部そのものも観ておらず、テレビで放映された第一部の編集版「もうひとつの第一部」を観て、第二部を観ることにしたんです。でも「もうひとつの第一部」がよく出来ていたので、第二部からでも十分に楽しめましたよ。

 以下にご紹介するのは、先ほど園主さまに送った携帯メールです。

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【第一信】

こんにちは。(^O^)/

昨日『二十世紀少年』第二部にお誘いいただき、ありがとうございました。


テレビで第一部の総集編を観ていただけにしては十分楽しめる作品でしたが、やっぱり第二部らしい弱さはありましたね。第一部や第三部に比べたら、間違いなく見せ場は少ないんでしょう。それでも主人公たちが、逆境のなかを自己犠牲的に頑張っている姿には感動させられます。ボクは、信念に生き、大勢に抗して闘う孤独なヒーローというのに、どうしても惹かれてしまうんですね(こないだから観た『チェ』二部作もそうでしたが)。
この作品のテーマは、タイトルどおり「20世紀の少年性(とは何か?)」ということであり、その功罪だと、ボクは読みました。「功」の部分はケンヂたちの正義が象徴し、「罪」の部分は ともだち のようなルサンチマンに凝り固まった孤独な人間を生み出さなければならなかったという側面なんでしょう。もちろん、この物語を駆動しているのは、後者の「謎=秘められた真相」なんでしょうし、そこが『三丁目の夕日』的な現実逃避的ノスタルジーには回収されない、本作の本領なんじゃないかと思います。

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【第二信】

いま思いついたことをちょっと書きます。

ケンヂたちに象徴される「仲間=友達」の魅力(友情と結束)というものは、おのずとその「外部」を生み出さないわけにはいかない。仲間になりたい者のすべてが、仲間になれるわけじゃない。だとすれば、仲間というものが素晴らしいものであればあるほど、そこから爪弾きになった者の孤独は深い、ということなんでしょうね。だから、そんな「自分を爪弾きにするような世界なら、いっそ滅んでしまえ」なんて思っちゃう。

まあ、そうした意味でボクは――、人は独りであることに堪ええないと道を誤る、仲間の存在というのは、当然のものではなく、むしろ稀有な幸運だと考えるべきなんだ、と思います。
実際、ケンヂたちが取り結んだような「真の友情」なんて、現実には、めったにあるものではありませんからね。孤独に堪えられなければ、エセ友達としての馴れ合い関係か、単なる損得打算によって結ばれた徒党を組み、それを仲間や友達と呼んで美化し、自己満足するしかない。そういうことなんだと思います。
 
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