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 ストリブリング・クイーン・乱歩

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月22日(日)13時27分14秒
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    ストリブリング・クイーン・乱歩


                             田中幸一


※ 『カリブ諸島の手がかり』の内容とオチに言及します。未読の方はご注意下さい。

 SRの会が生み出した狂歌に「この味が、いいねと乱歩が言ったから、サキ、ダールまでミステリのうち」というのがある。作者は失念したが、折に触れて思い出す、掛け値なしの傑作である。
 今回、河出文庫入りしたのを機に、T・S・ストリブリングの『カリブ諸島の手がかり』を読んだ。国書刊行会や論創社などからハードカバーで刊行されている所謂「黄金期本格」というのにそれほど興味のない私は、その一方で、国書刊行会ならSFの方ばかりを購入して積読の山を築いていたりする。そんなわけで、今年三月に刊行された『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』という『このミス』のベストオブベストランキングを見るまでは、ストリブリングも『カリブ諸島の手がかり』も知らなければ、もちろんポジオリの名も知らなかったのだが、名だたる名作群に伍して第25位につけていたこの作品ならハードカバーで読む価値もあるだろうから、古本で見つければ是非購入しようと思っているうちに、今回の文庫化とあいなったのである。

 当然のことながら、私はほとんど予備知識なくこの作品に接した。ぜいぜい「本格ミステリの古典的名作」という予断があった程度のことだろう。だが、実際に読みはじめてみると、本格ミステリとしてはどこかズレていて、切れ味に欠ける。「ユーモアものだとは言え、これで本格の名作と言えるのか?」と疑問を感じながら読み進めたいった結果、いきなりにあのオチに、うっちゃられてしまった。

 たしかに、ユニークな作品ではある。しかし、この作品を「本格の傑作」と評価するのは、違うのではないか。また、オチの驚きだけで評価すべき作品でもない(私たちはすでに、映画『ジェイコブズ・ラダー』や小泉迦十の『火蛾』といった作品を持っている)。そう思った。そして、その後、羽柴壮一の解説を読んで、すべてが腑に落ちた。本作は、かの「本格の神様」エラリー・クイーンが絶賛した作品だからこそ、「本格の名作」だと大方に勘違いされたのだ。――つまり「この味が、いいねとクイーンが言ったから、ストリブリングも本格のうち」というわけである。

 山口雅也は本作を高く評価して『ミステリが辿ったかもしれない、もうひとつの歴史を示唆している』と言い、有栖川有栖は本作を評して『最後の最後で推理小説の底が抜ける』と評したそうだが、こうした評価は本作の特異性を指摘するものであり「オーソドックスな本格」からの逸脱性を指摘するものに他ならない。つまり、本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、クイーンの権威に引きずられた、的外れな評価でしかないのである。もちろん、解説で羽柴が指摘しているように、クイーン自身も、本作を単純に「オーソドックスな本格」として評価していたわけではあるまい。本作が提示するのは「本格ミステリにおける論理性の限界」の問題、つまり「後期クイーン的問題」に直結するものであり、だからこそ本作は「論理のパラダイスとしての本格ミステリ」ではなく、その正反対の(悪夢)世界を描いてみせたのだ。

 本作中で「探偵役」を演ずる主人公の心理学者ポジオリは、植民地支配の影響色濃いカリブ諸島において、そのリベラルな思想から、現地の支配階級白人の差別意識や文化破壊をしばしば批判してみせる。こうした態度は、作者ストリブリングが、後の1930年代には『(※アメリカ)南部社会の矛盾や人種差別、物質主義への批判を盛り込んだ』作品を書いて評価され、ピュリッツァー賞を受賞した、という経歴からも納得のいくところであろう。しかしながら、ポジオリは作者ストリブリングの思想をそのままに体現した人物というわけではない。ポジオリは心理学者であり、心理学的な手法によって、知的に「名探偵」を演じたいという欲望に突き動かされた結果、ひどい目に遭うことになる「西欧人」である。つまり、「心理学」と言い「知的=論理的=名探偵」と言っても、それは「西欧的な知」を体現するものであって、決して「カリブ文化的(オリエンタル)な知」ではない。その齟齬に配慮し得ず、自己の知的優位の上に胡座をかいたからこそ、ポジオリは「西欧的な知」を体現する「名探偵」として、敗れさらざるを得なかった。言い換えればポジオリは、ポストモダン・ミステリの理論家であるステファーノ・ターニが語った「やぶれさる探偵」を、半世紀も早く先取りした存在だったのである。

 さて、ここで注目すべきは、ストリブリングが、アメリカ人であるにも関わらずアメリカの歴史や文化に批判的な目をもち、西欧人であるにも関わらず「論理的思考=西欧的な知」を相対化する目を持ち、ミステリ作家であるにも関わらずミステリを批評的に相対化する目をもった作家であった、ということである。つまり、「本格の神様」であるクイーンは、「本格ミステリ」の一面性を揶揄し批判する「本格の鬼子」的な作品とも評すべき『カリブ諸島の手がかり』を、わざわざ高く評価したのだ。この意味は、重大である。なぜならば、こういう批判者に対する公正さがあったればこそ、クイーンは後年「本格の論理性の基礎」を追求するという、自己批評的な、極めて困難な作業に、誠実に取り組むこともできたと言えるからである。

 つまり、クイーンが、ストリブリングあるいは『カリブ諸島の手がかり』を高く評価したのは、それらが「本格ミステリ護教主義」的な作家であり作品であったからではなく、まさにその正反対のものだったからなのだ。つまり『カリブ諸島の手がかり』は、「オーソドックスな本格」として傑作なのではなく、「アンチ西欧知」としての「アンチ本格」という「メタ・ミステリ」として、その先駆性・先見性において「歴史的な傑作」だったと評価すべき作品であり、その点を正しく捉え得たからこそ、山口雅也は本作を先のように的確に評し得たのである(山口が、異世界ミステリや量子力学ミステリに強く傾いていることを、ここで想起していただきたい。山口は、クイーンの末裔であるとともに、ストリブリングの末裔でもあるのだ)。

 したがって、「本格の鬼子」である本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、本作の真意を理解しない、蒙昧かつ権威主義的な「本格ミステリ護教主義」でしかない。クイーンが偉大なのは、安っぽくて頭の悪い「護教主義」には走らず、「(本格)ミステリ」の可能性に貪欲かつ公正だったからで、その態度は『単にほめるだけの追従よりも、正当に評価すべきものは評価し、批判すべきものは批判する平林初之輔の批評を最も信頼していた』(権田萬治)という、本邦の巨人江戸川乱歩の偉大さにも通じていよう。

 クイーンや乱歩はたしかに偉大だった。しかし、クイーンや乱歩が『誉めたから』といって、それを鵜呑みにすることで、その権威に追随しようとする者は、自らが担ぐ「教祖」の教えに対して、忠実な信者だとは、決して言えない。クイーンや乱歩の読者たる者、少なくとも批評家を名乗る者は、クイーンのストリブリング、乱歩の平林初之輔として信頼を得られるような、気骨をこそ持つべきなのである。



 2008年8月30日


 初出:『SRマンスリー』(2008年11月号 NO.361)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 
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