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海原健叡氏の「空虚な主体」とその自己証明〈補足改定版〉

 投稿者:園主メール  投稿日:2015年 2月 5日(木)21時51分17秒
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   赤文字」で表記した部分が、今回の補足改定部分です。

★ 海原健叡さま

マイウエイ

本当に、とことんまで失望させてくれる方ですね、貴兄は。
その「無反省性」と「脊髄反射的発言」が意味するものは、貴兄の「成長可能性の低さ」以外の何ものでもありません。

私が「海原健叡氏の論法とその本質」のなかで書いたことを、まったく理解しておられない。

「理解」と「肯定支持」とは別ものですが、しかし「理解」していないものに対する反応は、形式的には「応答」と呼ぶことは出来ても、内実は「応答」などではなく、単なる「独白」でしかありません。
つまり、貴兄には「対話」とか「議論」というものがまったく出来ておらず、単にご自身の思い込みを、他人に向かって断言的につらねているだけ、だということでございます。

今回のお言葉もまた、まったく無内容なもので、これは単なる「独白」であって、「マイウエイ」などという尤もらしいものではございません。
それが、前回の私の「助言」に対する、貴兄の「救いがたい返答」にハッキリと表れております。

>> ただ、せっかくですから、しつこく助言させていただきますが、人のことをあれこれ考えるのも悪いことではございませんが、自分自身のことを考えるのは、もっと大切なことでございますよ。
なぜならば、人は客観的なつもりでも、結局は自分の視点からした、他を見れないからでございます。つまり、自分を知らない者に、他を客観的に評価することはできない、ということでございます。

> 折角のご助言ですが、私は結構自分のことは分かっているつもりです。それと、囲碁に由来する「岡目八目」という言葉も示しているように、案外、自分のことより他人のことの方が正しく評価できる場合もありますよ。

これは「ものを考える人間の言葉」ではなく、まさに貴兄自身が「在特会のことなど」で批判した、「独り善がり」的な「閉鎖的(無反省的)コミュニティー人間」の以外の何者でもないことを、端無くも示しております。

私は「海原健叡氏の論法とその本質」のなかで、


「信じることと疑うこと」という問題は、なにも「宗教」に限った問題ではなく、むしろ極限的には「私自身を、信じることと疑うこと」の問題と言えるでしょう。

人は「自分を信じる」からこそ「信仰を持ったり、信仰を否定したり」するのであって、「絶対的に客観的な根拠」があって「信仰を持ったり、信仰を否定したり」するのではありません。
不動の「真理」であるかのような「科学的自然法則」や「数学」ですら、それは「仮説」であり「約束」でしかない。究極的には「ハイゼンベルクの不確定性原理」「ゲーデルの不完全性定理」がそのこと明かしているとおり、「人間」には「絶対的に客観的な根拠(真理)」は認識できないし、そこには到れないのです。

しかし、それでも人間は「何か」を信じないと生きてはいけません。「それらはすべてフィクションに過ぎない。私はそれを実用主義的かつ理性的に選択して利用しているに過ぎない」などと気どってみても、彼はそんな「理知的な自分」だけは迂闊にも信じ、「自分自身」への「信仰」に生きているのです。人は「自分自身すら疑うことの出来る自分」自身への信仰を捨てては、生きていけない生き物なのです。



と書きました。
これは「人間は原理的に、自分を客観視することの出来ない存在である。だからこそ、自己懐疑の回路を断ってはいけない」という意味であり、これをうけて貴兄に「反省」を促したのですが、それに対する貴兄の返事は、

> 折角のご助言ですが、私は結構自分のことは分かっているつもりです。

という、いかにも頭の悪いものでした。

ようございますか。人間の99パーセントまでが『私は結構自分のことは分かっているつもり』であり、貴兄が「在特会のことなど」で、


『 現実には、自分の見たい情報だけを見て、自分の繋がりたい人とだけ繋がっているネットユーザーは数限りなく存在する。趣味娯楽の領域だけではなく、政治や社会についても同様である。いやむしろ、政治や社会といった領域の方がより排他的になり仲間内だけで過激になっていく傾向が強いかもしれない。もちろん、幅広い知識や視野を持ったユーザー同士が非常に有益な交流をしている例も多々ある。しかしそれはどちらかと言えば学者やジャーナリストや言論人、勉強熱心な社会人や学生などいわゆる世間的には知識人やインテリといった分類をされる人々の間で行われることがほとんどである。むしろ目立つのは「そうではない人々」の間で行われる、思い込みの相互強化である。


と批判否定した、在特会やネトウヨなどに代表される「閉鎖的(無反省的)コミュニティー人間」なども、まさに『私は結構自分のことは分かっているつもり』の「凡庸な人間」たちであって、硬直した自己肯定をすこしも疑うことなく、人の意見に耳を傾けて「反省」してみることも知らない「頭の悪い」人間。いまの貴兄とそっくりな「救いがたい人たち」なのでございますよ。

貴兄の『折角のご助言ですが、私は結構自分のことは分かっているつもりです。』という言明とは真逆に、「自己を多少とも知る人間」とは「私は、自分自身のことがいちばん分かりにくい」と考えて、常に「内省」を怠らない「自己批評」的な人間ことであり、そういう人こそが、真に知性的な人間なのでございます。

ですが、貴兄にはそうした「知的反省」の欠片もない。
だからこそ、私から懇切丁寧な説明を受けた直後であるにもかかわらず『折角のご助言ですが、私は結構自分のことは分かっているつもりです。』などと書いて、ご自分の「閉鎖的な非知性的態度」を自ら露にし、さらには、

> それと、囲碁に由来する「岡目八目」という言葉も示しているように、案外、自分のことより他人のことの方が正しく評価できる場合もありますよ。

などと、笑うべき「頓珍漢な言葉」を続けたりするのです。

おわかりでしょうか? 私が「反省」をお奨めするのは、貴兄ご自身の『結構自分のことは分かっているつもり』などよりは、他人である私の方が、まだしも貴兄を客観的に評価している可能性が高いからこそ、他人である貴兄に「自分で自分を再検討してみては」と「反省」を促したのでございます。

つまり、貴兄は、ご自分で持ち出した「岡目八目」という言葉の意味さえ充分に考えることもなく、脊髄反射的に「知ったかぶり」の反論をしてみただけなのでございます。

元来、「岡目八目」というのは「状況の中にとらわれている当事者には見えにくいものが、状況の外にある者には見えやすいものである」という意味合いであり、人間にとって、何より避けがたい状況とは(「海原健叡氏の論法とその本質」で説明しましたとおり)「自分自身(自分の視点)」なのでございます。
つまり、「私は、他人の外に立つことは出来るけれど、自分の外に立つことは出来ない。できるのは、あくまでも自分の内部に他人の視点を仮構して、それを通すことで、自身を良く見たいというの自己肯定の欲望を少しでも相対化して、自己を比較的公正に評価しようとすること、だけ」なのでございます。

つまり、貴兄にとって「岡目八目」性(客観性)の最も低いのが貴兄自身であり、その次が貴兄とやりとりしている私であり、もっとも「岡目八目」性の高いのが、無関係な第三者(読者)なのです。
私は貴兄との「対局者」であり、多少は状況の中にいるという「自覚」があるからこそ、貴兄に「私の貴方に対する評価はこういうものだが、まあ貴方はそれを参考にして、自分自身で反省してみなさい」と助言したのですが、貴兄にはそういう配慮の意味が、まったく理解できず、

『私は結構自分のことは分かっているつもりです。それと、囲碁に由来する「岡目八目」という言葉も示しているように、案外、自分のことより他人のことの方が正しく評価できる場合もありますよ。』

つまり貴兄は「私のことを一番分かっているのは私自身だと思いますが、貴方のことを分かっているのは他人である私(の傍目八目)の方なのではないでしょうか」などという、臆面のない「ダブルスタンダード」を自ら披瀝しまっているのでございます。

そして、こうなってしまうのは、貴兄の目には「自分を肯定するために、是が非でも否定すべきアレクセイ」という存在しかなく、「自分自身」がまったく視野に入っていない証拠であり、だからこそ、こんなお粗末な文章を書いてしまうのでございます。


> もちろん今回の論争についてはアレクセイ様は「全然だめ」、というのが私の率直な評価ですが、他の話題ではまた面白い知見を示して下さると期待しております。

斯様に「全然だめ」な貴兄に「全然だめ」と言われるのは、むしろありがたいところでございます。
ともあれ、貴兄はまだ私に何かを「期待」しているようでございますが、私の方は、今の貴兄にはまったく何も期待しておりません。
文字どおり「反省」ができない貴兄には「成長はない」からでございます。

> ニヒリストという私へのご評価は全く正しいものだと思います。ですから、今後私が書くものは結果的にアレクセイ様のご興味に沿えるものになるかと存じます。

貴兄には無理でございます。

貴兄がご自身を「アナキスト」「保守」「法学を思考の基礎的な構えとしている者」あるいは「ニヒリスト」だなどと言ってみても、それはすべて「格好良さげなレッテル」を自分自身に貼って、それを人に見せびらかしているだけであり、貴兄にはそんな「中身」はございません。
「自称の根拠(中身)がない」からこそ場当たり的に何とでも名乗れるし、その場に応じて「ダブルスタンダード」を使い分けることもできるのでございます。

いずれにしろ、私の貴兄に関する「ニヒリスト」という評価も「中身がないからこそ、相対主義を気どっているだけの、もっとも薄っぺらなニヒリスト」という意味であって、文学などで扱われる「ニヒリスト」とは「相対主義に関する掘り下げの真剣さ」が、ぜんぜん比較にならないのでございますよ。

そんなわけで、これ以上、貴兄の成長を期待してかまってあげるのは、(ネトウヨに対するのと同様に)「時間の無駄」だと確信いたしましたので、今後はここ「アレクセイの花園」への書き込みはご遠慮ください。
今の貴兄の、負け惜しみにしか見えない無内容な文章は、他の方への「お目汚し」でしかございません。

それでも私にかまって欲しいというのであれば、自己満足ではなく、人に読ませるに値する文章が書けたと思った時に、メールでそれをお知らせください。
それが多少なりとも評価に値するものになっていたならば、また声をかけさせていただくこともございましょうが、今のままでは、貴兄は、唯一まともにかまってくれる私に対して、ベタベタと甘えているだけであり、そこに成長はないからでございます。

くり返します。「自意識過剰な自己顕示欲に由来する、自己満足的で無内容な断言の羅列」ではなく、まずは「考える」ということをして下さいまし。それが「反省」です。
「自分がどう思うか」ではなく「人はどう考えるか」を斟酌した上で、それを含んでそれを越えるものを提示して下さい。そうでないかぎり、貴兄の書かれる「独白」は「他人の口真似」を一歩も出るものではなく、「論考」の名には値しないものなのでございますよ。

貴兄の成長を、期待せずに待たせていただきます。

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【「ヘイトスピーチの現時点における法規制の是非」に関するやりとり一覧】

(01)海原健叡  「在特会のことなど」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2302
(02)アレクセイ 「映画『フューリー』における信仰告白」 ※ 海原氏へのレス部分
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2303
(03)海原健叡  「ネットと権力と近代の再構~在特会を巡って~」
         (http://igo-omishiriokio.at.webry.info/201501/article_1.html
(04)アレクセイ 「迷えるイエスと迷える悪魔の対話」 ※ 海原氏へのレス部分
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2307
(05)アレクセイ 「トゥー・テ・ビアン」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2310
(06)海原健叡  『誰もが小さなロベスピエールになる~民主主義国家の原罪~』
         (http://igo-omishiriokio.at.webry.info/201501/article_2.html
(07)海原健叡  「再応答」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2312
(08)アレクセイ 「悪霊 あるいは 不可視の獄」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2313
(09)海原健叡  「どこどこまでも……」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2314
(10)アレクセイ 「「議論」とは何か」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2315
(11)海原健叡  「続けるか、打ち切るか」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2316
(12)アレクセイ 「学問の権威と権威主義の違い」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2317
(13)海原健叡  「法とは権威主義でフィクションである」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2318
(12)アレクセイ 「「問答無用の法学」論」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2319
(13)海原健叡  「「公理」は否定できない 」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2320
(14)海原健叡  「訂正」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2321
(15)アレクセイ 「海原健叡氏の論法とその本質」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2324
(16)アレクセイ 「「ヘイトスピーチの現時点における法規制の是非」に関するやりとり一覧」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2325
(17)海原健叡  「そして独白へ」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2326
(18)海原健叡  「経緯のまとめ」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2327
(19)アレクセイ 「肉を得た神のロゴス」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2328
(20)海原健叡  「マイウエイ」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2329
(21)アレクセイ 「海原健叡氏の「空虚な主体」とその自己証明」
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2330
(22)アレクセイ 「海原健叡氏の「空虚な主体」とその自己証明」〈補足改定版〉
         (http://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2331

http://www80.tcup.com/8010/aleksey.html

 
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