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『アイの物語』

 投稿者:ホランド  投稿日:2009年 8月 4日(火)23時15分43秒
   みなさん、こんばんは! ――と書いてみて、果たしてこの書き出しは、ボクのフォーマットとして間違っていなかったかなと、ちょっと不安になりました。そのくらい書き込みをしていなかったんです。ゴメンなさい。m(_ _)m

 どのくらい書き込みをしていなかったのか具体的に言うと、園主さまとの対談形式だった書き込み「日本推理作家協会理事長人事と笠井潔」が今年の5月24日で、それからでもおおむね2ヵ月半経ってますし、ボクの単独の書き込みは、なんと今年の2月10日の「『20世紀少年』第二部を観る。」。半年も前なんです・・・。

 園主さまの書き込みがない時こそボクが頑張らなくちゃいけないのに、ボクのほうも、しっかりサボりペースに陥ってしまって、園主さま以上にのんびりしてしまいました。
 今は、園主とボクの共用するこの古いパソコン(iMac)の調子がなぜか良くなってて、しかも園主さまも若干復調気味なので、ボクの方はそうでもないんだけど(笑)、ちょっとあせって書き込みをすることになりました。(^-^;)


 で、今日の話題は、ボクのお薦め本の紹介です。
 その本とは、SF作家山本弘の『アイの物語』(角川文庫)


『人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食糧を盗んで逃げる途中、僕は美しい女性型アンドロイドと出会う。戦いの末に捕えられた僕に、アイビスと名乗るそのアンドロイドは、ロボットや人工知能を題材にした6つの物語を、毎日読んで聞かせた。アイビスの真意は何か? なぜマシンは地球を支配するのか? 彼女が語る7番目の物語に、僕の知らなかった真実は隠されていた ― 機械とヒトの新たな関係を描く、未来の千夜一夜物語。』



 本作は、単行本刊行当時から絶賛され、いまや山本弘の代表作と見なされるようになった作品です。この作品の何が素晴らしいといって、そのテーマのスケールの大きさです。ロボットの目から見た「人間という生物」が描かれているのですが、この作品に描かれた人類像は、しごく当たり前のものでありながら、かつ「革新的に新しい」ものであって、まさに蒙を開かれる思いをさせられます。なんとなく「人間ってそんなもんだ」とは思っていたけど、(ロボットによって)そう定義されると、まさにそれ以外の何ものでもなかったんだと、唸らされるんですね。
 このあたりは、SFというジャンルの潜在力を、SFファンじゃない人にまで痛感させる作品に仕上がっています。また、非常に重いテーマを描きながらも、作者の根源的な「楽観性」が「人類にとって絶望と思えるものも、決して絶望ではない」のだと教えてくれる、最後までほの明かるさを失わない、そんな作品なのです。

 この作品には、ロボット・アイビスの語る7つの物語、

  「宇宙をぼくの手の上に」
  「ときめきの仮想空間」
  「ミラーガール」
  「ブラックホール・ダイバー」
  「正義が正義である世界」
  「詩音が来た日」
  「アイの物語」

が作中作として含まれますが、作品世界をまとめあげる最後の「アイの物語」をべつにすれば、他の6本のいずれもが独立した短篇SFとして傑作と読んでよい完成度を示しており、それでいて作品全体と密接巧妙に絡んでいるのですから、ここまでくればもう、完璧に構成された非のうちどころのない傑作と呼んでも、決して過言ではないでしょう。

 ネタを割るようなことは一切書きたくないので、外形的なことしか書けませんでしたが、深く重く壮大なテーマをを扱いながら、部分部分も面白ければ、全体としても面白い。『アイの物語』は、まさにそんな作品なんです。




 Keenさま

 以前のお書き込みにレスを差し上げられなくて、申し訳ありませんでした。
 いつまでもつのかはわかりませんが、パソコンが正常に機能している間は、ボクもレスをさせていただくよう頑張りますので、どうか見放さないで下さいね。(^-^;)

 朗報としては、最近、園主さまが少しずつ部屋の片づけを始めておられるので、新しいパソコンを設置するスペースの確保も、少しずつ現実味を帯びてきた、ということでしょうか。

 こないだ、園主さまご本人が「無料でもいらない」という本や雑誌を半分ぐらい含むアレコレ(段ボール箱2箱、大きめの手提げ袋2袋)をブックオフで処分したところ、5000円ほどにしかならなかったんですが、園主さまは「そんなもんだろうな」とおっしゃっていましたから、まともな本はぜんぜん売らなかったんでしょうね。今度は、専門の古書店に持ち込むらしい本を、同じくらいの量準備なさっていましたから、この調子で行けば、けっこう整理が進むんじゃないかと期待しています(笑)。



 KeenJr.@時雨詩亜さま

 はじめまして。ようこそお出でくださいました。
 また、ご挨拶が遅れてしまい、たいへん失礼をいたしました。どうぞ、ご勘弁ください。

 時雨さまは創作もなさるし、やはり読書がお好きのようですね。母娘で小説やマンガの話ができるなんて、すばらしい! よろしかったら、また気楽に書き込みにお出でくださいね。お待ちしております!



 さま

 このところ、読書が快調とのこと、とてもうれしく思います。ミクシイの方は覗けないので、気楽に書き込みに来て下さいね。園主さまが書き込みを再開し、ボクも復活したからって、安心して書き込みを止めるなんてのは無しですよ(笑)。



 均いちさま

 ホントにおひさしぶりです。ボクもまさか、あの均一蝋さんだなんて、まったく気がつきませんでした。でも、2回目の書き込みは、いかにもな感じですね。かっこ書きでツッコミを入れるところなんか、いかにも均一蝋さんらしい。
 この10年、正確には8年ほどですが、とにかくその間、まったく音沙汰のなかった均一蝋さんが、どのようなことに興味を持ち、どのようなことをなさっていたのか、何が変わって何が変わらなかったのか、――ボクにとっても、とても興味のあるところです(笑)。



 園主さま

 というわけで、お部屋の整理と言うか、本の整理と言うか、とにかくこの調子で頑張って下さいね。さすれば、新型Macを導入する日も、そう遠いことではないはずですよ!




 それでは、みなさん、おやすみなさい!(ハート)
 

均一蝋さまディゲイド

 投稿者:園主  投稿日:2009年 8月 3日(月)14時47分2秒
   均いちさま

あらためてレスさせていただきます。


> あの〜アレクセイ様、、なにをそんなにしらばっくれておられるんでしょうか??


しらばっくれてなどおりません。申し訳ございませんが、最初の書き込みだけでは、まったく思い出せなかったと申しましょうか、正確には気がつかなかったのでございますよ。

それにしても本当に、かの懐かしき「均一蝋hosoda」または「均一蝋」さまが、今になってご登場くださるとは、想像だにできないことでございました。せめて「均一蝋」と名乗って下されば、さすがの私も思い出したのでございますが、「均いち(きんいち)」では、てっきり男性かと思ったではございませんか。
それに当時は、書き込みの末尾を「失礼しましたーーーーーー!!!」という特徴的な形で統一なさっていたのに、今回は『失礼します、、』と、均一蝋さまらしからぬ、おとなしくかつまともな締めくくり。これでは10年ぶりのいきなりのご登場で、思い出せと言う方が無理でございますよ。(^-^;)


> 以前に下痢をおして高速バスで遊びにこられ、秋田町の『牛角』の焼肉もおごってくださったうえに、非常に貴重な大西巨人の『春秋の花』も下さったではないですか!!


そうでした、そうでした。どういう経緯か、詳しいことは失念いたしましたが、とにかくここ「アレクセイの花園」であれこれ相当にやりとりをしても、均一蝋さまの人間性と申しますかお人柄が、私にはいっこうに理解できなかったため、会いましょうかというお話に乗って、四国まで体調不良をおして「この目で確かめに」参ったのでございますよね。――そうか、『春秋の花』の単行本が刊行された当時でございましたか。


> そうかー!!10年も前だし、察するに私がすっかり年とってデブでババアになっているのだろうと思われるためにバッタリ会ったらと考えるだに恐怖なので、知らないフリをしているんですねえ。(一部甘い)私は自分で言うのも何ですが、20代の同館でお仕事している男の子やもうちょっと上の若者にもモテているんです。(トシを知らないらしい・・)もしそんなことに変わり果てていたとしてもですよ、、友だちじゃないですかー!!(知らん?まあそうかも)


いえいえ、だからそれは邪推というもの。『友だち』甲斐が無いと言われては言い訳の余地もございませんが、本当に思いだせなかっただけなのでございます。
そして、『友だち』として保証させていただきますが、たしかに10年前の均一蝋さまは、独特の雰囲気をもった、きれいな女性でございましたよ(笑)。


> いやべつに、そのうち別館を建て増ししたり、耽美だの画像だのそっちをやるついでに自分の加工修正した人物の画像を出したりすることがあっても、アレクセイ様にはアドレスをお教えしませんので、ご安心ください。。


昔、誰ぞやが、均一蝋さまのサイト(トップページが2枚ある)を作ってくれたのでございましたよね? 私もご教示いただいてからしばらくは、時たま覗いていたのでございますが、まったく更新がされないままに、だんだんコンテンツのリンク切れなども出てきたので、これはやる気がなくて放置しているのだなと理解し、覗かなくなったというような記憶がございます。あのサイトが、今も続いているということなのでございましょうか?


> 2ちゃんねるは、しつこく読んでいると(そんなにしらみつぶしにも読んでないけど)有意義な情報があったりもします。そこに行き当たるまでに、時間はかかりますが、、


それは私の承知しております。今はどうか知りませんが、かつて世間に悪名が轟き「祭」が盛んだった当時、それでも専門技術系の板では、本物の専門家が最先端の議論をしていたというような話もうかがっておりましたから。

しかし、それはあくまでも、そういう「例外もある」という話で、大半はゴミ情報の山であったという事実は確かでしょうし、だからこそ『しつこく読んで』いないと『有意義な情報』も見つからないのだと存じます。そして、そんな宝探しみたいなことは、暇な方でないとできるものではございませんから、私は「2ちゃんねる」を『お暇な方にはもってこいの遊び場』だと評したのでございます。


>  たとえば、民主党が出している、もっとも有権者の拒否反応が強い「在日の人への参政権・外国人の参政権」については、最近では、じつは毎年1万人以上の帰化が生じていて、年々増えてきているとか、日本人になったらこっちのものだから「帰化したら100万差し上げます」というような形の方がトクではないのかと、思いませんか?簡単に人口も増えるし、もともと日本は帰化人が多いし、さらにその遺伝子が加われば、優秀になったり、新しい芸能やアニメなんかの才能が発生したり、、


あいかわらず荒っぽいご意見でございますね(笑)。
悪気なく書いておられるというのは、均一蝋さまをある程度知っている者ならばわかるのでございますが、知らない人が読めば、真面目な話題をふざけて語り、おちょくっている、というふうにしか受け取られないのでございますよ、こういう書き方では(^-^;)。


> そうだ、私の中学の同級生の女の子も、トヨタの社員と結婚したのですが、途中から創価学会員になり、バリバリの弁論家に磨きがかかっていて、今はつきあいがないけど、結婚式に大阪に呼ばれたときにですね、創価学会の僧侶が来て、祭壇を作り、長い長い念仏を2人揃って何も見ずに一言一句間違えずに唱えたのをきいたときには「人間の能力ってすごいなあ」と思いました。。


あれは「勤行」と申しまして、創価学会員なら毎日朝晩やっていることでございますから、そう感心なさるほどのことではございませんよ。練習すれば誰にでもできることなのでございます(笑)。


> うちの組織でも、あることで全国トップの実績を上げたのは、創価学会員(現役)で、意欲とイキオイがすごいし発表してもバリバリです。


創価学会員だから『意欲とイキオイがすごい』のではございません。その方が、個人的にそういう方なのでございますよ。
当然のことながら、創価学会員にもいろんな方がおります。意欲バリバリの人もいれば、のんびり屋も不平屋もいる。喧嘩っ早い人もいれば優しい人もおります。そういう点では、創価学会員は世間一般と大差はないのでございます。


> いずれにしても、8月30日の投票日には、みんなで麻生総理を応援しましょう!!


それは無理でございましょう(笑)。麻生さんは、頭が悪すぎますよ。
べつに、民主党や共産党が良いとは申しませんが、さりとて今の麻生自民党を支持せよというのは、もともとの自民党支持者に対してさえ、酷な注文なのではないでしょうか?


> お盆には、みなさん阿波踊り見物にぜひぜひ!高速バスを予約しましょう!(徳島駅を起点に歩いてぜんぶ見物に回れます)お休みの取れる人は、よさこい祭りも行きましょう!


今度はいきなり、郷土の宣伝でございますか。こういう脈略のなさが、均一蝋さまの特徴なのでございますよね。(^-^;)
ま、それにしても、こちらなら賛成できます。とは言え、私は世間より一月早い夏休みをとって、7月11日から16日まで東京へ行って遊んでまいりましたので、徳島まで遊びに行く予定は立てられそうもございませんが……。


> おおー!パジェロミニの中古・・たのしそうですねー!車種がアレクセイ様らしいスタンスで、、


いやいや、仕事で山間部へ行く必要があるかも知れなかったので4WDが良いということとなったものの、仕事のための必要で購入する車に、あまりお金を賭けたくなかったので軽に決めた結果、人の勧めでパジェロミニの中古しただけの話でございます。



> 去年、京極先生のおっかけで、握手もしていただいたりした時に、自分の乗ってるのが、借金で買ったカローラのいちばん安いやつで、おっさん車で「これではちょっと、私がご案内しましょうか、だの言えない!!!ああ、やっぱりタダ同然のベンツの中古にしたかったのに・・山のてっぺんで止まったら携帯も持ってないし」と残念でした。。


去年、京極夏彦の追っかけをしたのでございますか? かなり時期遅れのような気がいたしますが……。
たしか、均一蝋さまは、私の良く知らない「細田」さまを熱愛して追っかけておられたほか、『名張人外境』の中相作さまや翻訳家・批評家の山形浩生の追っ掛けをなさっていたと記憶するのでございますが、そのあたりの方への情熱は、もうお冷めになったのでございましょうか?

あっ、それから、10年ぶりのお書き込みでございましたが、この間「アレクセイの花園」を時々覗いて下さっていたのでございましょうか?

また、まったくお変わりのないご様子ですが、この10年間、均一蝋さまがどのようにしておられたのか、良かったらお聞かせくださいまし。




それでは、本日はこのあたりで失礼させていただきます。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

びっくり仰天!

 投稿者:園主  投稿日:2009年 8月 3日(月)01時25分21秒
   均いちさま

驚きました。あの、均一ろうさまでしたか!

しらばっくれたのではございません。本当に思い出せなかったのでございます。

「均いち」というハンドルから、てっきり男性というイメージを持ってしまいました。文章だけでは、なかなか性別は分かりにくいし、ただでさえ貴女さまはよくわからない方で、だからこそ私も10年前に、わざわざ会いに行かせていただいたのでございますからね(笑)。
しかし、理由はどうあれ、たいへん失礼をいたしました。

残念ながら、今は時間がございません。後刻じっくりとレスさせていただきますので、どうぞご容赦くださいまし。m(__)m
 

いよいよ選挙ですよね

 投稿者:均いち  投稿日:2009年 8月 2日(日)23時49分17秒
   あの〜アレクセイ様、、なにをそんなにしらばっくれておられるんでしょうか??

 以前に下痢をおして高速バスで遊びにこられ、秋田町の『牛角』の焼肉もおごってくださったうえに、非常に貴重な大西巨人の『春秋の花』も下さったではないですか!!

 そうかー!!10年も前だし、察するに私がすっかり年とってデブでババアになっているのだろうと思われるためにバッタリ会ったらと考えるだに恐怖なので、知らないフリをしているんですねえ。(一部甘い)私は自分で言うのも何ですが、20代の同館でお仕事している男の子やもうちょっと上の若者にもモテているんです。(トシを知らないらしい・・)もしそんなことに変わり果てていたとしてもですよ、、友だちじゃないですかー!!(知らん?まあそうかも)
 いやべつに、そのうち別館を建て増ししたり、耽美だの画像だのそっちをやるついでに自分の加工修正した人物の画像を出したりすることがあっても、アレクセイ様にはアドレスをお教えしませんので、ご安心ください。。

 まあそんなことはいいのですが、、、
2ちゃんねるは、しつこく読んでいると(そんなにしらみつぶしにも読んでないけど)有意義な情報があったりもします。そこに行き当たるまでに、時間はかかりますが、、
 たとえば、民主党が出している、もっとも有権者の拒否反応が強い「在日の人への参政権・外国人の参政権」については、最近では、じつは毎年1万人以上の帰化が生じていて、年々増えてきているとか、日本人になったらこっちのものだから「帰化したら100万差し上げます」というような形の方がトクではないのかと、思いませんか?簡単に人口も増えるし、もともと日本は帰化人が多いし、さらにその遺伝子が加われば、優秀になったり、新しい芸能やアニメなんかの才能が発生したり、、
  http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1246544088/l50

  http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1249091465/l50

 そうだ、私の中学の同級生の女の子も、トヨタの社員と結婚したのですが、途中から創価学会員になり、バリバリの弁論家に磨きがかかっていて、今はつきあいがないけど、結婚式に大阪に呼ばれたときにですね、創価学会の僧侶が来て、祭壇を作り、長い長い念仏を2人揃って何も見ずに一言一句間違えずに唱えたのをきいたときには「人間の能力ってすごいなあ」と思いました。。
 うちの組織でも、あることで全国トップの実績を上げたのは、創価学会員(現役)で、意欲とイキオイがすごいし発表してもバリバリです。

 いずれにしても、8月30日の投票日には、みんなで麻生総理を応援しましょう!!

 お盆には、みなさん阿波踊り見物にぜひぜひ!高速バスを予約しましょう!(徳島駅を起点に歩いてぜんぶ見物に回れます)お休みの取れる人は、よさこい祭りも行きましょう!

 おおー!パジェロミニの中古・・たのしそうですねー!車種がアレクセイ様らしいスタンスで、、去年、京極先生のおっかけで、握手もしていただいたりした時に、自分の乗ってるのが、借金で買ったカローラのいちばん安いやつで、おっさん車で「これではちょっと、私がご案内しましょうか、だの言えない!!!ああ、やっぱりタダ同然のベンツの中古にしたかったのに・・山のてっぺんで止まったら携帯も持ってないし」と残念でした。。

 失礼します、、
 

言語行為における2つの側面

 投稿者:園主  投稿日:2009年 7月31日(金)22時19分34秒
  みなさま、私が先日アップいたしましたテキスト「戦争犯罪人・冬柴鉄三と 関西創価学会の選挙戦」に対し、興味深い「2つの対照的な投稿」がございました。もちろん、


 (1) 均いち「(通称)売国奴・民主党とフリーメイソン鳩山由紀夫」

 (2) 淳「「諸仏の智慧は無量なり」と説かれてるにも拘らず…」


の2つでございます。(※ ちなみに、淳さまの書き込みは、均いちさまの書き込みをアップする前になされており、その書き込み内容を知らずに書かれたものでございます)


端的に申しますと、両者は個々別々に見るならば、さほど目新しい内容があるわけではないのですが、この「対照的な2つの文章」を比較することで、「言語行為」というものの、ある種の実際を具体的に垣間見ることができ、その点がとても興味深いと思うのでございますね。

現代思想の方では良く知られる、J.L.オースティンの言語行為論における用語に「コンスタティブ/パフォーマティブ」というのがございます。翻訳すれば「内容/振る舞い」ということになりましょうか。つまり、言語行為には「語られた内容/語りの形(=語り方)」という「2つの側面」があるということなのでございます。

例えば、「同じ内容」を語っていても、一方は「自身の存在を賭けた真摯な語り」をし、もう一方は「コピペによる知ったかぶりの語り」を語ったとします。この場合、人(読み手・聞き手)は、そこでの語りが「同じ内容」であるにもかかわらず、前者の言葉には深く納得したり感動したりするのに、後者の言葉は歯牙にもかけず聞き流すという態度を取りがちでございます。これは「内容主義」からすれば「おかしい(不当だ)」ということにもなるのでございましょうが、言語行為論の指摘によれば、言語行為とは、もともと「内容=コンスタティブ」のみには非ず、もとより「語り方=パフォーマティブ」の側面をも併せ持っているものなのだ、ということなのでございますね。

ですから、人(読み手・聞き手)の心(知性と感情)に十全に訴えるには、「内容/振る舞い」の両側面に働きかける「内実のある、誠実な語り」を為さなくてはなりません。しかし、この両立はなかなか難しい。たいがいは、どちらか片方に傾きがちなのでございますが、ただ人(読み手・聞き手)は、「語り」の「内容」を検討する前段として、そもそもその語りがまじめに検討するに値するものかどうかという点を検討するものでございますし、その段階で問題となるのは「パフォーマティブ(振る舞い=語りの形=語り方)」の部分なのでございますね。
つまり、その人が「誠実な語り手か否か」という点が「内容の検討以前の要件」とされ、いくらもっともらしいことを語っていたとしても「こいつは不誠実なやつだな」と見て取れば、人(読み手・聞き手)は、その語りを「話半分」にしか受け取りません。逆に「誠実な語り手」だと判断すれば、たとえ「内容」が不完全・不十分なものであっても、読者・聞き手の方で好意的に「意を汲んで」くれるのでございます。

で、こうした観点から、「均いちさまの文章」と「淳さまの文章」(さらには、私の文章)を比較した場合、みなさまには、言語行為における「コンスタティブ/パフォーマティブ」ということの意味が、はっきりとご理解いただけるのではないかと思うのでございます。

もちろん、言語行為には「語る(聞く)に値する内容」が求められるというのは、理の当然だと存じます。しかし、「優れた内容を語る」だけならば、優れた学者や思想家の「口まねをするオウムや九官鳥(=コピペ)」にでも、それは容易に可能でございましょう。ですから、人(読み手・聞き手)の心(知性と感情)に訴えるには、まず「語りの形」に表れた「語り手の誠意」が必要なのでございます。

そして、蛇足しておきますならば、「語りの形」とは、単に「語り口(口調)」のことを指すのではございません。
「語りの形」には、語り手の「責任の引き受け姿勢」だとか「語りの場所の選択」などといった「語り口(口調)」以前の要素も含まれます。
つまり、「有名大学の教授が実名で、学術誌などで語る」のと「匿名の人物(=責任主体を示していない人物)が、2ちゃんねるなどで語る」のとでは、たとえ「内容的(コンスタティブ)には、まったく同じ語り」だったとしても、人(読み手・聞き手)は「信憑性」の問題として、まずは前者に重きを置く、というのは「当然の判断」なのでございますね。なぜなら、「頭の悪いアマチュア」ならば「内容/コンスタティブ」の側面はコピペで誤魔化しても、「語りの形/パフォーマティブ」の側面までは知恵が回りませんし、その点でその正体を見抜くこともわりあい容易なのでございますが、、プロの詐欺師・ペテン師ならば「誠実そうな語りの演技」において「語りの形/パフォーマティブ」の部分にも、当然の配慮をいたします。しかしながら、詐欺師にできるのはそこまでで、彼に「誠実そうな演技」は出来ても「自分の身元(責任の所在)を明白にする」ことまではできず、自ずとそこは誤魔化そうといたしますから、その「身振り=パフォーマティブ」において、慎重な人(読み手・聞き手)は、彼の語りの本質を正しく「偽物(騙り)」だと洞察することもできるのでございます。




 均いちさま

(通称)売国奴・民主党とフリーメイソン鳩山由紀夫


お書き込み、ありがとうございます。


>  アレクセイ様、お久しぶりでございます。


失礼ながら、どちらでお会いしましたでしょうか?
ハンドルネームだけで知っているの方というのは、よほど個性的な発言をなさっている方でないかぎり、時間の経過とともに、誰が誰だったかわからなくなってしまいます。
均いちさまは、そのお名前では、サイトやブログをお持ちではないですよね?


> あのーー私が極右でカラオケでは同期の桜が好きだから言うわけでもないのですが、冬柴幹事長のことを、心良く思われておられないようですが、公明党は非常にまっとうで、所得のない人のお世話もしているし、よっぽどのことがなければ、それは人間だから、時と場合によっては、人の道を踏みはずす言動も出ないとも限りませんがですね、だいたい今の人たちよりも、常識人で苦労人で、宗教のイキオイを借りて、すごく頑張るので、知能も高い人が多いように思うのですが・・・


そのとおりだと存じます。私は、いまでも創価学会員の方とおつき合いがございますし、彼らの多くが「普通のいい人」や「学歴者」であるというのは、よく存じております。
しかしながら、彼らが「普通のいい人」「学歴者」に止まるからこそ(「正しい信仰者」になれないからこそ)、信仰においては無思考の「妄信」に沈んで、「政治利用」されたり、「戦争」を支持・加担させられたりする(等して、それと知らずに謗法を犯す)のでございますね。

冬柴鉄三に関しても、彼が単なる街場のオヤジであれば、少々無責任なことを言ったって許されるのでございますが、彼の場合は明らかに「公人」でございます(し、「信仰者」でもございます)から、その言動には自ずとその社会的地位に準じたの責任がともない、間違いがあれば批判されて然るべきだし、自ら反省しなくてはいけない。しかし、冬柴はそれをしない「不誠実な政治家」であり「戦犯創価学会員の親玉(の一人)」なのでございます。


> 2ちゃんねるの政治スレも活発に議論が出ていますので、なんでしたら書き込みに行かれては・・・??


『2ちゃんねるの政治スレ』の『活発に議論』も、暇つぶしとしては大いに結構でございます。堂々回りの議論を飽きもせずにできる、お暇な方にはもってこいの遊び場だと、私は高く評価しております。
――まあ、このような評価は、ごく平凡・一般的なものなのではございましょうが(笑)。


> しかし必要以上に政治が好きになると、生活していくうえで、デメリットになることはあっても、あまりメリットはないのかも・・(こりている)公明党の批判ぐらいのスタンスが無難かもですね。(えらそーに)


いやいや、私が批判しているのは「公明党」ではなく「創価学会員」なのでございますよ。かつての古巣に対する愛情の故に、無駄と知りつつも書かずにはおれないというところがあるのでございますね。
それに比べたら、自民党とくっ付いて以降の公明党など、批判にも値しない「凡庸な既成政党のひとつ」にすぎないと存じます。


> ところで車を買われたそうですが、何に乗っておられるんですか?内緒なら結構です。


パジェロミニの中古でございます。運転はそれなりに楽しゅうございますが、しかし、より高性能な高価な車が欲しいとまでは思わないので、車好きというわけではないようでございますね(笑)。



 さま

「諸仏の智慧は無量なり」と説かれてるにも拘らず…

> 僕の父は非活ですが、愛する母が熱心(盲目)なので、とても悲しい時節となっています。

>「公明党応援してくれない?いつまでも強情張ってると福運が逃げちゃうよ…」

> 愛する母だけに、この無知蒙昧には泣きたくなります。
> 母を、"ここまでにしたもの"に怒りを禁じえません。
> 純朴で清純で愚直で素直であることの一面における恐ろしさ。
> 彼女は元来の白痴であったのか、それとも白痴にさせたのか…


お母上へのやりきれない思い、察するにあまりあるものがございますが、信仰的な観点から申しますと、お母上の信仰が誤っていればこそ、淳さまは「正しい信仰の何たるか」を真剣に考えざるを得なかったのでございますから、お母上の誤った信仰は、淳さまが正しい信仰のあり方を突き詰めるための、重要な機縁(逆縁的契機)なのだとも申せましょう。つまり、たとえ母上が生涯、誤った信仰から抜け出られなかったとしても、そのことによって淳さまが正しい信仰の道につくのならば、お母上はまさにそのことによって「菩薩としての使命」を全うし、成仏の道も開かれるのだと申せましょう。
仏菩薩は、人を仏道につかせるために、時には悪鬼羅刹に変じて、その人の信仰を試し鍛えます。それと同様に、親は子の信仰のために、あえて誤った信仰に落ちて見せることもございましょう。もちろんそれは、人が意識的に為すことではございませんが、そうしたところにこそ信仰の「不可思議」があるのではないかと存じます。


> 恩着せがましいことで有名な創価学会ですので、母やこれまでの創価学会への報恩感謝のためにも、膝を付き合わせた言論を展開したいのですが、これまでも(特にイラク戦争時)自分なりに、幾度となく破折してきたつもりです。しかし、僕はもう限界で、創価学会という組織体に見切りをつけました。


人を批判して正道につけようという努力は、決して義理や義務でできることではございません。ですから、無理をすることも負担に感じることもございません。己に「仏心」が生じた時に、自然とそれはなされているものなのでございます(我並びに我弟子、諸難ありとも、疑ふ心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ)。


> このところの活字への欲求亢進で、時勢的にタイミングよく『立正安国論講義』を手にし、大聖人の身命を賭した国家諫暁の御書を拝し、不覚にも涙してしまいました。僕は組織体に属することは出来ませんが、やはり信仰者でありたいと願う人間です。信仰を捨てることは出来ないのです。


べつに信仰を捨てる必要はございません。しかし、信仰を持つ以上は、無信仰にも劣るような信仰であってはならない、ということでございましょう。

ちなみに、多くの読書経験を経た後の『立正安国論講義』読解というのは、かつてのそれとは自ずと視点も違っており、いろんな意味で興味深うございましょう?
読書とは、その書物の内容に検討を加えながらなすべきものであって、その内容を鵜呑みにするものではございません。しかしながら、信仰者にはしばしばそれができないし、時にはそれをしてはいけないこと(全肯定すべき)だなどと教えられ、洗脳されるのでございますね。


> この池田SGI会長が著した(とされる)『講義』部分には、現在の公明党と創価学会の関係性を鑑みると、あまりに皮肉にも自家撞着している点が多々散見され辟易します。


「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申しますが、私たちといたしましては、せめて池田大作氏が、すくなくともかつては『麒麟』であったと思いたいものでございます。


> 僕は、王仏冥合に関して、本心から具現すべきだと思っています。だからこそ、王法(=立法/権力)と仏法(=仏法精神)が全く「冥合」していないことどころか、仏法精神に違背していることに激憤しているのです。
> 無論、現在の王法である「立法上の表層面」においては、政教は分離されるべきですが、仏法者を自認する人間を権力の座に据える以上、内実、内省においては、"イラク戦争支持"において顕著にみられた、政教が分離して仏法者として恥ずべき所業(謗法)など出来る筈がないのです。


そのとおり。「王仏冥合」論を本気で考えている公明党員など、一人もいないことでございましょう。考えておれば、自民党と汲んで折伏精神を捨てたり、イラク戦争を支持したりなど、できる道理がないのでございます。


> 「創価学会員はいまこそ国家諫暁のときではないのか?」

> と願っても、無駄な話であることを重々承知している虚しさ。


もちろん、そうでございましょう。なにしろ今の公明党=創価学会は、国家諫暁する側ではなく、される側なのでございますからね(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

「諸仏の智慧は無量なり」と説かれてるにも拘らず…

 投稿者:  投稿日:2009年 7月31日(金)02時09分30秒
  いよいよ選挙ですね。

僕の父は非活ですが、愛する母が熱心(盲目)なので、とても悲しい時節となっています。

「公明党応援してくれない?いつまでも強情張ってると福運が逃げちゃうよ…」

愛する母だけに、この無知蒙昧には泣きたくなります。
母を、"ここまでにしたもの"に怒りを禁じえません。
純朴で清純で愚直で素直であることの一面における恐ろしさ。
彼女は元来の白痴であったのか、それとも白痴にさせたのか…

恩着せがましいことで有名な創価学会ですので、母やこれまでの創価学会への報恩感謝のためにも、膝を付き合わせた言論を展開したいのですが、これまでも(特にイラク戦争時)自分なりに、幾度となく破折してきたつもりです。しかし、僕はもう限界で、創価学会という組織体に見切りをつけました。

このところの活字への欲求亢進で、時勢的にタイミングよく『立正安国論講義』を手にし、大聖人の身命を賭した国家諫暁の御書を拝し、不覚にも涙してしまいました。僕は組織体に属することは出来ませんが、やはり信仰者でありたいと願う人間です。信仰を捨てることは出来ないのです。

この池田SGI会長が著した(とされる)『講義』部分には、現在の公明党と創価学会の関係性を鑑みると、あまりに皮肉にも自家撞着している点が多々散見され辟易します。

僕は、王仏冥合に関して、本心から具現すべきだと思っています。だからこそ、王法(=立法/権力)と仏法(=仏法精神)が全く「冥合」していないことどころか、仏法精神に違背していることに激憤しているのです。
無論、現在の王法である「立法上の表層面」においては、政教は分離されるべきですが、仏法者を自認する人間を権力の座に据える以上、内実、内省においては、"イラク戦争支持"において顕著にみられた、政教が分離して仏法者として恥ずべき所業(謗法)など出来る筈がないのです。

「創価学会員はいまこそ国家諫暁のときではないのか?」

と願っても、無駄な話であることを重々承知している虚しさ。
 

(通称)売国奴・民主党とフリーメイソン鳩山由紀夫

 投稿者:均いち  投稿日:2009年 7月31日(金)00時18分51秒
   アレクセイ様、お久しぶりでございます。
 http://cpch.jp/archives/4074#more-4074
 あのーー私が極右でカラオケでは同期の桜が好きだから言うわけでもないのですが、冬柴幹事長のことを、心良く思われておられないようですが、公明党は非常にまっとうで、所得のない人のお世話もしているし、よっぽどのことがなければ、それは人間だから、時と場合によっては、人の道を踏みはずす言動も出ないとも限りませんがですね、だいたい今の人たちよりも、常識人で苦労人で、宗教のイキオイを借りて、すごく頑張るので、知能も高い人が多いように思うのですが・・・
 大阪の創価学会のことはわかりませんが、尼崎で田中康夫が苦戦というのも、「それはよかったのでは」と思います。田中康夫は長野県知事になったものの、長野県が田中康夫の独断によって、インフラの予算が必要ないとなったら、となりの県に回るだけだし、そんなことでインフラが遅れたりして県益に反したので、「知事には珍しく1期で負けて」、そのあとよくわからなかったり何をしているのか知らないんですけど、、、知事と言えば、今は権限がすごく大きくなっていて、もっとも有権者に根ざした政治を自分はよかれと思ってやって失敗したわけで、とても好意的に見る気になれません。(さむ〜)
 http://cpch.jp/archives/4074#more-4074
 民主党の鳩山由紀夫にしても、個人献金だの、人の名前を100人以上勝手に出して、個人情報もクソもない、デタラメな献金を作って、さらにそれを総務省の役人にありもしない税額控除を発行させるという税金のムダ使いをして小沢党首には「説明責任を果たせていない」としつこく言っていながら、自分はそれ以上の説明もせずに「へへーんだ」みたいな態度で責任も取らないし、財源の計算がおかしいと問題になったら、けっきょく説明もせずに「財源はあるんです」の一点張りで、さらに追求されると「自民の公約はできてないじゃないですか」と、急に話をすりかえてですね、「これで外交がいけるのか」というようなお粗末な有様だし・・公約にしても手当て関係に所得制限がないからムダの多すぎるバラマキだし、「それ自体がムダという観点が抜け落ちている・・」と思うし、けっきょくツケはですね、アレクセイ様の将来的な年金が2分の1になったり、年金の紙幣価値が2分の1になったり、年金や税金の未納者やサラリーマン主婦の年金も免除のまま、ということで先にバラマキをやれば、「社会保障のために欧米並みに必要なんです」と消費税が20%になるとか、税収は3.4兆円もへっているのに、計算が合わないし、さらに中央以外の予算(一般には地方と言われている分)を4兆円へらしてムダをなくす、と言っても、今までに地方はすでに4兆円へってて「疲弊している」と言われているのに、たちまち問題になりそうだし、「鳩山由紀夫が責任を取って辞職してすむ話ではない」と思いますし、鳩山由紀夫のじーさんの鳩山一郎が、フリーメイソンになって、ロシアに北方領土を渡してしまった、それで麻生総理のじーさんの吉田茂に更迭された、というような話がもっぱら出回っているのですが・・・鳩山由紀夫も、今は次の選挙の公約で、外国人の参政権だの、またも、「売国」と言われる、あとあと「日本に禍根を残す」ようなことを平気で出してきている、、
 「そんな民主党には日本をまかせられない」「民主党が政権を取ったら日本が終了する」とニコニコ動画にも、アレクセイ様の好きなピュアな10代の若者が、熱い書き込みをしているそうですよ〜
 2ちゃんねるの政治スレも活発に議論が出ていますので、なんでしたら書き込みに行かれては・・・??
 しかし必要以上に政治が好きになると、生活していくうえで、デメリットになることはあっても、あまりメリットはないのかも・・(こりている)公明党の批判ぐらいのスタンスが無難かもですね。(えらそーに)
 ところで車を買われたそうですが、何に乗っておられるんですか?内緒なら結構です。

 じゃー失礼いたします、、
 

戦争犯罪人・冬柴鉄三と 関西創価学会の選挙戦

 投稿者:園主  投稿日:2009年 7月25日(土)23時52分46秒
  みなさま、本日は「衆院選と公明党と創価学会」について書いてみたいと存じます。
まずは、本日(2009年7月25日)の『毎日新聞』大阪版朝刊から、関連記事を引用ご紹介いたします。



『 激流’09夏:ドキュメント衆院選 尼崎、夏の陣 田中氏と冬柴氏、兵庫8区で激突

 24日午後、兵庫県尼崎市で、与野党の党首がプライドをかけて激突した。一方は、民主党代表の鳩山由紀夫。兵庫8区(同市)から出馬する新党日本代表の田中康夫を伴い、阪神尼崎駅前の商店街で買い物客らに取り囲まれた。もう一方は、田中を迎え撃つ元国土交通相・冬柴鉄三を応援する公明党代表の太田昭宏。鳩山を意識するかのように、ほぼ同時刻、わずか約2キロ離れたJR尼崎駅前で熱弁をふるった。(以下略)』



攻勢をかける民主党が、与党公明党の大物冬柴鉄三の選挙区に刺客として送り込んだのは、元長野県知事で新党日本の現代表である田中康夫でございます。
田中康夫は、一橋大学在学中『なんとなく、クリスタル』で文藝賞を受賞し、同作品は「クリスタル族」と呼ばれる若者風俗を生み出すほどの一大ブームを巻き起こした作品でございますが、その田中が長野県知事となって政治家に転じ、改革派知事の先駆けとなったのは、まだ記憶に新しいところでございましょう。2006年8月に長野県知事選で惜敗した後、2007年7月の参議院議員に当選。 現在は、参議院国土交通委員会委員であり、以前は国土交通相つまり「土建行政の親玉」であった冬柴鉄三を攻撃する立場であった、というわけでございます。

しかしながら、私がここでみなさまに注意喚起しておきたいのは、冬柴鉄三は「イラク戦争」開戦時の公明党幹事長であり、それまで「平和と生活の党」であった公明党を、アメリカの『イラク攻撃』支持へと方向転換させた「戦犯」であるという事実でございます。つまり、冬柴は「イラク戦争」のおける「ブッシュ政権の手先」であり「公明党タカ派」の代表的人物だということなのでございますね。

イラク戦争開戦(2003.03.19〜20)直前の2003年3月3日、私はこのサイトに「不良・創価学会員によるアメリカ「イラク攻撃」支持の公明党批判 君よ、如説修行の行者たれ!」という論文をアップしております。
そのなかに、当時『産経新聞』に連載されていた『「イラク攻撃」日本の責任』の第5回(2003年2月22日付け)として、冬柴鉄三公明党幹事長(当時)の談話をまとめたものが、『国際社会と無法者との対立』という見出しつきで掲載されていたのを、全文引用して紹介しております。それをここで再紹介し、冬柴が当時どのように「イラク戦争を正当化して、開戦に加担したか」を、再確認していただきたいと存じます(原論文ページには、新聞記事の画像も掲載されております)。



『 イラク問題は「フセイン大統領と国際社会との対立」であって、「米国が戦争・それ以外が平和」ということではない。目的は大量破壊兵器などの完全廃棄で、これが国際社会の脅威になっていることが問題なのだ。テロリストに科学兵器が回ったら大変なことになる。
 全世界で反戦デモが起きているが、大量破壊兵器などの廃棄を求める圧力を戦争と連想しているようだ。しかし国と国の対立ではなく、「国際社会対無法者」という構図であることを忘れてはいけない。
 日本の対応について対米追従との批判がある。しかしこの批判はあたらない。日本は国際協調を重視しながら対応している。一部の国は査察強化で対応すべきだと主張しているが、問題はフセイン大統領が協力しない限り完全な査察はできないということ。足りないのは大統領の誠意で、大統領が心変わりするには究極の圧力が必要だ。
 公明党内では「米国が武力攻撃するには新たな国連決議が必要だ」というコンセンサスはできている。もちろん武力行使容認がまとまっても、すぐに攻撃すべきではない。あくまでも武力容認決議は最終的な圧力で、米国にもそうなるようお願いしている。
 仮定の話は避けたいが、新たな決議がないまま米国が攻撃に踏み切った場合、主要国の大半が静かなる承認というケースもありうるだろうし、原理主義的に「支持しない」というほど頭が固いわけではない。
 個人的な考えとしては、国民の合意があれば国連を中心とした集団安全保障体制に参加することに賛成だが、今回も精神としてはそういうことを射程に考えてもいいのではないかと思う。
 イラクの復興支援も今後、議論になるだろう。日本は中東に原油を依存しており貢献することは当然。国際協調、中東地域の安定が日本経済の安定につながることを踏まえるべきだ。
 その仕組みとして国連平和維持軍(PKO)がある。現行のPKO協力法の枠組みでは、派遣の要件など難しい部分もある。イラク問題のために特別措置法が必要な場面も出てくるかもしれない。
 明確な武力行使を目的としたものはできないということ。周辺国への難民支援や医療支援など、交戦状態の中でも実施しないといけないケースも想定される。武器使用についてよく議論になるが、これは国民とともに議論を積み上げないといけない話。武器使用と武力行使は違うという側面 をきちんと考えるべきだ(談)』



「フセイン・イラクは、大量破壊兵器を所有している」「テロリスト・ビンラディンとつながっている」という「イラク攻撃の大義名分」も、今となってはアメリカ政府自身が認めた、侵略戦争を仕掛けるための「ウソ八百(政治的謀略)」であったことは周知の事実でございますが、日本国民の多く、なかんずく創価学会員・公明党の支持者は、この重要な事実を、すでに忘却していることでございましょう。だからこそ、イラク戦争後も、冬柴がずっと公明党の重鎮として君臨し、大臣にまでその名を連ねてこれたのでございますね。

しかしながら、ウソ八百に端を発した戦争によって、いったいどれほどのイラク国民の尊い命が奪われたのでございましょうか? もちろん、戦勝国や戦後イラクに樹立された傀儡政権の発表は、かなう限りその数をすくなく見積もっているようでございますが、戦争とその後の内戦を含む混乱でイラク人の死者数は、100万人にも達しているという数字が出ているのございます。しかも、子だくさんで平均年齢の極めて低いイラクでは、この人数の半分近くが子供であるとも言われております。

こうした100万人にも昇る死者を出した戦争を支持し仕掛けた責任を、冬柴は、公明党は、創価学会員は、はたしてどう考えているのでございましょうか?
――たぶん、何も考えてはおりません。「そんなのは過去の話であり、私たちは未来の世界を築くために前向きに頑張っている」と無内容に答えるのがせいぜいで、要は「忌まわしい過去の記憶」には蓋をして、忘れてしまおうとしているのでございます。

しかし、それで済むのか、仮にも「日蓮大聖人の末弟子」「地湧の菩薩の眷属」を名乗る創価学会員に、そんな非人道的な態度が許されるものなのか?
もちろん、そんな者は所詮、退転謗法の徒でしかございますまい。

冬柴や公明党の言い訳は「アメリカ政府の情報に騙された」といったところなのでしょうが、多くの人を導く立場にある彼らが、「騙された」んだから「仕方がない」「私の責任ではない」で済むものでしょうか?
――もちろん、済みません。「騙された」から「戦争を支持し加担したのだ」という理屈が通用するのなら、どんな戦争にも存在する「大義名分」に騙されて、どんな戦争にも支持加担した上で、あとになって「騙されたのだから、自分に責任はない」と逃げをうつことが可能でございましょう。

しかし、実際のところ、冬柴も公明党も創価学会員も、イラク戦争・イラク人犠牲者100万人の責任など取ってはおりませんし、まともに釈明すらしてはいないでしょう。
最初の開戦理由である「イラクの大量破壊兵器の所持」がウソだとバレはじめると、アメリカは戦争の大義名分を「イラクの民主化」ということに暫時切り替えていきました。当然のことながら、アメリカのポチ(忠犬)である日本政府はもとより、冬柴も公明党も創価学会も、同じように開戦理由をすり替えることで、自己の「戦争責任」を誤魔化してしまったのでございます。


そして今回、「戦争犯罪人」である冬柴鉄三の選挙区に、究極の刺客である田中康夫が送り込まれました。はたして田中は、この戦争犯罪人をみごと打ち倒すことができるでしょうか? ――しかし、私の予想では、残念ながらそれは、かなり困難なことだと言わざるを得ません。

冬柴の地元である兵庫県尼崎市は(私の住む大阪府豊中市のお隣で、豊中市南部と同様)関西を代表する「庶民の街」でございます。以前、ここ「アレクセイの花園」で、映画『下妻物語』や『赤目四十八瀧心中未遂』をご紹介した際にも言及いたしましたが、尼崎の土地柄は、田中康夫がかつて体現した「クリスタル」感覚とは、およそ対極にあると言っても過言ではなく、「尼のおっちゃんやおばちゃん」にとって、田中は「ええカッコしい」にしか見えないのではないかという危惧が、私には強くございます。「きざな東京もん」に反射的な反感をもつのではないか、と思えるのでございますね。

また創価学会的に申しますと、大阪・兵庫というのは、池田大作第三代会長(現SGI会長)に直結した「常勝関西」を誇る土地柄であり、その伝統を守るために、あらゆる戦いにおいて全国でもずば抜けた底力を見せてきた地域なのでございます。

元来「常勝関西」とは、「折伏引教・広宣流布」の活動において揺るぎない実績を示してきたことから、池田大作第三代会長によって「愛する関西」に対し、その信頼の証として与えられた呼称なのでございますが、近年、社会との摩擦を避けて「折伏」をひかえるようになった創価学会にとっては、「戦い」とは「選挙運動(F活動)」とほぼ同義になってしまっております。つまり「常勝関西」の伝統は、近年においては「選挙戦において関西は、立候補者全員当選の完全勝利を例外なく実現する」という結果において、実証され守られてきたのだと申せましょう。ですから、大阪・兵庫における創価学会員の献身的な選挙活動は、共産党を含む他の政党支持者のそれなど足元にも及ばないものであり、少なくともこれまでは一度として揺らいだことのない「猪突猛進(妄信)」的なものであったのでございます。

ですから、今回の選挙では、たしかに与党公明党は苦しい戦い(防戦)を強いられるでしょうが、長野県知事として実績を残した著名な人気政治家である田中康夫の挑戦に対しても、決して簡単に揺らぎ退き下がることはないと存じます。苦しい戦いであればあるほど、地力を発揮するのが「庶民組織」であればこそ、衆院選兵庫8区の戦いでも、田中康夫は決して簡単には勝たせてもらえないというのは、間違いのない事実なのでございます。


しかし、それでも私は「イラク100万人死者の怨念」において、易々と冬柴を当選させるわけにはいきませんし、元創価学会員のつとめとして、創価学会員の「無思考の猪突猛進」を許すこともできません。

だから私は、関西の創価学会員に対して言いたい。


――あなた方は、勝てばそれで良いのか? 勝てば官軍なのか? いっさい中身を問いはしないのか? 罪もないイラクの子供たちの、腕をもぎ、脚をひきちぎり、頭を潰し、命を奪ってまでも、それで「戦い」に勝てれば「常勝関西」の誇りが保てるとでも言うのか?

かつて公明党は「平和と生活の党」を名乗っていた。だが、イラク戦争以降いつのまにか「生活の党」となって「平和」の看板を下ろしてしまった。なぜならば、現在の公明党の平和防衛政策は、自民党のそれに寄り添ったものであり、かつてのような「絶対平和主義政党」ではなくなったからである。

太田昭宏 公明党現代表は、今回の選挙で民主党が掲げたマニフェストにおける「アメリカ軍に対する給油支援問題」について、路線変更の誤魔化しあると攻撃しているが、権力に近づくことで路線変更をしたということでは、公明党こそ、民主党の大先輩であり、モデルなのではないか。だからこそ、かつて「平和」の二文字を捨てたのではなかったのか?

それでいて、まだ「私的には(うちに帰れば、いち)創価学会員であり、日蓮大聖人の弟子である」などと名乗るのは、ちゃんちゃらおかしいと私は思う。
もうそろそろ「南無妙法蓮華経と、いくらお題目をあげたところで、それで世界が平和になるわけではない。国益が守れるわけではない」という「本音」を語ってみてはどうだろうか? 本音を語ろうと隠そうと、そんなことは仏菩薩の目には、もとより明らかなこと。「天もご照覧あれ」と正直に語る勇気が、はたして今の貴方たち、公明党員や創価学会員にはあるだろうか?

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ある天才の死 ――追悼・金田伊功

 投稿者:園主  投稿日:2009年 7月23日(木)22時45分18秒
  みなさま、今朝早く、いつも8時間カラオケに行っている、かのオタクの友人から『金田伊功、死去』との携帯メールをもらい、自分でも意外なほどショックを受けております。

私、この7月11日から16日まで、世間より一月早い夏休みをもらい、上京しておりました。その間にいろいろ楽しんできたのでございますが、それでも冗談半分とは言え、私が今回の上京のメインイベントだと豪語していたのは「アレクセイ・リサイタル」、つまり私のカラオケ独演会でございました。
なぜそんな話になったのかと申しますと、私は、東京の友人の奥さんと「最近読んだ面白い本」ということで、時々メールをやりとりしているのでございますが、6月上旬ごろにいただいたメールに『すでにご存じかも知れませんが、島本和彦の『アオイホノオ』第2巻がとても面白かったです』とあったのが、「アレクセイ・リサイタル」開催の、そもそものきっかけとなったのでございます。

『アオイホノオ』第1巻につきましては、昨2008年2月18日(「アオイホノオ」)に感想をアップさせていただいておりますので、ご記憶の方もございましょうが、彼女はそれと知らずに第2巻を薦めてくれたのでございます。もちろんその段階で、すでに私は第2巻を読んでおりました。
第1巻にくらべてややインパクトに欠けたこの第2巻で、私の印象に残ったのは、主人公焔燃(ほのおもえる)が、『劇場版・銀河鉄道999 ドラマ編サウンドトラック』LPレコード(2枚組)を聞きながら(つまり、画像は無し)ドラマの世界に没入しているという、当時のアニメファンらしい様子を描いたシーンと、アニメーター金田伊功の独特の動き(金田動き)を、マニアではない彼女に熱く語るというシーンでございました。
そこで、私は返信メールに、上記のシーンが印象に残ったが、そこに描かれた焔燃の姿は、当時の私の姿そのまま。私も燃と同様ドラマ編のレコードを持っており、当時くり返し聞いたので「あのシーンでのハーロックのセリフは、BGMとシンクロさせたかたちで記憶している」と豪語し「この夏に上京した時には、カラオケに行きましょう。そしたら、『劇場版999』とか『ボルテス5』なんかの金田の作画を見ながら、この身にしみ込んだアニソンをお聞かせしますよ」と約したのが、事の発端だったのでございます(ちなみに、島本和彦は私の1歳上、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明は2歳上、金田伊功は10歳上でございます)。

さて、上京時のあれこれについては後日ご報告させていただくとして、本日は、アニメーター金田伊功の死について、個人的な想いを少々綴らせていただきたいと存じます。


私は基本的に「面食い」でございまして、「上手くて綺麗な絵」を描く漫画家やアニメーターが好きでございました(美術絵画については、話は別)。ですから、当時のアニメファンとしてはオーソドックスに、アニメーターでは荒木伸吾・安彦良和・杉野昭夫が好きであり、特に演出家・出崎統とのペアで、杉野昭夫がいちばん好きでございました。
私の親友は、当時から(メジャーになる前の)宮崎駿と大塚康生のファンで『未来少年コナン』のファンでございましたから、自ずと私とはアニメに関する好みが大きく異なりました。具体的に申しますならば、私の場合は、演出的には心理描写中心のドラマティックなもの、作画的には書き込みの多いきれいなものが好きであり、親友は物語の大きな起伏と世界観、作画的には動きで見せる作品を好んでいたのだと、大雑把には申せましょう。当時の私は『未来少年コナン』の動きくらいではさほど感心せず、親友の意見に説得力を感じなかったのでございますが、後に『ルパン三世 カリオストロの城』や、『ルパン三世』(テレビ第2シリーズ)で宮崎・大塚コンビが担当した2話「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパンよ」によって、彼の言う「動くアニメ」の面白さを知らされることになります。しかしながら、作品の出来やドラマ性とはいっさい関係なく、ただその「動き」が直接的に「官能的快感」をもたらすという体験をさせてくれたアニメーターは、後にも先にも、金田伊功ただ一人でございました。

金田伊功の作画は、独特の誇張によって特徴づけられます。まず絵的にはパース(遠近法)を誇張したダイナミックな見せ方(構図)を、動きでは緩急のタイミングを誇張してメリハリの利いた独特のノリ(快感)を構築しておりました。
やがて金田は、『銀河旋風ブライガー』や『機甲世紀モスピーダ』のオープニングアニメーションといった仕事や、長編作品の戦闘シーンや爆発・崩壊シーンなどのパートを専門とする作画で、人間ドラマからは切り離された独自に自己完結した世界を期待されそれに応えうる、演出家の意図に縛られない「自立したアニメーター」として自分の世界を確立し、多くの模倣者を生み、アニメーションの「動き」に画期をもたらした天才でございました。
しかし、金田伊功の凄さは、数多くの模倣者を生み出しながら、その登場から四半世紀をすぎてもなお、金田を超える「気持ちのよい独自の動き」を描くアニメーターが一人として登場し得ない、たぶん世界的に見ても、そんなアニメーターは生まれていないという事実にございます。つまり、金田伊功の「動き」の世界は、世界的に見ても、まったく追随を許していないのでございますね。そんな彼だからこそ、私は彼に「天才」という言葉を無条件に冠するのでございますし、そんな彼だからこそ、作画技術が相対的にレベルアップしている今日でさえ、その喪失感の絶大さを拭えないのでございます。




 さま

どん底の淵から

公けに向けて「語りうる人間」の使命

知を諦めないこと


たびたびのお書き込み、ありがとうございます。また、レスが遅れてしまい、失礼をいたしました。

どん底から復帰なさり、読書を楽しんでおられるご様子、まことにうれしゅうございます、とは言え、今後も多少の浮き沈みはございましょうが、この「アレクセイの花園」が本格復旧するまでは、頑張って書き込みを続けて下さいまし(笑)。


> さてさて、そろそろ物欲に駆られてもいい頃合ではないですかー?/僕はしつこい!!


というわけで、まだまだ(笑)。
私のしつこさは、ご存じでございましょう?(^-^)


> 母から聞いた話です。
> 僕の住んでいる地域に、浮浪者がいます。もう十年近く浮浪しているらしいのです。彼はもともと奥さんと団地住まいで、ご自身は、中堅企業にお勤めになっていたのですが、奥さんに離婚を告げられ、たいへん意気消沈されて仕事が出来なくなり、やがて団地にすら住まうことさえ出来ないほど経済的に困窮し、それ以来、この田舎町を浮浪しているのです。団地住まいの頃に築いた近所の友人、知人が、懸命に生活保護を勧めているらしいのですが、断固として峻拒しているらしいのです。何故かはわかりません。彼にとっての生活保護は、受け入れがたい「恥の一線」を超えてしまうものかもしれません。
> そして、彼はいつも真っ黒に焼けた顔をして、バケツを抱え公園まで水を汲みに来るのです。

> 他方、僕は何の恥じらいも無く、障害年金の申請をしようとしています。

> 僕は、国家を「機能」としてしか見ないようにしているし、その「機能的な部分(=政策)」に、いつも腹立てながらグチグチと文句を垂れる人間です。それが“私は生活弱者であるので、国家の「機能」として生活資金を用立てるのは当然である”と、年金を要求しようとしています。しかも恥じないのです。
> もし申請が通らなかったら、僕はその手のプロである社会保険労士にでも問い合わせてまで要求する算段までしてる具合…。やっぱり恥じないのです。


そう、恥じる必要はございません。もちろん、淳さまの中にも恥じる気持ちがまったく無いと言えば、それは嘘にもなりましょうが、私たちは「恥じてはならない」のでございます。

私たちが「お国の世話になる」のを恥じるのは、「お国の世話になる」という誤解をしているからでございます。「お国」とは、私たち自身が構築構成しているシステムであって、決して「他人(ひとさま)」ではございません。だから、遠慮する必要も恩義を感ずる必要もない。正当な理由があって「自分の金」を使うのに遠慮するというのは、頭のおかしい態度だと申せましょう。

では、税金を払っていない人に税金をつかうのは、間違いなのでございましょうか? よく「私たちの血税を、働きもしていないやつにつかうな」という主旨のことをおっしゃる方がございますが、国というシステムに収められたお金は、すでに「国」のもの、つまり「国民(一般)」のものであって、納税者個々のものではございません。従いまして、国が法にしたがって、困窮している人たちにそのお金をつかうのに対し、個人の権利で文句を言うのはお門違い。それが気に入らなければ、法律を改正するように働きかけるか、さもなくば税金を払わなければ良いだけのことでございます。
無論、税金を払える状態なのに払わなければ、国法に引っ掛かりますから、その人は日本国内での人権を完全に保証されることはなくなるでしょう。自分の稼いだ金は、ぜんぶ自分の思うがままにつかわなければ気が済まないというのであれば、共同体システムの構成者になれないというのは、理の当然なのでございます。

結局のところ、生活保護であれ何であれ、正当な理由で国家から受給するお金というのは、たとえその人が税金を納めていなかったとしても、それはその人が正当に使用すべきお金なのであり、その意味では「その人の金」なのでございます。ですから、何も遠慮する理由はございません。それを国家や他人が「養ってやっているのだ」という態度を採るのだとしたら、それこそが大きな勘違いか、もしくは意図的な欺瞞・洗脳でしかないのでございます。

こう申しますと、税金を納めている人の中には、自分たちは納めるばかりで「もらう」ことがないから「損だ」、というような(貧乏臭い)ことをおっしゃる方もおいででしょうが、そういう方もじつは警察・消防・各種役所を始めとして、国家が運営するあらゆるシステムを日常的に利用しており、決して「納めるばかり」ではございません。極端な話、道路にアスファルトが敷いてあるのも、信号機があるのも、あたりまえに犯罪者が取り締まられるのも、ぜんぶ税金があって、それが使われているからであり、私たちは誰もが多かれ少なかれ「税金の恩恵」をあずかっているのでございます。それなのに、自分だけは税金を「納めるばかり」だという主張は、あきらかに大きな勘違いか、無自覚・無反省の所為だと申せましょう。

私たちは、国民全員が人間らしい生活を国家(システム)から保証されるべきであるとする憲法の下に、国民の義務として税金をおさめているのでございますから、その規定の下に使われるお金に注文をつけることや、当然のお金をもらう人に文句を言うべきではありません。むしろ、真に敵とすべきは、システムの建て前を悪用して、私腹を肥やしている「金持ち=支配者」たちなのでございます。

THE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」(作詞作曲:真島昌利)の歌詞に、次のような部分がございます。


  栄光に向って走る あの列車に乗っていこう
  裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう
  弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく
  その音が響き渡れば ブルースは加速して行く


いつの時代にも、弱者を直接的に差別迫害するのは「別の弱者」でございました。言い換えれば、強者の弱者支配の手法として、もっともホピュラーなのが「分断支配(分割統治)」。「数において勝る弱者」を「少数者である強者」が支配する場合、強者がいちばん怖れるのは「弱者の結束団結」でございます。だから支配者は、弱者大衆の中の「微細な差異」を強調し、弱者の中だけで「あいつらばかりが得をしている」という妬みそねみを煽り、真の支配者への「正当な反発」をそちらへ逸らそうとする。それが分断支配であり、「自分たちは生活が苦しくても一生懸命働いて税金を払っているのに、仕事もしないで日がな部屋に籠っているようなやつが生活保護を受けている(のは、ズルイ)!」というような感想を持っている「貧乏人」は、支配者の分断支配にいいように「操られている弱者」の典型なのだと申せましょう。

ですから、こういう方たちに、あえて申しますが、「貧乏でも同じ人間だ、人並みの頭もあれば尊厳もあって、犬や猿と同じではない」と言うのであれば、敵とすべき相手を見誤らないでいただきたい。敵にいいように操られて、本来なら味方とすべき弱者に噛みつくような弱者は、時には犬や猿にも知的に劣ると、そう言わざるを得ないのでございます。





それでは、みまさま、本日はこれにて失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

知を諦めないこと

 投稿者:  投稿日:2009年 7月17日(金)11時11分30秒
  ☆アリョーシャ


さてさて、そろそろ物欲に駆られてもいい頃合ではないですかー?/僕はしつこい!!


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 ・ 努力しないのが悪いんじゃない?
 ・ 甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?
 ・ 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
 ・ 自分だけラクしてズルいんじゃないの?
 ・ かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?


例えば"釜ヶ崎"のこと…、私たちは「我、関せず」として、周辺の世界を、上記のように無知蒙昧な条件反射で導き出される「凡俗な意見表明」に抗するため、知を希求する人間は、貧困にあえぐ個々人のより細微で根源的な背景まで思いを至らし思考すべきでしょう。

母から聞いた話です。
僕の住んでいる地域に、浮浪者がいます。もう十年近く浮浪しているらしいのです。彼はもともと奥さんと団地住まいで、ご自身は、中堅企業にお勤めになっていたのですが、奥さんに離婚を告げられ、たいへん意気消沈されて仕事が出来なくなり、やがて団地にすら住まうことさえ出来ないほど経済的に困窮し、それ以来、この田舎町を浮浪しているのです。団地住まいの頃に築いた近所の友人、知人が、懸命に生活保護を勧めているらしいのですが、断固として峻拒しているらしいのです。何故かはわかりません。彼にとっての生活保護は、受け入れがたい「恥の一線」を超えてしまうものかもしれません。
そして、彼はいつも真っ黒に焼けた顔をして、バケツを抱え公園まで水を汲みに来るのです。

他方、僕は何の恥じらいも無く、障害年金の申請をしようとしています。

僕は、国家を「機能」としてしか見ないようにしているし、その「機能的な部分(=政策)」に、いつも腹立てながらグチグチと文句を垂れる人間です。それが“私は生活弱者であるので、国家の「機能」として生活資金を用立てるのは当然である”と、年金を要求しようとしています。しかも恥じないのです。
もし申請が通らなかったら、僕はその手のプロである社会保険労士にでも問い合わせてまで要求する算段までしてる具合…。やっぱり恥じないのです。
 

公けに向けて「語りうる人間」の使命

 投稿者:  投稿日:2009年 7月15日(水)17時25分48秒
  ☆アリョーシャ

ドでしたかぁー? 東京の盛大なるアレクセイ・フィナーレは!?
かなり気になるところですが…

ま、

携帯なんぞでポチポチと「御報告」というわけにもいかないでしょーし、
ココは、縦横無尽にストレスフリーに語りつくすべくMacを新調しカタカタ語りましょうよ♪

加え、アリョーシャに、携帯からまだるっこしい返信をさせるなんて、僕の本意じゃありませんよ。
ココは、「潔くアレクセイに観念させてやる!!!」とばかりに、
『オラが花園』『淳のローズガーデン』がごとくに書き込んでやろうと意気込んでいます。
なんと、学校では使いようによっては、他人のHPに潜入してコンテンツを
改竄しうるフリーソフト(つまりハッキング)まで、先生が紹介しちゃったのですよー。
Linux OS上で動くんですけど、本当にヤバいです(まあ教えちゃう先生の方が相当ですけどね…)。

まあ、アリョーシャに対する、積年の「私怨」「師恩」という
アンビバレントで複雑な感情を抱く人間(僕)としては、
この引き裂かれたうえに、ほつれた「心の糸」をほどくべく、イザイザと奮迅しますぞー。


あ、もちろんイイ意味でネ♪


そーそ、なんか僕、突如として「らしくなく」読書熱に駆られています。
無論、本を買う金なーんて一銭もありませんから、
積読状態だったチンケな蔵書(笑)に手をつけ始めてます。

挫折していたエドワード・W・サイードの『知識人とは何か』。
(これはアリョーシャの本だ!!!)

「アマチュアリズムとは、文字どおりの意味を言えば、利益とか利害に、もしくは狭量な専門的観点にしばられることなく、憂慮とか愛着によって動機付けられる活動のことである。現代の知識人はアマチュアたるべきである。アマチュアとは社会の中で思考し憂慮する人間のことである。」(p136)

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」

そして、大西巨人の『迷宮』。

大西巨人は読み手を突き放したり、
自問させては、易々と自答を導き出させない。
ときに大西の箴言により、辱しめを受け自省する。

「変節者は自分の過去を偽造する」

苦しい…心当たりがある。猛省…

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

で、今はゴリゴリの世界から抜け出し、息抜きに京極の『今昔続百鬼』を。
しかしまあ、京極は読ませるなー。大西とギャップがあり過ぎて至極楽しい。
苦しい読書も大切だけど、楽しい読書も無いと堪らない!
 

どん底の淵から

 投稿者:  投稿日:2009年 7月11日(土)18時35分18秒
  お久しぶりです…(約半年ぶり?)
たっく!先刻の電話差し上げた際は、PC購入はまだまだ先々の話のようで、
コッチはどうにかアレクセイにMACを新調させるべく、
出来得る限りの策を講じていきたいと存じます/苦笑。

そろそろ、アリョーシャも夏休みですね、
今年は、お会い出来なかったことが悔やまれてなりません。

さてさて、僕の精神状態は深刻とまではいかないものの、沈滞傾向を深めていて、
身体に及ぼすダルは、泥に塗れたぬかるみを這い出そうと必死にもがいているようです。
学校も休みがちになり、「少々の軌道修正を加えなくては」と思案しているとことです。
 

知らないことは語りえない

 投稿者:園主  投稿日:2009年 7月 8日(水)21時08分46秒
  みなさま、本日は、「中学生以上すべての」と添え書きされた「よりみちパン!セ」シリーズの1冊、湯浅誠の『どんとこい、貧困!』(理論社)をお薦めしたいと、筆を執ることにしました(一昨日、パソコンを弄ってみると、なぜかキーボードが復調していたのが本稿執筆の強力な後押しになったのは事実でございますが、ともあれこの文章を書き上げるまでもってくれれば幸いでございます/笑)。


現在の日本社会において「貧困」が愁眉の問題であるのは、誰しもある程は知るところでございましょう。読書家の方ならば、「貧困・格差」本とでも呼ぶべきものが、多数刊行されている事実もご存じだと存じます。しかしながら、テレビなどでもよく採り上げられるようになったこうした社会問題について「いまさら本を読んでまで学ぶべきことがあるのだろうか」という疑問を感じる方は少なくないでしょうし、この種の社会問題に関する本を読むのは、単純に「気が重い」と感じる方も少なくないのではないかと存じます。
斯く言う私自身そういうところがございまして「その種の本は、啓蒙される部分のの多い優れたものでないかぎり、中途半端なものは鬱陶しいだけ」という感覚があり、そう簡単に読もうという気にはなりませんし、『思想地図』の東浩紀などが申しておりますとおり、論壇的地位を確立するために、自分たちの世代特有の問題を「特権的に論じ」ている(と見えなくもない)「ロス・ジェネ論壇」的なものに、ある種の厭わしさを感じるのも事実でございました。

したがいまして、私が本書『どんとこい、貧困!』を手にとったのは、本書が物事の基本的なところを語る「よりみちパン!セ」シリーズの1冊として刊行されていたというのがまず第一にあり、次には本書が応答しようとする次のような「貧困問題に関する疑問の言葉」が、もくじに書かれていたからでございます。

 ・ 努力しないのが悪いんじゃない?
 ・ 甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?
 ・ 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
 ・ 自分だけラクしてズルいんじゃないの?
 ・ かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?

こうした、素朴かつ一般的という意味で強靱な批判的疑問に対し、わかりやすく(つまり、真っ向から)応答しようとしたのが本書であるというのがわかったので、私は本書を購読することにいたしました。そして、本書を読んだ結論として言えるのは、この種の疑問・意見は、作者の言うとおり一種の自己欺瞞であり誤魔化しでしかなく「そうした疑問を発して貧困問題を回避しようとする人たち自身にも、回りまわってマイナスをもたらすものでしかない」という著者の指摘は、まったく正しいということでございます。

それにしても、本書の内容をここで要約することはできませんので、私はここで、上のような疑問を呈する人たち自身の問題点について、読書家の視点から少しばかり私見を書いてみたいと存じます。


ホームレスと呼ばれる人たちや、生活保護をうけいる人たちについて、上のような意見を言う人は、私の周囲にも多ございます。読書が趣味という友人関係で、このような意見をあからさまに語る人はさすがに少のうございますが、会社の同僚やご近所のおじさんおばさんからならば、こうした「一般論」はうんざりするほど聞かされてまいりました。
読書家である友人たちも、会社の同僚やご近所のおじさんおばさんも、共に「貧困層でない」という点では同じなのに、どうしてこのような態度の差が出てくるのでございましょうか? それはたぶん、読書家ならば、ある程度は「知らないことについて、したり顔で語ると恥をかくことになりかねない」ということを知っているからでございましょう。
読書家には、ある程度「専門」がございます。ミステリ専門、SF専門、時代小説専門、純文学専門、といった文芸専門の人もいれば、理系専門、思想・哲学専門、社会問題専門、政治専門、歴史専門といった学術系専門の方もおります。で、そういう方たちは、それぞれ自分の専門分野に一家言持っており、それなりの自負を持っている反面、そうした専門分野について「門外漢の語る軽率な意見」を心から軽蔑する傾向がございますから、自分がその同じ轍を踏まないようにしたいという慎重さもあるのでございますね。ですから、専門以外のことに関する発言には、ことのほか慎重になるのでございます。

しかしながら、私が昔から言っておりますように「本を読むほどの人間であれば、誰しも自分は頭が(本質的に)良いと思っているものである」ということがございまして、専門以外のことに関して、あからさまに意見表明はしなくても、心の中では「それなりに自負すべき意見を持っている」つもりなのでございます。ですが、それこそが人間の弱さであり凡庸さなのでもございますね。

「知らないことについては、知らないのだから、的確な意見を持つことが出来ない」というのは、読書家ならば誰でも頭では理解していることでございますし、だからこそ専門外のことについては、意見表明を慎重にひかえたりもいたします。しかしながら、「専門」によって勝ち得た自負というものは、決してその「専門」に止まるものではなく、その人の「知的自負」として全般化するものなのでございますね。そして、その結果、人は読書家であろうとなかろうと、専門外の問題に関しても「薄っぺらな意見」を持ちがちであり、その違いは、そうした意見を不用意に語るか語らないかの違いに過ぎない、ということになるのでございます。
つまり、現代の日本社会における「貧困」問題に関しては、私も含め多くの人が、内心ではついつい、

 ・ 努力しないのが悪いんじゃない?
 ・ 甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?
 ・ 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
 ・ 自分だけラクしてズルいんじゃないの?
 ・ かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?

といった意見に流されがちなのでございますね。

そこで、私が主張したいのは、読書家ならば「専門分野」に閉じこもるな、ということ。いくら専門分野の知識を(オタク的に)深めていったとしても、それで他のジャンルの本質を理解できるなどという「慢心」に捕われるな、ということでございます。
昔から「一芸に秀でたる者は、万象に通ず」(一芸に秀でた人は、その一芸だけでなく、違う分野のことにもうまく勘を働かせて、相当の理解をしめし、それなりの結果を出すものである)というようなことを言いますが、これは物事の多くが細分化し専門化し先鋭化した現代にあっては、基本的に間違いであると考えるべきでございましょう。現代において「一芸に秀でた人」の賢明さとは「専門以外のことを安易に理解した気になるのは、愚かな半端人の態度である」という徹底した認識においてなのではないでしょうか。

ですから、私は「専門家は専門バカでしかありえないことを深く自覚し、謙虚であれ」と考えますし、しかしそれでも「他ジャンル」に興味があったり、発言したい、しないではおられないというのであれば、最低限の勉強はすべきだと言いたいのでございますね。
むろん、人に与えられた時間は有限であり、いくつものジャンルにおいて「専門家並みの知識」を得ることは物理的に不可能でございましょう。だからこそ、「最低限」誠実に勉強した上で語ろう、という姿勢が必要なのでございます。

しかしその一方、「専門的な問題」ならば、人は勉強の必要を感じるでしょうが、一般的な社会問題というのは、なまじ「日常」生活の中に入り込んでいるため、往々にして人はそれを「わざわざ勉強しなくても、おおよそは知っている(見当のついている)問題」だと思い、薄っぺらな理解にもとづいて、無責任な意見を語りたがるものなのでございます。
そしてそのような実例が、ミステリに対する「殺人事件があって警察が捜査して事件を解決する、2時間ドラマによくあるようなタイプの娯楽小説でしょ?」とか、SFに対する「宇宙人が出てきて宇宙戦争とかしたり、タイムマシンで時間旅行したりする、荒唐無稽な小説でしょ?」とかいった極めて一面的な理解であったり、「貧困」問題における、

 ・ 努力しないのが悪いんじゃない?
 ・ 甘やかすのは本人のためにならないんじゃないの?
 ・ 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
 ・ 自分だけラクしてズルいんじゃないの?
 ・ かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?

といった理解・意見であったりするのでございますね。

ですから、社会的な問題に関しては、できれば「すべての人」に勉強して欲しい。そして「自身の無知」や「無根拠な確信(=妄信)」と直面してほしいと思うのでございますが、しかしそれが(知的に)相当に困難な作業だとも思いますからこそ、ここではひとまず「読書家」や「専門家」の人に「社会問題は、無知でも語れる一般的問題、なのではない」ということを訴えて、少しでも勉強して欲しい、そして上記のような薄っぺらな「一般的意見」からその身を引き剥がしてほしいと訴えるのでございます。

「知らないものについては語れない」という正確な認識は「だから、少しでも知ろうとしなければいけない(でないと、語りえない)」という認識につながるのであって、「だから、知らないことについては語らなければよい」という認識・態度につながるものではございません。なぜならば「語りさえしなければ、知らなくてもよい」という認識・態度は本質的に「反・知的=非・理性」的な処世術でしかないからでございます。




それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

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梨木香歩『f植物園の巣穴』を推す

 投稿者:園主  投稿日:2009年 6月 5日(金)19時19分23秒
   みなさま

本日は、たいへん素晴らしい小説をお薦めしょうと存じます。それは、以前、その年の話題作であった『家守綺譚』(新潮文庫)を絶賛させていただいた、梨木香歩の新刊『f植物園の巣穴』(朝日新聞出版)でございます。

本作『f植物園の巣穴』は、夏目漱石の『夢十夜』や内田百間の『冥土』などの夢文学に直接的に連なる、正統派の日本の幻想小説でございます。『家守綺譚』が、私にとってはオールタイムベスト級の傑作でしたので、『f植物園の巣穴』もその装丁の類似性から、同種の幻想小説であると予想し相当の期待を寄せていたのでございますが、とは言え正直なところ、『家守綺譚』を超えるほどのものまでは期待しておりませんでした。ところが、あにはからんや『f植物園の巣穴』は、『家守綺譚』に優るとも劣らない、期待以上の傑作だったのでございます。
あえて注文をつけますならば、幻想小説としては、あまりにまとまり過ぎ、やや理に落ちたのではないかと思える点で、それほど完成度は高く、最後は収まるべきところにすべてが収まり、およそ過剰性や余剰というものが無いというのが、難点と言えば難点なのでございます(一方、『家守綺譚』にあったBLの「今風」が無く、やや「大人向け」になっている点は、私にとっては、プラス材料でございました)。

ともあれ、私の本年のベスト1小説は、これで決まりだと存じます。
みなさまにもお楽しみいただけば、これにすぐる喜びはございません。




では、本日はこれにて失礼いたします。

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日本推理作家協会理事長人事と笠井潔

 投稿者:園主 & ホランド  投稿日:2009年 5月24日(日)12時21分17秒
  園主  一昨日(23日)の読売新聞朝刊に『東野圭吾さん、日本推理作家協会理事長に』ってあったな。大沢在昌理事長の任期満了にともなって21日に理事会が開かれ、新理事長に選出されたそうだ。

ホランド  東野さんは、いま一番の売れっ子作家だし、カッコいいし、いろんな意味で適任なんでしょうね。もともと本格系の作家だけどが、いまは広くエンターテインメントの王者といったところですし、『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞し、ガリレオシリーズはドラマも大ヒットして、一般の認知度も極めて高い。
 こないだ読んだ、佐野洋さんの『ミステリーとの半世紀』にも、協会の理事長には対出版社的な力が求められるというようなことが書かれていましたから、やはり協会を代表して、出版社に物申せる人気作家でないといけないみたいですね、かつての乱歩や清張みたいに。

園主  それでも、昔なら中島河太郎とか山村正夫といった古株功労者が理事長になれたんだろうけど、この出版不況の現状からすれば、そんな余裕はもうないだろうな。
 それにしても、笠井潔ファンとして見るならば、今回の理事長人事は、一昨年だったかの「『容疑者X』論争」(「本格」論争)を、日本推理作家協会の主流派が、遠目にどう見ていたのかを、はっきり示したも同然のものだと思うな。まあ、当時だって、理事長を辞めたばかりの逢坂剛が、論争そのものを、下らないとするような短文を公表していたから、その周辺がどんなふうに考えていたかは、容易に推察できたんだけどな。

ホランド  あの、本格村の主導権争いの内紛とも言える不毛な論争に対し、冷ややかな傍観に撤して巻き込まれなかった東野さんに、協会理事会も、ある種の頼もしさを感じ、信頼を深めたというのは確かでしょうね。

園主  かつて『理屈なら何とでもつけられる』と嘯いたことさえある理論家笠井潔の土俵にノコノコと上がって、不用意に論争をやるなんてのは、愚の骨頂だからね。ただ、それでも、自分の小説を「環境管理社会の小説的模型」なんて言われ、弱者を食い物にする新自由主義の権化的な作品だなんて非難されれば、普通なら心穏やかではいられないし、文句のひとつくらい言いたくもなるのが人情だ。

ホランド  それを無視黙殺しきることで、「格」の違いを見せつけた東野さんの賢明さは、笠井さんの口先政治屋ぶりを疎んじていた人たちには、頼もしいものと映ったでしょうね。

園主  それに、このところの協会の理事長は、北方謙三・逢坂剛・大沢在昌と、冒険小説・ハードボイルド系の人が続いたから、基本的には本格系と言ってよい東野さんが理事長になるのは、バランス的にも好ましいということになるだろう。
 そんなわけで、本格ミステリ業界内はもとより、ミステリ業界全体の中ですら、笠井潔の立場は、片隅に追いやられつつあると言っていい。少なくとも、笠井潔の取り巻き作家や評論家たちは、今回の理事長人事にある種の脅威を感じているだろう。でなきゃ、単なる鈍感バカだ。

ホランド  となると、笠井さんの一の子分と言ってよい法月綸太郎とか小森健太朗は、どうするんだろう?

園主  今さら「君子、豹変す」というわけには行きにくいだろうけど、綾辻行人、我孫子武丸、二階堂黎人あたりなら、法月や小森のように笠井と公に徒党(探偵小説研究会)を組んでるわけじゃないから、じわじわと距離をおくくらいのことはするだろうな。綾辻なんか、笠井の探偵小説論について「批評の面白さとは、こういうことだったのか」なんて賛嘆の言葉を寄せてた、笠井理論の受益者のくせに、「『容疑者X』論争」については、賢く沈黙したままだしな。――ま、公には、ってことだろうけど。

ホランド  つまり、園主さまが以前から指摘なさっていた、笠井丸からの鼠たちの脱走が、さらに加速するだろう、ということですね?

園主  当然そうなるだろう。笠井丸の沈没はもはや明らかで、いくら笠井さんが意地なって頑張っても、もう手遅れだよ。ここで意地でも巻き返しを図ろうと、内部の結束固めなんかやったら、良くてさらに仲間を減らすだろうし、うまく結束を固めても、その行く末は「連合赤軍・総括殺人事件」の再演でしかないだろう。実際、『容疑者Xの献身』を高く評価した探偵小説研究会所属の身内評論家に向けた笠井さんの非難は、本格ミステリ界における革命戦士たるの自覚を欠いた者たちへの「総括」そのものだったからね。まあ、ミステリ業界なんて、所詮は口舌の徒の世界だから、笠井さんに何と非難されようと嫌な気分を味わうだけなんだけど、新左翼セクトの理論家だった40年前の笠井さんだったら、矢吹駆の学生運動時代を描いた『熾天使の夏』にも描かれていたような、文字どおり暴力的なリンチ総括も辞さなかっただろうな。なにしろ「自分も彼ら(連合赤軍メンバー)と同じようなところにいた」んだという衝撃によって、笠井潔は転向し、『バイバイ、エンジェル』『テロルの現象学』の作家・評論家になったと、自身なんども語っているんだから。つまり、「『容疑者X』論争」の時に「昔だったら、総括(リンチ)ものだぞ」くらいのことが、笠井潔の頭を過っていたとしても、なんの不思議もないだろうということだ。

ホランド  結局笠井さんは、自身の過去を『バイバイ、エンジェル』や『テロルの現象学』を書くことでは、総括しきれなかったということですね。だから、実際の行動では、同じことを形を変えながら繰り返してしまう。

園主  人の本質的な部分、骨がらみの性格、言い換えれば「業」とでも呼ぶべきものは、頭の良さなんかでは乗り越えられない。だからこそ、宗教は「帰依」することを求め、自我への執着を禁じたんだろう。自分の頭で考えて解決しようなどというのは、ある意味では度しがたい傲慢。自分の目だけで、自分の目を見ることが出来ると本気で主張するたぐいの、傲慢なんだからな。

ホランド  まあそれでも、神や仏に頼らずに、知性一本で切り抜けようとするのが、哲学や思想なんでしょうけどね。

園主  ともあれ、落廃の憂き目を見たも同然の笠井潔を、今になって賢しらに、陰であれこれ言うだけなら、そこらのミステリ作家や評論家にだって出来ることだろうから、ここでは「日本一たくさん『バイバイ、エンジェル』の初版本を持っている、古い笠井潔ファン」として、あえて無理にでも、笠井潔を擁護してみようかな(笑)。

ホランド  そんなこと出来るの?(笑)

園主  例えばだな、東野さんは対出版社的に顔が利くというけど、笠井さんだって、文春や新潮や講談社といったメジャーどころだけじゃなくて、朝日新聞出版や作品社、原書房や南雲堂とかにも、顔が利くぞ。笠井さん自身、ホントにいろんな出版社から本を出してるし、だからこそ探偵小説研究会所属の身内評論家に仕事を分け与えることで、政治的影響力を行使することも出来たんだからな。――ああ、そうそう情況出版とかもあったな。

ホランド  たしかに、笠井さんと東野さんの本は、売れ行きを比べるのも申し訳ないような感じですけど……。でも、だいたい笠井さんの本って、ほとんど初版どまりでしょ? 特に評論書は。それに、朝日新聞出版以下、顔が利いてもしょうがないとこばかりですよ、少なくとも文芸としての営業的には(笑)。そのあたりだったら、二階堂黎人とか日下三蔵なんかのほうが顔が利くんじゃないですか。少なくとも、営業を考慮した企画を持ち込んでくれる。

園主  そこまで言うかあ……。たしかに笠井さんは、顔は利かないかも知れないけど、押しは強いぞ!

ホランド  って言うか、そのあたりの弱小出版社から出てる笠井さんの本って、みんな笠井先生から出版を押し付けられた本ばかりじゃないですか。それだったら、日下さんのミステリアンソロジーや二階堂さんの企画本のほうが、ふつうに売れるでしょう。『探偵小説は<セカイ>と遭遇した』とか『探偵小説論』とか、まだ続いてる『ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つか?』とか、古いところでは作品社から出した『笠井潔伝奇小説集成』とかなんて、もう出すだけ出版社は損するって感じですけどね〜。ボクだって、そんなの全部は買ってないし、そこまで全部、定価で買って読んだり蒐めたりしてる人なんて、園主さまと、はらぴょんさん以外、見たことも聞いたこともないですよ(笑)。

園主  そうかも知れないけど、笠井さんが売れない評論書の刊行を、弱小出版社に押しつけているなんて、そんな見てきたようなことを言わないで欲しいな。
 具体的に書名をあげると、いかにも説得力があるけど、たしか笠井さんも、限界小説研究会の評論アンソロジー『探偵小説のクリティカル・ターン』(南雲堂)に書いてたとおり、売れなくたって出す意義のあることを認めた、有意の編集者が出したのかも知れないじゃないか。

ホランド  園主さまだって、さっきは自分で『笠井さんは、顔は利かないかも知れないけど、押しは強いぞ!』って、言ったじゃないですか(笑)。

園主  そこはそれ。――じゃなくて、それは、つい口が滑っただけで、そんなこと、これっぽっちも思っていません!

ホランド  ぶっちゃけ言っちゃうと、有意の編集者というよりも「主体性がなく、押し切られやすい編集者」というところでしょうかね。

園主  ボロクソだなあ。でも、笠井さんをはねつけるには、「人を人とも思わない」と作家から総スカンを食らうくらいの、骨のある反時代的な編集者が実権を握らないとダメだろうな。毒をもって毒を制す。でも、それはそれで、弊害もあるだろう。だけど今どき、そんな編集者はいないんじゃないか。

ホランド  もともとは東野さんとの比較(?)の話だったのに、東野さんはどっか行っちゃいましたね(笑)。

園主  大江健三郎と渡辺淳一の影響力を、単純に比較できないのと似たようなものだと思ってたもれ。

ホランド  南雲堂とか作品社とかの出版社名が出てくる時点で、笠井さんの負けという感じですけどね(笑)。

園主  弱小出版社には弱小出版社の使命がある、と思ってたもれ。

ホランド  さすがの東野さんも、そのあたりの出版社には、顔が利かないだろうなあ(笑)。

園主  利かない。売れっ子になる前だって、東野さんには縁がなかった。その点、あちこちに幅広く顔の利く笠井さんは、それだけで偉い!

ホランド  まあ、笠井さんで問題なのは、矢吹駆シリーズとかの、売れそうな小説は大出版社(文春、講談社)へ、売れそうにない「志の高い本」、つまり評論書なんかは弱小出版社へと、意識的に振り分けているところでしょうね。このあたりは、なるほど大江健三郎的と言えるかもしれません。そういえば、笠井さん、大江健三郎が好きですよね。

園主  ああ、それは気がつかなかったな。評論は売れないから、弱小出版社に押し付けているというのはわかってたけど、たしかに小説でも、出版社の大きさによって、力の入り方が違うよな。ホントに政治屋って、嫌になるほど力関係に露骨。「弱きを助ける」っていうような、男気(侠気)のかけらも無い……。
 残念だけど、嘘八百でも並べないかぎり、笠井さんの自業自得とも言うべき現状を擁護するのは、私の力量をもってしても無理なようだ。後は、笠井さんが自家宣伝したとおり『自業自得の潔さ』(『道』初版本あとがき)を示して、自身の本質的な問題点を直視剔抉するしかないんだけど、それが絶対にできない人なんだという現実を直視しちゃったところが私の悲劇であり、その悲劇のゆえに、誰よりも熱心な笠井潔ファンである私が、あえて笠井潔葬送派として剔抉係を演じなければならないことにもなっちゃったんだよなあ。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

キララを、探偵す。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 5月20日(水)22時47分38秒
   みなさま


ちょっと面白い発見をいたしましたので、早速ご報告させていただきたいと存じます。

ご存知、竹本健治に『キララ、探偵す。』『キララ、またも探偵す。』(共に文藝春秋)というシリーズ短編集があり、その主人公がセクサロイドとしての裏機能をもつ、メイド型アンドロイドのキララであることは、ここ「花園」の閲覧者のみなさまなら、すでにご承知ことかと存じます。――が、そんなキララが実在していることが判明した、と申し上げたら、どうでございましょう?
――残念ながら、もちろんそんな楽しい事実は無いのでございますが、それに近い現実を発見したのでございます。


以前、Keenさまが、ラブドール(昔の言い方なら、ダッチワイフ)の開発史と現状を紹介したユニークな書物『南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで ―― 特殊用途愛玩人形の戦後史』(高月 靖・バジリコ)を、『キララ、探偵す。』に絡めて紹介し、『南極1号伝説』の表紙に使われたラブドールの顔写真が「キララに見えた」というようなことを、ここ「花園」に書いていらっしゃいました。
この表紙につかわれていたラブドールは、同業界でトップシェアを誇るオリエント工業の製品なのでございますが、昨日ひょんなことから、そのオリエント工業のラブドールのラインナップに、そのものずばり「キララ」(プチジュエル・シリーズ)という名前の製品があるのを、確認したのでございます。

この「キララ」、わりあい最近発売されたものあるのは確かでございますが、いつ頃から販売されている製品かは正確には未確認で、竹本健治のキララを意識してのネーミングであったのか否かも、現時点では定かではごさません。しかしながら、私が調べましたところ、少なくとも竹本健治の方は、オリエント工業というメーカーはもとより、キララという名前のラブドールの存在も知らなかったようでございます。

――さて、ラブドール「キララ」の、ネーミングの真相や、いかに?

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

すべては私のせいなのです。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 5月16日(土)18時27分52秒
  みなさま、相変わらず暢気にサボらせていただいておりますが、私、元気にやっておりますので、どうぞご安心くださいまし。
本日は、Keenさまがお書き込みを下さいましたので、一時的に復帰でございます(笑)。


 Keenさま

お書き込み、ありがとうございます。また、たいへんご無沙汰いたしました。

私の予想では、『幻影城の時代 完全版』が、日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞するはずだったのでございますが、結果的には見事にダブル落選をしてしまいました。

これは一般的には、協会賞の選考委員や本格ミステリ作家クラブの投票メンバーの、鑑識眼の無さに由来するものと考えられるところでございましょうが、じつのところ、その真相は、私の存在に深く関わっているのでございます。――つまり、私が執筆者の一人として関わっておりましたために、プロの先生方に敬遠されるという、我が愛する笠井潔なみの処遇を受けた結果なのでございますね。アマチュアの世界では歓迎されたものであっても、プロの方は、中身以前のことをまず重視なさる。それが、プロ(営利)の世界なのでございます。まして今は、私が活動を休止しておりますので、鬼の居ぬ間に、ということだったのでございましょう。ともあれ、罪もない『幻影城の時代 完全版』関係者の各位には、たいへん申し訳ないことをしたと存じます。

――というのは、もちろん冗談ではございますが、一抹の真実を含んだ冗談とご理解いただければ、幸いに存じます(笑)。



では、またひと眠りさせていただきます。(ρ_-)ノ
 

本格ミステリ大賞決定

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 5月15日(金)09時04分29秒
  あれ〜、幻影城の時代は〜?(T_T)  

淳さまへ

 投稿者:園主  投稿日:2009年 3月 4日(水)23時38分43秒
  お気遣いはまことにありがたいものの、私の感想を忌憚なく申しますと「そんな細かいこと、いちいち気にするなよ」という感じでございます。
私が淳さまに期待しているのは、精神的にもっとタフになっていただくことでございまして、私に気を使っていただくことではございません。そんな私の期待に応えたいと思うのであれば、気の回らないことを謝罪するのではなく、私が安心してサボれるように、もっと頻繁に近況報告をするとか、私がオススメした本の感想を書き込むとかして下さいまし。こんなことで、いちいちオタオタされたのでは、こちらまで落ちつきませんから。

そんなわけで、淳さまが目指すべきは、例えば、新しいパソコンを買う買うと公言がら、その約束を3年経ってもまだ果たさず、いよいよパソコンが使えなくなっても「じゃあ、この際バカンスということで、しばらくサボらせてもらおう」なんてことができるほど、タフな人間になることなのでございます。つまり、男は『タフでなければ生きてはいけない。優しくなければ生きる資格はない。』(レイモンド・チャンドラー『プレイバック』より)でございますよ(笑)。
 

陳謝

 投稿者:  投稿日:2009年 3月 4日(水)21時20分49秒
  ★アリョーシャ

大変失礼しました…
もう既に、パソコンを購入されていて、
容易にレス出来る環境が整っていたと思っていたのです。
不躾な発言、重ね重ねお詫び申し上げます。

なお、この陳謝の書き込みにレスは不要です。
是非とも、この有意な機会にのんびりされてください。
 

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