投稿者
 メール
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

全1844件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

10年目のバカンス

 投稿者:園主  投稿日:2009年 3月 4日(水)20時08分46秒
  みなさま、ここ「花園」の補強整備に関して、何の進展も見ないままに3月となってしまいました。まことに申し訳ございません。
この文章も携帯で書いており、ひととおり書き上げた後、パソコンに転送し、仕上げをほどこした後にアップするという手順でございます。


このところの私でございますが、車を運転して出かける時間が増えたとはいうものの、それ以外は以前と変わらず、ぼちぼち本を読み、映画を観るなどしております。ですから、文章を書こうと思えば、ネタがないというわけでもないのでございますが、本を読んだり映画を観たりして、そこから何かを得、なにかしら自身が高められたと感じられれば、それだけで満足し、それ以上あえて何かを書きたいという気持ちにまではならないのでございます。つまり、現在の私には、知的欲求は変わらずあっても、表現欲求が乏しいのでございますね。またそんなわけで、私にとりましては「表現ツール」以外の何物でもないパソコンの整備作業が、なかなか進まないのでございます。

たとえば、例の田母神 元幕僚長が、見るからに頭の悪そうな本を出して調子こいている様子や、たびたび新聞・テレビに話題を提供している阿呆内閣の行状にも、日本人として当然の忸怩たる思いを抱いてはおりますものの、それをわざわざ語るのも馬鹿馬鹿しいという気分でなのでございます。
昨日、山下和美の新刊『天才柳沢教授の生活』第27巻と、買い逃していた『不思議な少年』の第7巻を買い、先ほどこの2冊を読了いたしました。今回はどちらも全体に楽しめましたが、どちらかと言えば、苦みのつよい『不思議な少年』のエピソードのほうが、今の私には強く訴えたようでございます。不思議な少年のしばしば口にする「人間ってやつは……」というため息にも似た言葉は、今の私にとりわけ馴染むものなのでございます。ですから今の私は、さながら不思議な少年のごとく、眉をひそめ、一歩ひいた位置で人間を眺めております。

『不思議な少年』第7巻の掉尾に収録された第29話「ヨコハマ・リリィ」
――戦後の焼け跡に立つ、お姫様に憧れる変り者の少女娼婦リリィは、進駐軍米兵の姿で現れた不思議な少年を、待ち続けた「私の王子様」として恋しますが、やがて不思議な少年が、永遠にみつからないであろうものを探し続ける旅人であることを直感して、自分と結婚することでその旅を終わらせようと持ちかけます。しかし、不思議な少年は、その申し出を断ったうえで「でも、いつか…、またここに戻ってくる」と約して旅立ち、以降リリィは、不思議な少年の帰還を待って、その場所で街に立ち続けました。そして、老婆になったリリィの前に、とうとう不思議な少年は帰ってまいります。


 リリィ   「捜しつづけていたものは、やはりみつからなかったでしょう?」
 不思議な少年「(※ 僕があの米兵だと)気づいていたんだね」
 リリィ   「いくら年格好を変えても駄目よ。だって…瞳が同じだもの。
        何十年も待ちつづけているうちに段々わかってきたの。
        あなたは永遠の旅人だってこと。
        そして…、あなたはみつからなくても、永遠に捜しつづける人だわ。
        ―― 行きなさい。」


リリィは、不思議な少年が再会をさんざ躊躇したあげくに意を決して姿を見せたのだということを、察していたのでございます。
不思議な少年は、戦後の焼け跡で再会を約した際、別れ際に託されていたリリィの大切なオルゴールを返すと、ふたたび時空の彼方へと旅立っていきます。そして残されたリリィのほうは、オルゴールの懐かしい音色にしばし耳を傾けたあと――。


  「さてと、元気出して行こうかね…。あの人と違って、私にはゴールがあるんだから!」


そう独りごちて、元気に歩みはじめるのでした。


――ですから私も、いつまでも不思議な少年を気取ってはいられません。しばらく静養させていただいたあとは、また元気出して行かなければならないのでございます。





 KeenJr.@時雨詩亜さま

こんにちは、はじめまして

こちらでは、初めまして。「アレクセイの花園」へ、ようこそおいで下さいました。

まずは、ご挨拶の遅れましたことをお詫びさせて下さいまし。そして、これに懲りず、末長くおつきあいいただければ、幸いと存じます。
言うまでもございませんが、親子二代に渡ってこの掲示板をご利用ご愛顧いただけますことは、私にとって何よりもうれしく誇らしい、管理人冥利に尽きることなのでございます。


さて、ご投稿いただきましたショートストーリーでございますが、まず言えることは、中学生になられたばかりの方の御作にしては、大変達者な文章だということでございます。少なくとも、お母上が、ここ「花園」でのリレー小説に参加して、最初に書いて下さった時よりも、お上手なのではないかと存じます(笑)。

じつは私、一年ほど前から東京在住の中学生男子と、月に一度ていどのペースでメールのやりとりをしております。彼も、とうてい中学生とは思えない達者な文章を書く、とても頭のよい方なのですが、「アレクセイの花園」でおおっぴらにやりとりをする覚悟はまだ持てないとのことですので、個人的にメールをやりとりすることになりました。
彼はすでに『虚無への供物』や『匣の中の失落』を読んで、気に入ってくれておりますし、舞城王太郎はお気に入り作家でございます。今は、中井英夫の短編集『幻戯』を楽しみつつ『トグラ・マグラ』に挑戦しておられます(笑)。
中学生が、少ないお小遣いのなかからこうした本を購入し、読んで下さるというそれだけでも十分にありがたいことなのに、そのうえ的を射た感想を聞かせて下さるのですから、こんなにうれしいことはございません。素直な向上心を持つ若者に接することができるというのは、まさしく天佑とでも呼ぶべきものでございましょう。

同様、時雨さまのショートストーリーも、たいへん楽しく興味深く拝読いたしました。全体に、夢独特の不思議な非現実感や不連続性が、うまく表現できていると存じます。これはたぶん、変に辻褄をあわせようせず粉飾をほどこさず、素直に夢を文章に移そうとなさったからでございましょう。むろん、それ自体、決して容易なことではないのでございます。

それにしても、特に素晴らしかったのは「口紅のケースに差し込まれていた親指」のイメージでございます。
小説にするならば、指は人差し指で、蓋を開けると爪先がこちらを向いていなければならない、といったこともございましょうが、ともあれ、口紅のケースに指が刺さっているというイメージは(前例の有無まではわかりませんが)、ミステリ作家や幻想小説家なら、きっと使ってみたいイメージなのではないかと思いました。また、そう思わせるだけでも大したものでございましょう(私は、麻耶雄高のデビュー作『翼ある闇』に登場する、切断された足首の入った一足の靴を連想いたしましたが、イメージの洗練度では、指の差し込まれた口紅ケースの方が上でございましょう)。


今後も、内容にこだわらず、あれこれお書き込みをいただければ、幸いと存じます。以後おつきあいの程、よろしくお願い申し上げます。



 Keenさま

自子紹介

Keenさまの子煩悩ぶりが窺われるフォローでございましたね(笑)。

それにしても、子供の成長というのは感動的でございます。独身の私に自分の子供はおりませんが、だからこそディスコ・ウェンズデーの気持ちが、少しはわかるような気がいたしました。

それから、Keenさまにお願いでございますが、詩亜さまには(マンガも含めて)良い本をたくさん与えてあげて下さいまし。特に今回のオススメは、前説でふれましたご存知 山下和美の傑作シリーズ『天才柳沢教授の生活』と『不思議な少年』。
若い詩亜さまには渋すぎて、ちょっと難しいところもあるかも知れませんが、いずれ数年中には読むべき本だと存じます。


ともあれ、Keenさまからも詩亜さまに、肩肘張ることなく気楽にお書き込みいただきますよう、「花園」の先輩としてご助言いただければと存じます。



 さま

星を見ないで地べたを生きる。

上のお書き込みにつきましては、メールでのレスに書かせていただきましたとおりで、人間には何かをなさねばならないという義務はありませんし、成人君子になる必要もございます。また、ゲバラやヴェイユのような非凡な人間にならなければならないというようなことも無いのございます。
自分の人生を誠実に生きられればそれで十分であり、そのうえで、他人を喜ばせることができたり社会に貢献したりすることができれば、それは幸運なことであり喜びなのでございます。ですから、あまり欲張ったり焦ったりして、自分で墓穴を掘らないようにして下さいましよ(笑)。

淳さまには、『不思議な少年』第7巻収録、第27話「ペーター・ユルゲン」をオススメしたいと存じます。


闇の終わり

さて、職業訓練学校でコンピュータ・プログラミングを勉強なさるのでございますね。

すでにオジサンの域に達しつつある方には、なかなか大変な勉強かと存じますが、「アレクセイの花園」の技術顧問になって、まずは私に貢献できるようになって下さいまし。世間一般への貢献は、そのハードルを越えてからでもよろしかろうかと存じます(笑)。



 ホランド

――というわけで、もうしばらくは羽を伸ばしてもらって結構だ。「アレクセイの花園」の本格的再開を心待ちにして下さっている方には申し訳ないんだけれど、この際、10年目の浮気…じゃなくて、10年目のバカンスということで、いましばらくは見逃してもらおうじゃないか(笑)。





それではみなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

闇の終わり

 投稿者:  投稿日:2009年 3月 3日(火)22時10分10秒
  ★アリョーシャ

大体、ローズ・ガーデンの管理者が定期的な剪定(せんてい)を怠ってるとは何ぞ何ぞ!!
はぅ、私メも近況報告途絶えてましたね、、、、すみません…


┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨



そそ、東京都の職業訓練校に入るにも一応試験なるものがあるんです。今年は大不況のあおりも受けまして、失業者が急増。倍率は二倍と大変な難関(テヘっ)となりましたが、私メ見事に合格!とあいなりまして、今年の四月から「ネットワーク・プログラミング科」なる名称のクラスでパソコンを勉強することになりました。

既にjavaだc言語だ、SQLだのとワケ分からん書物を取り寄せてはプログラミング言語を勉強していますが、まあ(個人的に)難しいこと難しいこと。一年間ミッチリ…大変ですコレ。

まあ幸い(?)、ワタクシ立派にドタマ障害者二級をやってるもんで、「障害者枠で就職出来たら(ニヒヒ)」と悪い笑みで楽天的に将来を見据えています。←ホントに狂っとるんか疑わしい…。さてさて、この大不況を「持たざる者」が独りで生き抜くことが出来るのでありましょうや!?

┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨




「花園」は「百花繚乱」(でしょ?)。
ってんでー、ここで是非是非紹介したい音楽作品があるんですよ。
嘗て大友良英を率いて、前衛シーンを牽引していたGround Zeroの『plays standards』です。下記はミクシィのレヴュー。

「これを聴いて感興を覚える人間には、江原啓之のオーラが、蟲の如く湧き出ずる醜貌を診ることが出来る資質を持つ。 七転八倒の傑作。」

なんか意味不明ですけど、要するに(?)スタンダードとして認知されてる曲をポスト・フリーに大友を筆頭に、百戦錬磨の達人たちが演奏したらトンデモナイ作品に仕上がってしまったということです。





★keen母さま&KeenJr.@時雨詩亜さま



なんかいいですねー、親子のやり取りが微笑ましいです。
なんていうかなああー、早熟の才能って、
「何者かである」と過信して生きてきた勘違い男からすると、
いい歳(32)して中学生にとってもジェラゥスです。
 

自子紹介

 投稿者:Keen@母  投稿日:2009年 3月 1日(日)00時08分36秒
  あのー、本人が書き忘れているので追記しますと、「時雨」は「トキサメ」と読んで頂きたいようです。断り書きを入れないと、麻生さんはともかく、普通は「シグレ」って読んじゃいますよねー。
Keen Jr.のハンドル「時雨詩亜」は「トキサメ シア」でお願い致します。

それと、園主さまはお気づきでしょうが、詩亜の創作には舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』の影響もあるようです。が、詩亜はこれを読んでいません。私がちょっと梢ちゃんの話を聞かせただけだったのですが、相当印象が強かったものと思われます。
なんとなく京極夏彦調も感じられますが、実は、長じてからの詩亜が書いたものをきちんと読むのは、初めてに近いです。こういうのを書くようになったのか……
小学校低学年の時には平仮名で園主さまと文通をしていた詩亜も、年齢が二桁に近づいた頃からのブランクを経て、ついに「花園」デビューしました。現在はチューボーです(あ、女の子ですけど)。

詩亜の亜は亜愛一郎の亜だっ!
(※このハンドルは、本人が亜愛一郎シリーズを読む前から使っています。暗合の子は暗合?)
 

こんにちは、はじめまして

 投稿者:KeenJr.@時雨詩亜  投稿日:2009年 2月26日(木)19時14分55秒
  初めまして、Keen Jr.こと時雨詩亜です。
今日は初投稿なのですが、私が書いたSSを投稿させていただきます。
ある日の昼寝中に見た夢なのですが、自分でも何でこんなことしてるんだ?という部分が多すぎて、とりあえず書いてみたものの内容が把握できずにいる部分もあります。
題名も決まっておらず、どうしようかなあと考えたりもしていますが。


振袖を着て、髪を高く結い上げた女性が、映画を見ている。どうやらラブロマンス物のようだ。
目の前の大きなスクリーンには、綺麗な女性と男優が恋愛劇を展開している。


その映画も、しばらくすれば終わる。映画が終わると、女性客の多くが顔を赤らめて感想を言い合っている。
振袖の女性は、終わってもまだ暗いままの劇場をゆっくりと歩き、出口へと歩を進める。

しばらくすると、忘れ物が無いかどうか調べている劇場のスタッフが、一つの忘れ物を見つけた。


「あら?口紅を忘れている人がいるのね」


本来紅や橙の色がついているべき場所。
そこには誰のとも分からない親指が刺さっていた、とそれを見つけた女性は証言したそうだ。




ある日、刑事と警部がとある女性の家を訪れていた。その女性は、親指が入った口紅が落ちていた席に座っていたという。
女性の家は大きく、玄関から中に入ると真っ先に二階へ続く大きなうねった階段と、埃で汚れた古ぼけたシャンデリアが眼に入る。
彼女は、黒い振袖を着ている。顔立ちはすっきりと整っていて、美人と形容するに相応しい。


「貴女は、何か知らないんですか」

「知りませんわ。それにしても。私が犯人で口紅の中に殺した人間の親指を入れて捨てたとおっしゃるの?」

「その可能性も捨てきれないでしょう」

「おかしなことをおっしゃるのね。私が犯人なら、そんな分かりやすいことはしませんわ」

「ええそうでしょうね。でも気が動転していて正しい判断力をもてなかったという場合だってありますよ」

「知っているわ。犯人は楽しみたかったんじゃないかしら」

ふふふ、と女性が笑う。
刑事と警部は怪訝そうな顔をしている。

「案外この指の持ち主は、私かもね」

「でも貴女の指は10本ともあるでしょう」

「幻覚かもしれないわ。もしかしたら誤魔化しているのかもね」

やはり刑事と警部は怪訝そうだ。女性はつかみ所のない口調で、揶揄するようにしている。
す、と女性は身体が沈み込むような柔らかいソファから立ちあがり。軽快な歩調で階段を登っていく。
二人が何だ、と顔を見合わせたとき、女性が声を出した。


「あら、ここにも指が落ちているわ」



あーあ かのじょはまたゆびをうしなってしまったのね





深夜だろうか。カーテンを閉めずとも外は暗いようだ。その中で、“私”が今までのことをテレビで見ている。
女性が呟くと、“私”はテレビを消し、身体に巻きつけていた毛布を手に抱える。

そして、立ち上がる瞬間、“私”は見知らぬ男性となっていた。
“私”だった男性は、部屋を出て廊下をゆっくりと歩いている。そして、一度部屋に入り、扉を閉めた。
が、一人暮らしのはずなのに扉の外から物音がする。男性は“私”の意思とは裏腹に扉を開けて再び外へ行く。

するとキッチンの方に淡い光が燈っている。男性は、少し速い歩調でキッチンの方へ駆けていく。

そして、男性はキッチンへ着くと、やわらかい微笑みを浮かべる。



突然意識が浮上する。ようやく“私”が現実で目覚めたんだ。けたたましく鳴り響く目覚ましを叩いて止める。
小さな古臭いアパートの一室に、“私”は住んでいる。

すっくと起き上がり、ぼさぼさの前髪をオールバックのように後ろに撫で付ける。部屋をうろうろしながら思う。



あの男性になった“私”は、あの光に何を見たんだろう?小さなキッチンを入り口から覗き込む。
ここに淡い光があったんだろうな。でも“私”の家のキッチンは大分違うけど。
冷蔵庫を開け、外国産のミネラルウォーターを取り出し、キャップを捻って口をつける。

寝ぼけた頭で小さな部屋をうろうろとしながら着替える。
ふと顔を洗面所の方へ目を向けると、ワックスやブラシの傍に口紅ではないが、リップクリームが無造作に転がっている。


これを開けたら、“私”はあの夢の中で光を見ることができるのだろうか?





嬉々として蓋に手をかける。




この“私”というのは、時雨です。色々と最近読んだ本の内容がちらちらと見えていますが・・・(たとえば“私”が住んでいる『古臭いアパート』というのは三浦しをんさんの風が強く吹いているの竹青壮、など)

いつか感想をいただけたら嬉しいです。
では、また。
 

 ストリブリング・クイーン・乱歩

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月22日(日)13時27分14秒
 

    ストリブリング・クイーン・乱歩


                             田中幸一


※ 『カリブ諸島の手がかり』の内容とオチに言及します。未読の方はご注意下さい。

 SRの会が生み出した狂歌に「この味が、いいねと乱歩が言ったから、サキ、ダールまでミステリのうち」というのがある。作者は失念したが、折に触れて思い出す、掛け値なしの傑作である。
 今回、河出文庫入りしたのを機に、T・S・ストリブリングの『カリブ諸島の手がかり』を読んだ。国書刊行会や論創社などからハードカバーで刊行されている所謂「黄金期本格」というのにそれほど興味のない私は、その一方で、国書刊行会ならSFの方ばかりを購入して積読の山を築いていたりする。そんなわけで、今年三月に刊行された『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』という『このミス』のベストオブベストランキングを見るまでは、ストリブリングも『カリブ諸島の手がかり』も知らなければ、もちろんポジオリの名も知らなかったのだが、名だたる名作群に伍して第25位につけていたこの作品ならハードカバーで読む価値もあるだろうから、古本で見つければ是非購入しようと思っているうちに、今回の文庫化とあいなったのである。

 当然のことながら、私はほとんど予備知識なくこの作品に接した。ぜいぜい「本格ミステリの古典的名作」という予断があった程度のことだろう。だが、実際に読みはじめてみると、本格ミステリとしてはどこかズレていて、切れ味に欠ける。「ユーモアものだとは言え、これで本格の名作と言えるのか?」と疑問を感じながら読み進めたいった結果、いきなりにあのオチに、うっちゃられてしまった。

 たしかに、ユニークな作品ではある。しかし、この作品を「本格の傑作」と評価するのは、違うのではないか。また、オチの驚きだけで評価すべき作品でもない(私たちはすでに、映画『ジェイコブズ・ラダー』や小泉迦十の『火蛾』といった作品を持っている)。そう思った。そして、その後、羽柴壮一の解説を読んで、すべてが腑に落ちた。本作は、かの「本格の神様」エラリー・クイーンが絶賛した作品だからこそ、「本格の名作」だと大方に勘違いされたのだ。――つまり「この味が、いいねとクイーンが言ったから、ストリブリングも本格のうち」というわけである。

 山口雅也は本作を高く評価して『ミステリが辿ったかもしれない、もうひとつの歴史を示唆している』と言い、有栖川有栖は本作を評して『最後の最後で推理小説の底が抜ける』と評したそうだが、こうした評価は本作の特異性を指摘するものであり「オーソドックスな本格」からの逸脱性を指摘するものに他ならない。つまり、本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、クイーンの権威に引きずられた、的外れな評価でしかないのである。もちろん、解説で羽柴が指摘しているように、クイーン自身も、本作を単純に「オーソドックスな本格」として評価していたわけではあるまい。本作が提示するのは「本格ミステリにおける論理性の限界」の問題、つまり「後期クイーン的問題」に直結するものであり、だからこそ本作は「論理のパラダイスとしての本格ミステリ」ではなく、その正反対の(悪夢)世界を描いてみせたのだ。

 本作中で「探偵役」を演ずる主人公の心理学者ポジオリは、植民地支配の影響色濃いカリブ諸島において、そのリベラルな思想から、現地の支配階級白人の差別意識や文化破壊をしばしば批判してみせる。こうした態度は、作者ストリブリングが、後の1930年代には『(※アメリカ)南部社会の矛盾や人種差別、物質主義への批判を盛り込んだ』作品を書いて評価され、ピュリッツァー賞を受賞した、という経歴からも納得のいくところであろう。しかしながら、ポジオリは作者ストリブリングの思想をそのままに体現した人物というわけではない。ポジオリは心理学者であり、心理学的な手法によって、知的に「名探偵」を演じたいという欲望に突き動かされた結果、ひどい目に遭うことになる「西欧人」である。つまり、「心理学」と言い「知的=論理的=名探偵」と言っても、それは「西欧的な知」を体現するものであって、決して「カリブ文化的(オリエンタル)な知」ではない。その齟齬に配慮し得ず、自己の知的優位の上に胡座をかいたからこそ、ポジオリは「西欧的な知」を体現する「名探偵」として、敗れさらざるを得なかった。言い換えればポジオリは、ポストモダン・ミステリの理論家であるステファーノ・ターニが語った「やぶれさる探偵」を、半世紀も早く先取りした存在だったのである。

 さて、ここで注目すべきは、ストリブリングが、アメリカ人であるにも関わらずアメリカの歴史や文化に批判的な目をもち、西欧人であるにも関わらず「論理的思考=西欧的な知」を相対化する目を持ち、ミステリ作家であるにも関わらずミステリを批評的に相対化する目をもった作家であった、ということである。つまり、「本格の神様」であるクイーンは、「本格ミステリ」の一面性を揶揄し批判する「本格の鬼子」的な作品とも評すべき『カリブ諸島の手がかり』を、わざわざ高く評価したのだ。この意味は、重大である。なぜならば、こういう批判者に対する公正さがあったればこそ、クイーンは後年「本格の論理性の基礎」を追求するという、自己批評的な、極めて困難な作業に、誠実に取り組むこともできたと言えるからである。

 つまり、クイーンが、ストリブリングあるいは『カリブ諸島の手がかり』を高く評価したのは、それらが「本格ミステリ護教主義」的な作家であり作品であったからではなく、まさにその正反対のものだったからなのだ。つまり『カリブ諸島の手がかり』は、「オーソドックスな本格」として傑作なのではなく、「アンチ西欧知」としての「アンチ本格」という「メタ・ミステリ」として、その先駆性・先見性において「歴史的な傑作」だったと評価すべき作品であり、その点を正しく捉え得たからこそ、山口雅也は本作を先のように的確に評し得たのである(山口が、異世界ミステリや量子力学ミステリに強く傾いていることを、ここで想起していただきたい。山口は、クイーンの末裔であるとともに、ストリブリングの末裔でもあるのだ)。

 したがって、「本格の鬼子」である本作を「オーソドックスな本格の傑作」と評価するのは、本作の真意を理解しない、蒙昧かつ権威主義的な「本格ミステリ護教主義」でしかない。クイーンが偉大なのは、安っぽくて頭の悪い「護教主義」には走らず、「(本格)ミステリ」の可能性に貪欲かつ公正だったからで、その態度は『単にほめるだけの追従よりも、正当に評価すべきものは評価し、批判すべきものは批判する平林初之輔の批評を最も信頼していた』(権田萬治)という、本邦の巨人江戸川乱歩の偉大さにも通じていよう。

 クイーンや乱歩はたしかに偉大だった。しかし、クイーンや乱歩が『誉めたから』といって、それを鵜呑みにすることで、その権威に追随しようとする者は、自らが担ぐ「教祖」の教えに対して、忠実な信者だとは、決して言えない。クイーンや乱歩の読者たる者、少なくとも批評家を名乗る者は、クイーンのストリブリング、乱歩の平林初之輔として信頼を得られるような、気骨をこそ持つべきなのである。



 2008年8月30日


 初出:『SRマンスリー』(2008年11月号 NO.361)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

風邪ひき療養中

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 2月11日(水)12時42分53秒
  久しぶりに本格的な風邪です。
先週、Keen Jr.がすわインフルエンザか?という高熱で早退してきて、でも違ってたのですぐ回復して今はもう元気なのですが、その看病疲れがでたのかもしれません。
あるいは、泡坂妻夫さん逝去のショックもあるかと……生きている間は、いつかまた亜愛一郎シリーズの続きを書いてくれるかも、という希望を持てたのに、もう永遠に亜くんに会えないんですね……
『幻影城の時代 完全版』の亜智一郎最新作がシリーズ最後の作品になったのでしょうか。
今、本棚から亜シリーズの文庫本4冊を引っ張り出して、読み返しているところです。何回読んでも面白いです〜。Keen Jr.もすっかり亜くんファンになり、今は智一郎を読んでいるところです。
昨年の大河ドラマ『篤姫』でちょうど智一郎の時代の江戸城が描かれていたので、『篤姫』の配役の役者さんを私の脳内スクリーンで智一郎たちと共演させて、楽しんでいます。

NSR第2回も読み返してみました。我ながら冴えてたなあ〜とか思ったりして。

元気になったら、また改めて。
 

『20世紀少年』第二部を観る。

 投稿者:ホランド  投稿日:2009年 2月10日(火)12時27分19秒
   みなさん、こんにちは!  昨日は園主さまと『20世紀少年 第二部 最後の希望』を観てきました。
 じつはボク、原作はむろん、映画の第一部そのものも観ておらず、テレビで放映された第一部の編集版「もうひとつの第一部」を観て、第二部を観ることにしたんです。でも「もうひとつの第一部」がよく出来ていたので、第二部からでも十分に楽しめましたよ。

 以下にご紹介するのは、先ほど園主さまに送った携帯メールです。

=========================================================================================
【第一信】

こんにちは。(^O^)/

昨日『二十世紀少年』第二部にお誘いいただき、ありがとうございました。


テレビで第一部の総集編を観ていただけにしては十分楽しめる作品でしたが、やっぱり第二部らしい弱さはありましたね。第一部や第三部に比べたら、間違いなく見せ場は少ないんでしょう。それでも主人公たちが、逆境のなかを自己犠牲的に頑張っている姿には感動させられます。ボクは、信念に生き、大勢に抗して闘う孤独なヒーローというのに、どうしても惹かれてしまうんですね(こないだから観た『チェ』二部作もそうでしたが)。
この作品のテーマは、タイトルどおり「20世紀の少年性(とは何か?)」ということであり、その功罪だと、ボクは読みました。「功」の部分はケンヂたちの正義が象徴し、「罪」の部分は ともだち のようなルサンチマンに凝り固まった孤独な人間を生み出さなければならなかったという側面なんでしょう。もちろん、この物語を駆動しているのは、後者の「謎=秘められた真相」なんでしょうし、そこが『三丁目の夕日』的な現実逃避的ノスタルジーには回収されない、本作の本領なんじゃないかと思います。

---------------------------------------------------------------------
【第二信】

いま思いついたことをちょっと書きます。

ケンヂたちに象徴される「仲間=友達」の魅力(友情と結束)というものは、おのずとその「外部」を生み出さないわけにはいかない。仲間になりたい者のすべてが、仲間になれるわけじゃない。だとすれば、仲間というものが素晴らしいものであればあるほど、そこから爪弾きになった者の孤独は深い、ということなんでしょうね。だから、そんな「自分を爪弾きにするような世界なら、いっそ滅んでしまえ」なんて思っちゃう。

まあ、そうした意味でボクは――、人は独りであることに堪ええないと道を誤る、仲間の存在というのは、当然のものではなく、むしろ稀有な幸運だと考えるべきなんだ、と思います。
実際、ケンヂたちが取り結んだような「真の友情」なんて、現実には、めったにあるものではありませんからね。孤独に堪えられなければ、エセ友達としての馴れ合い関係か、単なる損得打算によって結ばれた徒党を組み、それを仲間や友達と呼んで美化し、自己満足するしかない。そういうことなんだと思います。
 

亜愛一郎の昇天

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月 4日(水)23時04分58秒
   みなさま

私的には「『亜愛一郎の狼狽』などで有名」な――、あの泡坂妻夫さんが、昨日お亡くなりになりました。



『 泡坂妻夫さん死去=ミステリー作家、「蔭桔梗」で直木賞

 「乱れからくり」など奇想天外な着想による本格派ミステリーで知られ、「蔭桔梗」で直木賞を受賞した作家の泡坂妻夫(あわさか・つまお、本名厚川昌男=あつかわ・まさお)さんが3日、東京都板橋区の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀は未定。喪主は妻耀子(ようこ)さん。
 紋服に家紋を描く紋章上絵師の家に生まれ、家業を継いだが、40歳を過ぎて書いた推理小説「DL2号機事件」が雑誌「幻影城」新人賞の佳作に入選し、作家デビュー。アマチュア奇術師としても著名で、「しあわせの書」「生者と死者」などの作品では単行本に仕掛けを施すユニークな試みが話題を呼んだ。
 このほか、推理小説的な趣の人間ドラマや時代小説も手掛けた。代表作に泉鏡花賞を受けた「折鶴」「喜劇悲奇劇」「11枚のとらんぷ」「写楽百面相」などがある。(了)

(2009/02/04-13:31)』

          (http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009020400476



泡坂さんとは昨年開催された「島崎博さんをお迎えする会」で初めて対面し、かねてより聞き知っていた巧みな手品を見せていただくことも出来ました。

私は、泡坂さんの「亜シリーズ」のファンではあっても、泡坂妻夫ファンを名乗り得るほどの熱心な読者ではなく、初対面にも特別な感慨はございませんでした。ただ、その飄々として好々爺然としたたたずまいに、人間としての魅力をつよく感じました。やはり、泡坂妻夫は、あの「雲の写真家」亜愛一郎の産みの親であり、亜は泡坂妻夫の分身だったのでございます。そして泡坂さんは、雲の彼方へと帰っていった――。

泡坂妻夫さんのご冥福を心よりお祈りしたいと存じます。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

『静かなる祝祭』刊行。

 投稿者:園主  投稿日:2009年 2月 2日(月)22時42分46秒
   みなさま

新パソコン導入に向けての準備でございますが……。申し訳ございません。今のところ、まったく進んでおりません。言い訳をしてもキリがないので止めておきますが、ともあれどうか、今しばらく猶予を下さいまし。m(_ _)m



さて、そんなことを言っている間にも、みなさまにお知らせしておかなくてはならない情報が入りましたので、速報的にご報告させていただきます。

私も参加いたしました同人誌版『幻影城の時代』が大幅増補されたうえで、過日講談社から『幻影城の時代 完全版』として公刊されたというのは、既にご承知のことかと存じますが、この『完全版』に収録、初公開された竹本健治の『静かなる祝祭』が、『匣の中の失楽』刊行30周年企画のひとつとして、スピンオフ単行本として刊行されます。

『静かなる祝祭』は、竹本健治のデビュー作『匣の中の失楽』の原型となった未完の作品でございますが、今回の単行本では、竹本健治の「当時の手書き原稿」をそのまま縮小して編冊し装丁を施した、竹本健治ファンには見過ごせない異色の一冊となっております。

――とは言え、このとおり本書は「竹本健治ファンのための本」と言ってよく、初めから一定数以上売れないのは見込んだ上での刊行ですので、この機会に買い逃すと入手が極めて困難なものとなる可能性が高いため、ここ「花園」をご覧の竹本健治ファンの方に向けて、速報させていただいた次第にございます。
本書は、同人誌版『幻影城の時代』と同様、紀伊國屋書店やブックファーストなど一部の大型書店にも配本されるそうでございますが、小部数刊行のため、地方にまでは行き渡らないものと存じますので、こうした一般書店で入手できない方は、ネット検索してみて下さいまし。東京や大阪などの一部古書店でも定価販売がなされる予定で、そちらで電話注文も可能になろうかと存じます。




それではみなさま、おやすみなさいまし。
 

星を見ないで地べたを生きる。

 投稿者:  投稿日:2009年 1月28日(水)18時45分21秒
  ★アリョーシャ

自身の病気がもたらす生き方の怠惰性を差し引いても、
僕の現実生活に見られる特質は、全般的に「甘ったれ根性」であるということです。
実際、僕は自殺未遂以来、特に両親の生温い庇護下にあるために、
差し迫ったあらゆる危機を先送りする努力だけで生きていました。
つまり「自立的な生活をする」という基本的な厳しい現実に、目を塞いで生きてきたんです。
だからこそ、ろくに現実に即した思考をすることも、
僕の尊敬する人々が生きる行動主義に徹することも出来ないでいました。
というのも自分の生活を疎かにしている人間の行動主義など欺瞞に過ぎないことくらいはわかるからです。

僕の尊敬する友人などは、自らの生活を大切にしながら、
釜が崎の炊き出し支援などで、行動主義を生きています。
彼らの胸の内には「如何しても看過することが出来ない」という憤怒の念が根底に生きており、
「もう、そう行動せざるを得ない」という力に換気された彼らの行動主義には感動を覚えます。
逆にいえば、「憤怒の念」に依拠しない行動主義は贋物であり、唾棄すべきものだと思っています。

まだ行動主義に生きられない僕は、
「まず僕は独りで生き得るための労働基盤を作り出さないといけない」
と思い立ち、公的な職業訓練校で職能技術獲得のために勉強することに決めました。
仮に生活の基盤を得ても、僕は行動主義を生きることは出来ないかもしれない。
それは真に恥ずべきことなのだろうか?


*************************************************************


>『巻末に付記されていた高村薫の作品』というのが、よくわかりません。
>何を指して、おっしゃっておられるのか? 誤記なのでございましょうか?

遅くなって申し訳ありません。これは僕の間違い…北村薫でした。
アリョーシャから頂いた『先生と僕』の巻末にさりげなく

「あ、そうそう。まだ先の話だろうけど、卒論を書く前には『六の宮の姫君』を読んでおいた方がいいと思うよ」

とありますよね。
すみません…。因みに僕は高村さんも北村さんも読んだことがありません…
 

「いかに現実を生きるか」を問え。

 投稿者:  投稿日:2009年 1月28日(水)18時11分16秒
  ★アリョーシャ

お久しぶりです。

これだけ間をあけてしまったのには、それなりの理由があります。
年始にアリョーシャから長文の激励&アドヴァイス・メールを頂戴して、

”「言葉の運用」に厳格であることこそが、自他共に誠実さを表すことなんだ”

と自分に言い聞かせるうちに、何も書けなくなりました。

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」
最もベタなウィトゲン・シュタイン哲学の命題ですが、
むろん、僕は彼の深甚な哲学の真意を心得ているわけではありません。
しかし僕は、この命題に反駁するように、多くの「語りえぬもの」について
いかにして「わからん」のか「沈黙」を破り、
敢えて公けに「語る」勇気と気概を持たなくてはならないのかもしれません。

「完結した結論」を提示しようとする努力から何も書けない自分より、
未熟ながらも「思考の過程」を恥をかきながら書けるようにならなければ。

幸い僕にとって「花園で書く」という行為は、
取りも直さず、アリョーシャの「情の濃い指弾」に晒されることになりますので、
少なくとも、僕に自己修正能力(反省力)が微塵でもあれば、
ささやかであっても、成長を期待することが出来るでしょう。

ただ悲しいのは、推敲を心掛けて自らの文章を客観的読者として目にするとき、
その「凡庸な退屈さ」に反吐がでるのです。
それもこれも、意識下に秘された「過大な自尊心」と「過剰な自意識」ゆえでしょう。

といのも僕には「私は何者かである(筈だ)」という鼻持ちならない選民意識が確かに存在し、
結局「私は何者で無かった」と認めざるを得ない根拠の数々にアタマをもたげるのです。

どだい大したことが書けない人間なのだから、
抽象化された観念や想念ばかりに耽溺してないで、
もっと身近な生活の話から僕は書き始めることが大切でしょう。
だって身近な生活の一瞬一瞬にこそ、
自らを問われる現実に即した思想的課題が山積している筈ですから。

「どれだけ本を読んだか」というよりも、
「いかに現実を生きたか」のほうが、遥かに人間の真贋を決する問題だと思うのです。
 

遅れ馳せのご報告

 投稿者:園主  投稿日:2009年 1月25日(日)23時49分1秒
   みなさま

おひさしぶりでございます。
昨年末も書き込みが間遠だったのでございますが、今年は元旦のご挨拶以来、私、ホランド共々、まったく書き込みをしておりませんでしたので、ご心配下さった方もあろうかと存じます。そんな奇特な方には、たいへん申し訳ないないことをしたと、伏してお詫び申し上げたいと存じます。m(_ _)m

書き込みの出来なかった理由でございますが、当初は昨年末同様、なんとなく気が向かないという、自分でも今だにハッキリしない理由によるものだったのでございますが、7日ごろでしたか、友人にメールを書こうとしたところ、以前から不調だったキーボードがとうとう故障してしまい、文章が打てなくなってしまったのでございます(なにしろ「e」のキーが反応しないのでは、文章は書けません)。それでも、新しいパソコンにするのが面倒で、キーボードの買い換えでしのごうとしたのですが、なにしろ10年前のパソコンの純正キーボードでございますから「今のOSに対応したキーボードでは、きちんと対応するという保証は致しかねますので、中古を探された方が確実でしょう」と、販売店員に言われてしまいました。で、そんな手間をかけるくらいならパソコンを買い換えたほうが早いと考え、Macのコーナーを見に行きますと、Macもずいぶん安くなっており、キーボードだけ買い換えることなど馬鹿馬鹿しくなって、パソコン自体の買い換えを決断いたしました。
しかしながら、新しいパソコンを導入するには、まず部屋の片付けをしなくてはならないのですが、なにしろ物が無闇に多いため、なかなかこれが容易には着手しかねているというのが、いつわらざる現状なのでございます。

したがいまして、私がやる気を無くしたとか、病気になったとか、自動車事故で死んだから更新が滞っているといったようなわけではございませんので、その点はどうかご安心くださいまし。平たく言ってしまえば、相変わらず「怠惰の虫」にやられているだけなのでございます(笑)。

昨日、ご投稿の件でKeenさまにお電話を差し上げた際、以上のような事情をご説明し「私がサボっている間に、たびたびお書き込みいただき申し訳ありません」と申し上げましたところ、Keenさまから「どうしたんだろうと心配している人もいるでしょうから、報告だけはしておいた方がいいですよ」とご助言をいただき、私自身も「そう思ってるんですが、携帯で文章を書くのが面倒で、ついズルズルと。でも、私が書き込みをしない理由を、みなさん、どんなふうに考えるんでしょうね? 私が恋愛して、それどころじゃなくなっているとか」と冗談半分に申しますと、Keenさまは途端に爆笑して「それは無いでしょう。誰もそんなこと考えません」と断言なさいました。――私といたしましては、いささか不本意なご意見ではございましたが、ともあれ皆様へのご報告は園主の義務でもございますので、本日このとおりご報告させていただきました次第でございます。
なお、私が恋愛のせいで書き込みをサボっているのではと、チラとでもお思いになられた方は、その旨、是非ここ「花園」にお書き込み下さいまし、ささやかながらプレゼントを差し上げたいと存じます。


そんなわけで、いましばらくお時間を下さいまし。再起動のあかつきには、新型パソコンの威力をもって、サイト全体をバージョンアップしたいと考えております。
 

世界は勘違いでできている

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 1月22日(木)17時22分37秒
  すみません、前回リンクミスしてました。
正しくは鈴木信也『バリハケン』(集英社ジャンプ・コミックス)です。既刊は1〜3巻、ネット上で試し読みもできるようになっていますので、興味を持たれた方はのぞいてみて下さい。

中学時代は「空気くん」と言われるほど薄い存在だったオタク少年・御手洗団吾(みたらしだんご)は、高校入学後、偶然と周囲の勘違いのあり得ない積み重ねの挙げ句、不良集団を率いる番長になってしまいます。番長として学園を取り仕切る生活のかたわら、隠れオタクとしてアキバに通い、同人誌活動にも勤しむ二重生活。当初は真相がバレた時の仕返しが怖くてそれらしく振る舞っていただけの団吾でしたが、自分を兄貴と心から慕ってくれる舎弟達と共に、これまた偶然と勘違いのあり得ない積み重ねで数々のレジェンドを打ち立てる中で、次第に本物の番長心に目覚めて行きます。総番長・団吾の威光は、他校のみならず極道の集英組、アメリカ、果ては宇宙にまで輝き渡るのでした……

とあらすじを書いても、なんだか空しくなるほど伝わっていない気がします。この作品の魅力は、やはりその読者を選ぶギリギリスレスレなギャグセンスにあるので、好みの分かれるところでしょう。
ちなみにタイトルは、団吾と舎弟集団が人手の足りない部活動に助っ人として派遣される「派遣組」、あるいは、上級生や他校と覇権を争う「覇権組」を名乗っているところからきています。この部活動がまた「長風呂部」だの「トイレ部」だの「おしりペン道部」だのといった具合に、下ネタ全開のあり得ない部活ばっかりでして、「おしりペン道部」の概要については2巻で試し読みできますので、ご参照下さい……(好みじゃなかったらゴメンナサイ)

で、結局私は『バリハケン』の何にそんなに惹かれたのかというと、私好みのギャグのあまりなバカバカしさはもとより、あー、世界ってのは人の勘違いと思い込みでできているんだなあ、と妙に納得できて、肩の力が抜けたところにあります。人は自分の見たいものしか見ないし、見えないものですが、その「見たい!」と強く願う心が昇華して、時に奇跡を呼ぶこともある……のかもしれない。


「人の気持ちは具体的に合体するんだ。気持ちを生んだ人間の全く与り知らないようなところでもね。不思議なもんだよな。」(『ディスコ探偵水曜日』より)


そして団吾は、肝心なところではちゃんと実力を発揮しているのです。たとえそれがオタク心の暴発した火事場の馬鹿力であり、舎弟達が自分に都合よく解釈した勘違いに過ぎなかったとしても。
物事は、見る人の心次第でいかようにも変化します。
やがて不良仲間とオタク仲間のどちらも大切にしたいと考えるようになった団吾は、いつまでこんなコウモリ生活を続けるのかと後ろめたさを感じるようになります。その時の象徴的な会話を引用すると、


「か…火讐(かしゅう)
 どうしてお前はいつもオイによくしてくれるんじゃ」

「兄貴はオレの命を救ってくれた漢(ひと)だから…
 オレは自分の信じたものに従ってるだけっすよ」(3巻・伝説23「首都エリア統一」より)


その翌日、他校の襲撃で危機に瀕した舎弟達を救うため、団吾は楽しみにしていたオタクイベント会場を抜け出して、修羅場に駆けつけます。そこで抗争に巻き込まれた、学園で唯一団吾の二重生活を知っている旧友の茶越くんを身を挺して救うのです。


「うう…
 茶越くん大丈夫…?」

「お前…あんなに嫌がってたのにどうして…」

「……
 つっ…

 い…痛い…や
 へへ…ホントだよね
 ボクは今だって オタクやめるつもりないし
 ケンカだって怖いし腕折られるかもしれないなんて死ぬほど嫌だし…
 だけど

 友達(みんな)がそんな目にあうのはもっと嫌だから…」


その後、舎弟達の加勢で見事な勝利を収めるのですが、一部始終を見ていた茶越くんは思います。


「団吾…お前は勘違いで偶然番長にさせられただけって言うけどさ
 それだけじゃ ここまで奴らに慕われないさ…
 今のお前はもう偽者じゃない 立派な番長だよ」(3巻・伝説24「決意の総番長」より)


私は結末(3月発売予定の4巻)はまだ知りませんが、大体の想像はつきます。そもそも勘違いネタをあまり引っ張るのは無理があるでしょうから、連載を打ち切られたというよりも、妥当な長さだったのかもしれません。


「世界は他人と一緒に作られるんでしょ?一人ってのはさっきみたいにホント弱くて、弱いのは、あんな奴の言葉を使うのは嫌だけど、ま、悪いことなんだと思ってていいよ。だって人は他人といるだけでも強くなれるんだから。努力はしないと。」(『ディスコ探偵水曜日』より)


こんな風に『ディスコ探偵水曜日』とつなげるのは無理矢理でしょうか?
私はスッキリしてしまいましたが。(^0^*
 

無駄な抵抗かもしれないけど

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 1月21日(水)17時46分29秒
  前回の続きで、タイムスリップがらみの話です。

現在私がはまっている、CSのミステリチャンネルで放送中の英国BBCドラマ「時空刑事1973 LIFE ON MARS」(以下LOM)は、あと2回を残すのみというクライマックスまで来ていますが、まだどういうオチがつくのか全然わからなくてドキドキしっぱなしです♪2月には一挙放送もありますので、CSを見られる環境にある方は、1カ月だけミステリチャンネルを契約してみてはいかがでしょうか?

さて、LOMの主人公サム・タイラー刑事はディスコと違って、自分の意志で時空を移動できるわけではありません。なぜ過去に来てしまったのか、どうすれば戻れるのかもわからない中で、それでもそこでの日々の暮らしがあって、眼前で起こる事件を捜査・解決しながら、どうにかして現代に戻ろうとあがいている状況にあります。また意地の悪いことに、テレビやラジオ・電話等を通して、時折現代からの一方通行の音声が届くのですが、もちろんサムにしか聞こえず、サムの声を現代に伝えることはありません。それは、現代ではどうやら病院で昏睡状態にあるらしい自分のベッドサイドでなされる会話のようで、懐かしい母や恋人からの語りかけだったり、医師や看護師の話す医療情報だったりします。そしてその時聞こえた内容とその時起こる事件との間には、必ず深い関わりがあって……ムニャムニャ(※以下ネタバレにつき伏せます)

つまり、サムは過去に起こった事件に関わることで、現代における自分と周囲の状況に干渉することになるのです。実は1973年というのは、当時4才だったサムにとって重大なことが起こった年であり、今の自分より若い両親と対面したサムは、そこに手を加えて歴史を変えようと試みます。自分が過去に飛ばされたのはこのためではないのか、それが成就すれば現代へ戻れるのではないかとも考えますが、その試みは成功したとも言えるし、歴史的必然としてあらかじめ組み込まれていたとも言えて……ムニャムニャ(※以下ネタバレにつき同文)

ここで大きな役割を果たしているのは、積極的に歴史に関わって行こうとするサムの意志です。もっとも、サムのキャラ設定はかなりナイーブで、不定期に訪れる現代からのメッセージを聞いてはメソメソ泣くの繰り返しだったりします。決して「鋼鉄の意志」を持ったヒーローではありませんが、有効かどうかはわからなくても、とにかく今自分にできることを全力で成し遂げるしかないんだ、という信念でサムは動きます。
そして何より、歴史云々はさておき、今眼前に起こっている事件の解決と、傷ついている人達の保護を最優先しているんですね。'73年当時の警察ですから、当然人権への配慮なんか皆無で、差別・セクハラ他やりたい放題な中で、サムは現代的な手法で被害者も容疑者も保護しつつ、偏見を排して真犯人を追います。それが結果として歴史に干渉することになり……ムニャムニャ(※以下同文)

ついでに、LOMの続編「キケンな女刑事 バック・トゥ・80's」(※原題「Ashes to Ashes」)にも言及しておくと、こちらの主人公アレックス・ドレイクはたくましいことこの上なし!です。サムと同じような状況下でも開き直って行動あるのみ、孤立するどころか周囲を使い回して上司とも張り合います(※この「上司」と「周囲」はLOMの9年後という設定になっていて、出演者も共通)。独身のサムと違って現代に娘を残してきている(※シングルマザーなのか?夫は出て来ない)アレックスなので、やはり母は強し、ということでしょうか。
アレックスが飛ばされた'81年も、実は彼女の両親が謎の爆死を遂げるという事件が起こった年であるため、アレックスはそれを阻止すべく奔走し……ムニャムニャ(※以下同文)


サムもアレックスも運命だと諦めて流されたりはしません。

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

ディスコ・ウェンズデイとの共通点を見つけました。


鈴木信也『バリハケン』(集英社ジャンプ・コミックス)に関する話は、また次回に。(続く)
 

子供はクールに旅立つ

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 1月20日(火)18時59分13秒
  >舞城王太郎という作家の魅力は、一言でいえば、その「少年的な繊細さ(傷つきやすさ)」にあると申せましょう。その上で、今回の『ディスコ探偵水曜日』ではさらに、そうした「子供」を守れる「強い大人であろうとする意志(傷だらけになっても闘う意志)」が加わり、両者の「葛藤的合一」によって、並々ならぬ厚みが与えられているのでございます。(※園主さま「イワンの末裔 ――『ディスコ探偵水曜日』と舞城王太郎」より)


私は『ディスコ探偵水曜日』は子供の話だ、と思いました。正確には、子供と若者の話。
そこでちょっとガンダムを連想するのですが、と言っても、私の知識はファーストガンダムから「Z」、「逆襲のシャア」をかじった程度なので、あるいは一般的認識からはズレているかもしれないですが、本作に登場する子供(若者)たちはガンダムの登場人物たちとは違い、子供であることを楯にとって権利を振りかざしたり、声高にわめいたりはせず、もっと冷静で<<大人>>で前向きです。ガンダムの子供たちが世界や大人たちに対して挑戦的・戦闘的で、しばしば破壊的な行動をとるのに対し、『ディスコ探偵』の子供たちは大人の世界を易々と踏み越えて行ってしまいます。まあこれは作品世界の内部が閉じているか否かの違いから生じる差異なのだろうとは思うのですが、ガンダムの「子供臭さ」がどうにも鼻についてしまう私としては、本作の世界の方がずっと好ましいものでした。それにちょっと忘れかけていた「若者心」を思い出してしまったりして……


「出来事は運命と意志の相互作用で生まれる(中略)
 意志が運命を巻き起こすこともできるのだろうか?意志があり、能力もあるなら、それはできる。その通りだ。でも実際に俺に能力はあるのか?やってみなければ判らない…というのは自信のなさの表れだ。自信は経験から生まれるものだ。経験もないことに自信などもてるはずはない…だが若いうちなら根拠のない自信を持てる。俺はもう若くはないけど、若さというものを憶えてはいる。あのときの気分を思い出せ。(中略)
 意志があり、そこに根拠がなくても自信だけはあるという時期が、俺にもあったのだ。」

「でっかい流れに逆らおうって気力はねーのかよ。やっぱあれだな、慣れてることだけで生きてっと鈍るし腐るな。壊して新しいもん作ってる奴だけが本物だ。」


ディスコや水星Cは年齢的には「大人」なのだけど、その範疇には属さない「子供の味方」というような立場にいます。自分の経験からも、やはり年をとると人間は保守的になる傾向がありますよね。変化を嫌うというか、何であれ変わることは非常なエネルギーを要しますから、それについて行けない、面倒になるということでしょう。反対に若さとは、変化を厭わないこと……となると、これは単純に加齢だけではなく、むしろ精神年齢の若さが問題にされるべきですね。ディスコは35才くらいでしたっけ?(もう図書館に本を返してしまったので〜)
この「子供の味方」というスタンスに、私は園主さま的なものをひしひしと感じました。モロ園主さま好みですよね?(^0^*

それと、舞城王太郎が強く主張しているのは「一人になっちゃいけない」ということですね。


「他人の存在って大きいんです。そして世界は絶えず揺らいでいる。
 意志の相互作用か。」

「もっと強い意志があるんですよ、他に。
 たぶん運命が意志を引き寄せることもあるんですよ。
 意志で勝つことしか知らなかったから、気づきませんでした。別の人の強い意志に負けたとき、その人の意志によって巻き起こった運命に引き込まれ、自分にはなかったまったく新たな意志が生まれることもあるんですよ、きっと。」


他にもっと引用すべき箇所がありそうですが、とりあえず私が印象的だった部分をチェックしておいたものです。一人の強い意志があるだけではダメなんで、やはり他人の協力が必要だということ。人と人との関わりの中で新しいものが生まれる……って文字にすると、うわーなんかすごい恥ずかしいぞこれって感じなんですけど(汗)。


ところで、「親離れ」という一言だけさらりと残して去って行く子供たちから取り残された親たちが「子離れ」することの方が、子供の「親離れ」よりもずっとたいへんなようです。この点、パンダのルンルンの態度はあっぱれで、感動しました!

「コンコンとデンデンから託された笹の枝を、ルンルンは受け取ってすぐに食べてしまった。「ごちそうさまでした」と言って涙を浮かべたままお辞儀をする母親パンダを俺が慰める必要はなかった。その涙に沈んでいるのは悲しみだけではなかったからだ。
 俺は知っている。
 子供の抱く未来への希望は、そのまま親の願いでもあるのだ。」


うーむ、巣立つ子を見送る時には、親はかくありたいものですなあ。子供は親の所有物ではない、いつか親元を去るものだ、という当たり前のことを受け入れるのは、理屈ではわかっていても難しいものなのでしょうが。それに、コンコンとデンデンがディスコに託した、とりあえず食べものには困ってないことがわかれば安心するだろう、というさりげない親への気遣いもいいですね。とっても<<大人>>な配慮です。

タイムスリップに言及するところまで行き着きませんでしたが、今日はここまで。(次回に続く)
 

Keen賀新年(※お約束)

 投稿者:Keen  投稿日:2009年 1月 7日(水)15時39分32秒
  新年明けちゃってすっかり遅れてしまいましたが、なんとか松の内すべりこみ!
今年もよろしくお願いします。
パソコン対策に困っているのは実は私も同じだったのですが、実は一足先に解決してしまいました!(ふっふっふっ)
それも、最も簡単な「メモリー増設」という技によって愛機はそのままに、処理速度は格段にアップするという成果を得ました。まあ延命措置にすぎないわけですが、今の時点でVistaに買い換える気は起きないし、書店には『一生XPを使い続ける!』というタイトルを冠したムックまであったりしますから、私にとってはベストの選択でした。
Macはまたいろいろと事情が違うのでしょうが、パソコンが速くなるとストレスが減るのは大いに実感しているところです。

さて、図書館から借りてきて、年末から足掛け2年がかりでやっと読み終えた舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』(新潮社)ですが、いやはや、なんとも……ラスト3ページまで「あっと驚くどんでん返し」の連続、頭がクラクラしました〜。というか、まだクラクラしっぱなしなのですが。
で、先程やっと園主さまの書き込み「イワンの末裔 ――『ディスコ探偵水曜日』と舞城王太郎」をきちんと読み、うーむなるほどと唸っているところです。
(あ、一カ所訂正がありますよ。名探偵の名前は「猫猫にゃんにゃん」ではなくて、「猫猫にゃんにゃんにゃん」です!3回繰りかえしです!!)

何か私なりの感想を書くには、まだ時間がかかりそうです。もう少し頭を落ち着けて、最初から読み返したりしてからでないと。
ただ、折しも英国BBCドラマ「時空刑事1973 LIFE ON MARS」にはまっている最中で、これがまたタイムスリップものだったりして、なんだこの暗合は……と、久々に思ってみたり。
DVDレンタルも始まっていますが、CSのミステリチャンネルで毎週放送中の「SFミステリ」です。ミステリチャンネルの番組紹介からあらすじを引用すると、

「時は現代、2006年。ある殺人事件の捜査の最中、交通事故に遭い病院に運び込まれる主人公、サム・タイラー刑事。事故に遭ったちょうどその時、iPodから流れていたのはデヴィッド・ボウイの「Life On Mars?」。サムが目を覚ますと、そこは1973年の世界だった……!?
孤独と闘いながらも、70年代のローテクな捜査方法で数々の殺人事件を解決していくサム。彼はなぜ1973年に来てしまったのか、どうすれば元の世界に戻れるのか、という最大のミステリは、衝撃の最終話で明らかに!」

というもので、現在第12回まで放送済み(全16回)なのですが、その「衝撃の最終話」がどういうものなのか、全く想像もつきません!またそれを抜きにしても、毎回起こる事件とその解決は、過去の設定でありながら現代にも通ずる問題をはらんでおり、単なる娯楽ミステリとは片づけられない、考えさせられる内容となっています。「中毒系」と言われるのが納得できる、何度も繰りかえして見たくなる面白さですねー。

実はこの続編にあたる「キケンな女刑事 バック・トゥ・80's」(※原題「Ashes to Ashes」邦題なんとかならんのか……)もありまして、こちらは女刑事が1981年にタイムスリップするという趣向です。この第1シーズン全8回はWOWOWで昨年秋にすでに放送されており(私はこちらを先に見てしまいました)、本国イギリスでは現在第2シーズンを撮影中で、今年放送予定なのだそうです。

「2006〜07年にBBC1で放送されたドラマ「Life On Mars」(原題)では不況に沈む1970年代に刑事がタイムスリップする設定だったが、その好評を受けて制作されたこの最新作では、華やかなりし 1980年代文化へのオマージュと遊び心溢れる作風で、本国イギリスでセンセーションを巻き起こした。なお、原題「Ashes to Ashes」は、1980年に発売されたデヴィッド・ボウイの曲名にちなむ。」(※WOWOW公式サイトより)

というわけで、『ディスコ探偵水曜日』と「Life on Mars」「Ashes to Ashes」(※邦題を書く気がしない)をからめた感想は、また今度まとめたいと思います。

実はもう一つ、少年マンガではまっている作品もあったりして。鈴木信也『バリハケン』(集英社ジャンプ・コミックス)既刊は1〜3巻ですが、週刊少年ジャンプでの連載はすでに終了、3月に最終巻が出るらしいです。
実際には臆病なオタク高校生なのに、周囲の勘違いで不良集団を率いる番長に祭り上げられてしまう、という全くあり得ない設定のギャグマンガなのですが、かつて同じジャンプ誌上で『Mr. Fullswing』という超バカギャグ野球マンガをヒットさせた作者らしく、賛否両論真っ二つに分かれそうな作品です。こちらも推薦文を考えていたところなのですが、意外と共通点もありそうな気もして……また改めて書かせて頂きます。

さあ、これからやっと『幻影城の時代 完全版』(講談社)を本格的に読み始めることにします〜。ちょっとかじったところでは、装丁も中身も素晴らしいです!

ではまた。
 

迎春

 投稿者:kamui  投稿日:2009年 1月 1日(木)11時46分13秒
  ☆ 園主さま、ホランドさん、皆さま


明けましておめでとうございます

アレクセイさんには、昨年『アレクセイの花園』の掲示板以外でも、実生活の面で色々なアドバイスをいただきましたことに感謝しています。本当にありがとうございました。

>そんなわけで、今年は「今年の目標」ではなく「今年の抱負」として「適当に頑張ろう」という言葉を、年頭にあたって掲げておきたいと思います……。

転勤や慣れないお車の運転などの環境の変化によって、これまでの生活習慣に、若干の軌道修正を要したことだと察した次第です。でも、しっかりと、読書に割り当てられた時間を作り、何冊ものご本を通読している辺りは、なかなか真似ができるものではありません。

そして、実際にお会いしたときに、何冊かのご本まで、頂戴したわけですが、園主さまが目を通しているジャンルの守備範囲の広さには圧巻でした。(小説、思想、論評、マンガ、ノンフィクション等など)

とにかく、昨年は、園主さまと実際にお会いでき、楽しいひとときを過ごせたことが、私の収穫になりました。それと、これは私が感じたことですが、(バーチャルの世界での対話と実際に会ってお話する違い)園主さまとカラオケをご一緒させていただいくという恵まれた機会を得たときの感想です。日頃の文体から想像していました園主さまと2人で8時間コースを熱唱している実際の園主さまとの奇妙なズレは、文体での園主さまを理想像として描いていた私の幻想からくるものかもしれません・・・(^-^;)

本年も、どうかよろしくお願いします。
 

2009

 投稿者:園主  投稿日:2009年 1月 1日(木)00時29分25秒
 

        ☆  ☆ 謹賀新年 ☆  ☆




みなさま、あけましておめでとうございます。昨年度中はたいへんお世話になりました。おかげさまで当『LIBRA アレクセイの星座』も、つつがなく8周年9年目を迎えることが出来ました。


昨年は年頭に『今年こそは、面倒がらずにパソコンを買うぞ! ――と遠慮がちに、数年越しの目標をひとつ(^-^;)。』と書いたにもかかわらず、その唯一の目標さえ達成できませんでした。もはや言い訳の言葉もございません。
――と申しますか、逆に私からみなさまに「今年こそ、私はパソコンを買えるでしょうか?」とお尋ねしたいくらいでございます……。

そんなわけで、今年は「今年の目標」ではなく「今年の抱負」として「適当に頑張ろう」という言葉を、年頭にあたって掲げておきたいと思います……。


こんな頼りない園主ではございますが、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

謹賀新年

 投稿者:ホランド  投稿日:2009年 1月 1日(木)00時24分9秒
   みなさま

 あけましておめでとうございます。

 昨年後半は世界同時不況ということもあって、なんだか暗いニュースばかりでしたが、2009年がみなさまにとって素晴らしい一年でありますよう、心より祈っております。

 本年も「アレクセイの花園」を、よろしくお願いしますね(^-^)。
 

なんとか、間にあったかな?(^-^;)

 投稿者:ホランド  投稿日:2008年12月31日(水)23時59分17秒
   みなさん、こんばんは! 今年は全体にサボりがちで、特にこの12月は、1日以来の書き込みということで、サボり記録を更新してしまっちゃったんではないかなと思います。ホントにごめんなさい。

 もちろん、書くネタがまったくなかったわけではありませんでした。例えば、退職金7000千万円を握って話さなかった、かの田母神俊雄・元航空幕僚長が、厚顔にも『自らの身は顧みず』なんていうタイトルの本を刊行したり、またそれを花田紀凱、渡部昇一、小林よしのりといった、どうしようもない国家主義的歴史修正主義者たちが、党派的に持ち上げたりといったこともあったのですが、この程度の露骨な醜行を今さらわざわざ批判しなきゃならないというのはあまりにバカバカしいし、ボクが書いても書かなくても、わかる人は始めからわかっているし、わからない人は金輪際わからず、ああいう人たちに良い様に利用されるんだろうなとしか思えなかった。つまり、未だに国家に利用されることを望む、依頼心の強い奴隷根性(似非愛国心)のネウヨ系の人がいることに、あらためてつくづく、バカバカしさを感じたということですね。

 同様に、年末恒例でやってきた、各種「ミステリ年間ベストテン」の比較検討も、バカバカしい党派性が目につくだけなので、止めてしまいました。
 新作小説にかぎり何でもありの『このミステリーがすごい!』を基準にして見てみると、『本格ミステリ・ベスト10』は、舞城王太郎の『ディスコ探偵水曜日』などは「本格ではない」ということで排除しつつ、笠井潔・法月綸太郎・有栖川有栖といった「(本格の)身内」の、その中でも政治的有力者を思いきり持ち上げているのがわかるし、そうした党派性をウルトラ化したら、二階堂黎人・小森健太朗・つずみ綾の3人でベストテンを選出する、通称『オレミス』を呼ばれる、『本格ミステリーワールド』になるといった感じ。後追いで、柳の下に五匹目くらいのドジョウを期待して刊行された早川書房の『ミステリーが読みたい』なんて、このタイトルに自信が持てないくらい、影のうすい存在で論外でしょう。

 そんなわけで『右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆のからみ合い』という古いフレーズがぴったりな、つまらない党派利益の奪い合いしか目につかなかったので、うんざりさせられてしまって多分に書く気が削がれたということもあるんですよね。
 小説もそこそこ読んでいましたし、それなりに面白い作品はありましたが、是非とも推薦したいというほどのものが無かったので、つい書き込みをサボってしまいました。

 言い訳ばかりになってしまいましたが、こういう側面もあったのだとご理解いただければ幸いです(^-^;)。





 Keenさま

笠井潔を理解するのに最適の一冊?

> 園主さまが誕生日を覚えていられないのとまるで対をなすかのように、私は中井英夫の命日をついつい失念してしまいがちです。今年はついに当日書き込みすらできませんでした……
> というのも、中井英夫の最晩年に立ち会われ、葬儀にも参列された園主さまと違い、かなり後になってから新聞でその死を知っただけの私には、それは未だに実感がわかない、どこか信じ難い(信じたくない)事実であるからなのです。
> 今でも井の頭線に乗って羽根木へ行きさえすれば、あの古い大きな家に薔薇が咲き、中井さんがひょっこり顔を出してくれる……というイメージを持ち続けていたい、という願望ですね。そして中井英夫の誕生日は、プレゼントを送ったりした楽しい思い出があるので、逆に忘れることがありません。


 人の死に目に立ち合ったり葬式に参加したりして、その人が死んでしまったことを確認すること。いわゆる「喪の作業」は、本当に必要なことなのか?

 不幸な死だった場合には、引きずる想いにけじめをつけるため、そういうこともあるいは必要なのかも知れませんが、楽しい思い出をそのまま引きずることの、どこに問題があるのでしょう。
 むかし親しかった、あの人やこの人が、まだあそこには住んでいるんじゃないかというそんな想いは、とてもよく理解できますし、それが悪いことだとはどうしても思えません。それもまた、人が思い出の中に生き続けることのひとつのかたちだと、ボクにはそう思えるんです。――だから、それでいいんだと思います。


> しばらくご無沙汰している間に、わが街の図書館で見つけた笠井潔『黄昏の館』(徳間書店/絶版)を読みましたよ!非常に興味深く、かつ面白かったです。(^^)

> 『黄昏の館』も宗像冬樹が初登場した作品ということで、実にいろいろな要素を……というか、思い切って言ってしまえば、笠井潔の全てを内包した作品ではないかと、私は思ってしまいました。その印象をひとことで言うと、

> 「本当は僕が王様なんだもん!今の世界は間違っている、僕が統治していたら、世界はもっとちゃんとしてたはずだったんだー!!」

> ……たいへんわかり易いです。ほとんど駄々っ子の理屈ですが、私にはそうとしか理解できませんでした。私は笠井作品を全て読んでいるわけではありませんが、もしかして、笠井さんが本当に書きたいことって、これだけなんじゃないかとすら思えて。


 それはまた、大胆かつ率直な「総括」ですねえ・・・(^-^;)。
 実際「本音のところは、そんな感じなんでしょう、笠井さん?」という感じがして、それなりの説得力があるだけになあ、うむむ・・・。

 そんなわけで、来年もいろんな意見をお聞かせ下さいね。遠慮のない意見って、けっこう貴重なものなんですから(笑)。


 では、ご家族ともども、よい新年をお迎え下さい!



 K5さま

ご無沙汰しております。

> おとといから今日まで、東京でコミケットがありました。
> また星崎龍さんなのですが(こればかりじゃないですよ)、
> 新刊が3冊あったため、迷わず入手致しました。
> もちろん園主さまのも入手したので、
> また追ってなのですが、送ります。


 いつも、ありがとうございます。

 星崎さん、あいかわらずショタで頑張っておられるようですね(笑)。
 またいつか園主さまに余裕ができたら、『Ryu's Milk Bar』の更新ができるといいんですけどね。


> ではよいお年を。


 K5さまも、よい新年をお迎え下さい!



 園主さま

斯くて2008年も幕を閉じる。

> 笠井潔という評論家は、頭も良いし大変よく勉強もしており、主張自体はそれなりに見るべきところのあるものなのですが、いかんせん「批評家としての公正さ」が決定的に欠落しており、誉めたいものはレトリックのかぎりをつくして褒めちぎり(『空の境界』の解説など)、その一方、敵対した相手にたいしては、自分自身まったく出来てもいない「過剰に倫理的な正論」を押しつけて断罪する(『容疑者Xの献身』を高く評価した人たちへの批判)といった「臆面の無さ」が、評論家としての倫理(の欠落)以前の、人として不誠実さを感じさせて、ほとんど致命的だということでございました。


 立派なことを言ったり、謙虚ぶったりすることなら、バカでなきゃ誰にでもできるし、事実やっているものなんですけれど、実際の利害がからんでくると、人はそれまで隠していた素顔を、思わず覗かせてしまうものです。
 立派なことを言っていた人は、自分の言っていたこととは正反対のズルをするし、謙虚ぶっていた人は突然居丈高に人を見下し差別するようなことを平気で口にしたりします。

 こうした露骨な二面性は、会社の経営者など、社会的に地位のある人によく見られることなんですが、ただ、問題なのは、こうした人たちの多くが、日頃は本気で立派なことを口にしたり、自分は謙虚な人間だと思い込んでいることなんですね。だから、自分がズルをする時は「相手があんなことをするんだから、当然だ」とか考えるし、自分が威張りちらす時は「相手が礼儀を知らないからだ」なんて考えて、自分のそんな行動を「例外」的なものだと正当化するんです。

 でも、そんな主観的な言い訳が通用するのなら、世の中みんな立派で謙虚な人ばかりだということになってしまうでしょう。本当に立派な人、謙虚な人というのは、自分が意見や立場が否定された時にも、ひとまず冷静かつ謙虚に、相手の意見に耳を傾けられる人のことなんじゃないでしょうか。

 そう考えた場合、笠井さんの『本書の読者には明らかだろうが、探偵小説を旦那芸におとしめ、それでよしとする俗論にわたしは組みしない。脱格系を拒否あるいは排除し、『容疑者Xの献身』を無自覚にも礼讃した評論家や作家に、探偵小説の未来を託することはできない。探偵小説に「精神」など必要ない、面白いパズル小説があれば充分だという偏狭なマニア的読者が、探偵小説をジャンルとして深みから支えうるわけがない。』なんていう感情的な断言的否定は、とうてい誠実な批評家のそれとは評価しえないと、ボクもそう思います。
 ――まさに『生は暗く、死もまた暗い』ですよね。





 それでは、みなさん、よい新年をお迎え下さいね。
 来年も「アレクセイの花園」をよろしくお願いいたします!
 

以上は、新着順41番目から60番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/93