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『方舟さくら丸』読書会

 投稿者:アレン  投稿日:2016年11月12日(土)06時54分8秒
返信・引用
  お世話になります。アレン(岡)です。
1/9(月・祝)13:00に京都市右京ふれあい文化会館にて、
『方舟さくら丸』読書会を岡田さんとともに開催します。

核戦争がいつ現実のものになるか分からない、不安に満ちた冷戦中の1984年に発表されました。主人公もぐらは地下採石場跡という天然の核シェルターに住んでいます。彼は[生きのびるための切符]を発行し、同乗する仲間を探すが、闖入者も現れて・・・
好き嫌いが分かれる作品だと思いますが、率直な感想を述べ合いたいと思っています。

開催要項の詳細は、以下をご覧ください。
http://w1allen.seesaa.net/article/443713109.html

初参加大歓迎です。課題本を読んでいただければ、誰でも参加申し込みいただけます。
「KAP読書会について」や前回の読書報告を参考にしていただければ、幸いです。
http://w1allen.seesaa.net/
から読めます

貴方の来訪を心よりお待ちしております。

また、ネット中継もします。
http://www.ustream.tv/channel/9p4MS4HaSRf

過去の録画は、
https://www.youtube.com/user/w1allen/videos?
でご覧になれます

ー読書会という舞台装置が、他者への通路を開くキッカケになることを夢見てー

http://w1allen.seesaa.net/

 
 

Re: 「鉛の卵」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 9月 5日(月)21時22分27秒
返信・引用
  アレンさん

私も緑色人をペットのように感じるところがありました。
私は現代の人間とペットとの共依存関係に思いを馳せましたが、それはこの作品には関係ないところですね。

「文化」について、折しも「音楽は基本的になくても社会が回る」とかいう言葉を目にしました。音楽のところに、映画、小説、漫画、絵画などを入れると、どうでしょう?
そのようなものがない人生など、価値がない!というのが現代人の考えではないでしょうか?
でも、その価値というのは、なんでしょうね?

ところで、緑色人の社会は、きわめて平和です。戦争もなく、喧嘩や争いもないようで、犯罪もきっとないことでしょう。これは大きな価値ではないですか?

「現代人」の問題というのは、この作品で「巨大な鋼鉄の網目のような都市」に主人公がとまどっている、ことを受けだだけで、ことに私が問題視しているわけではありません。





 

Re: 「棒」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 9月 5日(月)17時09分19秒
返信・引用
  アレンさん

> 現実の世界でも、無視が一番こたえるということがありますね。
> まだ、否定してくれたら、反論する余地があるですが。
→そうですね。

> 大量生産・大量消費社会では、人間も類型化していく。そして、それが棒として裁かれるような気がします。
→そのとき、裁かれるのは誰か?裁くのは誰か?という問題がありますね。それはともに私たちであるはずで、この二面性を意識しておきたいです。
また小説では「先生」たちの超越的立場から裁きますが、私たちなら「裁くことによって裁かれる」ということもあります。

そのような二面性を秘めながら私たちは「平凡な互いの人生」の中で(評価しあいつつ)、ふれあい、つながり、反発して、生きている、そういう関係性を構築しているわけです。
そして「無視」にも意図した無視とまだ判断するに到らないとか、そうでない無視もあると思います。

余談ですが、例の全集第30巻の贋月報を手にした時、M氏のマルクス批判?みたいなのを見て、自称マルクス研究者のNに意見を求めたところ「論ずるに値しない」と一刀のもとに切り捨てられたことを思い出してしまいました。この評も強烈!です。





http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re: 「棒」

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 9月 2日(金)20時44分49秒
返信・引用
  > No.287[元記事へ]

hirokd267さん

現実の世界でも、無視が一番こたえるということがありますね。
まだ、否定してくれたら、反論する余地があるですが。

何故無視するのかは、それが平凡で、ありふれているからでしょう。
一人一人は頑張って生活していると思うのですが、外部や社会全体から見たら、「平凡な人生」が量産されるということはあると思います。大量生産・大量消費社会では、人間も類型化していく。そして、それが棒として裁かれるような気がします。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re: 「鉛の卵」

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 9月 2日(金)20時38分48秒
返信・引用
  > No.286[元記事へ]

hirokd267さん

対話形式で論じられて、問題やテーマが明確化されていますね。

緑色人を家猫、奴隷族を主人になぞらえて読まれていた方がいらっしゃいましたね。
家猫は、一見悠々自適の生活のように思えるが、果たしてそうだろうか?
主人がいなくなれば、たちまち生活が保てない。
そういう生活がいいのか?

また、緑色人は、賭けをする以外楽しみがないようで、生きている張りあいというものを失っているようです。このあたりが、「文化がない」と仰っていることと繋がると思います。まさに、「生きているだけ」なのです。

奴隷人社会については、あまり描写がないようですが、問題点というとどういうことでしょうか?緑色人の言葉にあった、奴隷族への揶揄のことを言っておられるのですか?いずれにせよ、緑色人と奴隷人のどちらがいいかは、わかりませんよね。

http://w1allen.seesaa.net/

 

「棒」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月31日(水)01時03分32秒
返信・引用
  平凡な男がデパートの屋上から、棒になって落ちた。(なぜ?と問うことは意味がないだろう)
「先生」と二人の学生がそれを見て評論する。「ありふれた無能な男だっただろう」と。

まずここに違和感がある。男の人生はありふれたものだったろうか?仕事もしつつ、二人の子供がある。それまでには結婚があっただろうし、恋愛もあったかもしれない。幼時はどうだったろう?学生時代は?・・・そう考えると、本人にとって「平凡な人生」などあるはずがない、と思える。
安部公房はそこを描かなかったから、この作品で男の人生が問題なのではないと思われる。

もう一つの違和感、それは「先生」と学生が何者なのか?「処罰する」とはどういう立場なのか?ということである。
「地上の法廷は、人類の何パーセントかを裁けばいい。しかし、われわれは、不死の人間が現れでもしないかぎりこのすべてを裁かなければならないのです。」という「先生」のことばから、神か閻魔か、そんな存在を考えなければならないが、これもそれ以上の規定がされていない。
それでそこもパスして次に「処罰」の内容を検討してみる。

「裁かぬことによって裁いたことになる」「だから置き去りにする」というのが、この棒に対する処罰である。
つまり放置する、無視するという罰である。これはどういう罰であろうか?

たとえばある「作品」に対する批評家や読者の評価は、正当に評価、不当に評価(否定・誤解など)、無視、などがある。
正当な評価は作者にとって報償であり、不当な評価は精神と名誉を傷つける。それにくらべると無視はまだ軽い処罰であるが、罰するという行為への責任は伴うはずである。
安部公房は「S・カルマ氏の犯罪」が芥川賞を得たが、無視されたり正当に批評されていないことを言ったことがある。
他の作品も正当に評価されることが少なかったが、それに触れることはあまりなかった。
だがさすがに「第四間氷期」に対する江藤淳の評には「見当違い」と批判した。

私たちも日々、さまざまなことを批評し、判断し、切り捨てたり、取り上げたりして過ごしていく。「無視という処罰」にも責任があることを自覚させられるのである。
 

「鉛の卵」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月29日(月)10時56分19秒
返信・引用
  8月25日の朝日新聞で、生物学者の福岡伸一さんが、ヘモグロビン(ヘム)と葉緑素の近似について触れている。
福岡さんは今から60年近く前に、それを元に人類の緑色人への進化を小説に描いた作家がいることをご存じだろうか?
もちろん実際には人体の消費するエネルギー量を賄えるかなどの問題があろうが、小説としては本当らしければいい。その点は安部公房のよくするところである。

さて、80万年後にその緑色人の中に目覚めた「古代人」(我々の時代人)は、彼らの生態に驚愕する。
休息や睡眠は必要なく、食事もしない。必要なものは奴隷族が補給してくれる。500歳にならなければ死ねないというのが悩みという。彼らの興味があることは「賭け」であった。
南洋の住民が「日本人はなぜそんなに一生懸命働くのだ?」と聞いてきた。「将来楽に生活する為さ」というと「そんなら今の我々と同じじゃないか」と言われた、という話がある(らしい)。この緑色人はそんな究極の「楽な生活」に見える。
「いや、労働をしないのは人間としておかしい」ーー 労働は何のためにするのだろう。
「少なくとも労働を奴隷に依存するのはいけない。必要なものは自力で作るべきだ」ーー では自動製作が発展して、人類の必要な物資を少人数で作れるようになり、他の大部分の人間は労働する必要がなくなったとしたら?
「緑色人には文化がない」ーー 文化は何のために必要なのか?それは人間に必須のものか?
「もちろん。文化のない生活は意義がない」ーー それは自己満足では?
「いや、そうではない、はず・・・」

一方の奴隷人の社会にも問題があるのだが。
 
 

Re:R62号は復讐をしたか?

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 8月 6日(土)23時00分1秒
返信・引用
  > No.283[元記事へ]

大熊さん、エヌガールさん、hirokd267さん

この掲示板、放っておくと、Re:がどんどん増えていくので、適当にカットしてください。

大熊さんは、結末で作者が論理性を壊したのではないかという仮説を立てられてますね。
それに対して、hirokd267さんは、短編なのでその可能性は低いのではと言ってますね。
私もひとまず、論理性を継続した形で考えていきたいと思います。

>R62号君は終始純真な人物として描かれています。
そうですよね。後半のロボットの不気味な従順さも、前半の人間のバカ真面目な部分があってこそ生きる(つながる)感じがします。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re: Re.R62号は復讐をしたか?

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月 5日(金)02時11分24秒
返信・引用
  大熊さん、エヌガールさん、アレンさん、コメントをありがとうございます!

>終盤、R62号君は、じつに楽しげだった印象が残っています。遊戯のように、玩具で遊ぶ子供のように。自作の機械のできばえを楽しんでいたかのように?
→そのとおりですね。R62号君は機械の説明を「単純な明るい表情で」しゃべります。社長が傷ついても平然としていて、あとで「何をつくるつもりだったんだ!」と問い詰められても「ぼんやり首をかしげ」困惑するばかりです。
作品に書かれたことだけを追えば、R62号君は終始純真な人物として描かれています。それについては一点の曇りもありません。
なにしろ、命を差し出す自分の報酬が千円(散髪代を含む)で、学生のアルバイトの報酬が三千円というのは理不尽と言ってもいいくらいなのに、彼はやっかむことさえもしないのです。

ロボトミーのことは私も気になっていたところです。手術の場面で「ごらんのとおり、くだらん下位中枢でね、こういうものは抑制しちゃったほうが理性の純化によい」とあり、これはまさにロボトミーの思想ですよね。この作品では技術者としての能力が必要なので、前頭葉を切除するロボトミーではなく、装置を組み込むことになったのでしょうけれど。

一般に短編小説では、非常に精巧に組み立てていかなければなりませんので、途中で作者の意図が変わることは失敗の原因になります。長編小説では登場人物が作者の手を離れて動き出して、展開していくということはあるでしょうが。

余談ですが、これだけの作品をつくるのに、安部公房はどれくらいの時間をかけたでしょうか?
埴谷雄高宛の手紙に「20日ばかり、ほとんど寝ず」に原稿用紙(200字詰)65枚(わずか?)を仕上げたのでくたくた、と書いています。一日あたり3枚ばかり。まだワープロのない時でしたので、反古になった原稿用紙が机の回りにわんさか散らかっていたことでしょう。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re.R62号は復讐をしたか?

 投稿者:エヌガール  投稿日:2016年 8月 3日(水)12時46分59秒
返信・引用
  アレンさん、hirokd267 さん、レスありがとうございます。
大熊さんが書かれていますように、たしかに復讐というものでもないんですよね。
じつは読み返していないので記憶だけなのですが、終盤、R62号君は、じつに楽しげだった印象が残っています。遊戯のように、玩具で遊ぶ子供のように。自作の機械のできばえを楽しんでいたかのように?
欧米でロボット、というものに期待されるのは、まず、従順さなのでしょう。文句を言わずに勤勉に労働してくれるもの。(日本では、アトムの影響で、ロボットは友だちになれる、という感覚が技術者にもありますが。)それで、脳が人間のであろうと、従順であれば、ロボットとも言えるのかもしれない、と、ふとロボトミー手術のことから連想しました。ケネディ大統領の娘が、この手術をされたことを思い出して。。。体も脳も人間でありながら、自分の意志を持てないロボットにされてしまった女性のことを。いや外見が人間そっくりである人造のアンドロイドよりもロボットに、人間を改造することができることがある、と知って、安部はそれには従わず、でも<復讐>ではなく、(2001年のコンピュータHALのように?)知性と意志を持って<反乱>を考えたのかな~? と思ったり。従順ではない、ロボットではない、と示すための。。。
 

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