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Re: 「鉛の卵」

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 9月 2日(金)20時38分48秒
返信・引用
  > No.286[元記事へ]

hirokd267さん

対話形式で論じられて、問題やテーマが明確化されていますね。

緑色人を家猫、奴隷族を主人になぞらえて読まれていた方がいらっしゃいましたね。
家猫は、一見悠々自適の生活のように思えるが、果たしてそうだろうか?
主人がいなくなれば、たちまち生活が保てない。
そういう生活がいいのか?

また、緑色人は、賭けをする以外楽しみがないようで、生きている張りあいというものを失っているようです。このあたりが、「文化がない」と仰っていることと繋がると思います。まさに、「生きているだけ」なのです。

奴隷人社会については、あまり描写がないようですが、問題点というとどういうことでしょうか?緑色人の言葉にあった、奴隷族への揶揄のことを言っておられるのですか?いずれにせよ、緑色人と奴隷人のどちらがいいかは、わかりませんよね。

http://w1allen.seesaa.net/

 
 

「棒」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月31日(水)01時03分32秒
返信・引用
  平凡な男がデパートの屋上から、棒になって落ちた。(なぜ?と問うことは意味がないだろう)
「先生」と二人の学生がそれを見て評論する。「ありふれた無能な男だっただろう」と。

まずここに違和感がある。男の人生はありふれたものだったろうか?仕事もしつつ、二人の子供がある。それまでには結婚があっただろうし、恋愛もあったかもしれない。幼時はどうだったろう?学生時代は?・・・そう考えると、本人にとって「平凡な人生」などあるはずがない、と思える。
安部公房はそこを描かなかったから、この作品で男の人生が問題なのではないと思われる。

もう一つの違和感、それは「先生」と学生が何者なのか?「処罰する」とはどういう立場なのか?ということである。
「地上の法廷は、人類の何パーセントかを裁けばいい。しかし、われわれは、不死の人間が現れでもしないかぎりこのすべてを裁かなければならないのです。」という「先生」のことばから、神か閻魔か、そんな存在を考えなければならないが、これもそれ以上の規定がされていない。
それでそこもパスして次に「処罰」の内容を検討してみる。

「裁かぬことによって裁いたことになる」「だから置き去りにする」というのが、この棒に対する処罰である。
つまり放置する、無視するという罰である。これはどういう罰であろうか?

たとえばある「作品」に対する批評家や読者の評価は、正当に評価、不当に評価(否定・誤解など)、無視、などがある。
正当な評価は作者にとって報償であり、不当な評価は精神と名誉を傷つける。それにくらべると無視はまだ軽い処罰であるが、罰するという行為への責任は伴うはずである。
安部公房は「S・カルマ氏の犯罪」が芥川賞を得たが、無視されたり正当に批評されていないことを言ったことがある。
他の作品も正当に評価されることが少なかったが、それに触れることはあまりなかった。
だがさすがに「第四間氷期」に対する江藤淳の評には「見当違い」と批判した。

私たちも日々、さまざまなことを批評し、判断し、切り捨てたり、取り上げたりして過ごしていく。「無視という処罰」にも責任があることを自覚させられるのである。
 

「鉛の卵」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月29日(月)10時56分19秒
返信・引用
  8月25日の朝日新聞で、生物学者の福岡伸一さんが、ヘモグロビン(ヘム)と葉緑素の近似について触れている。
福岡さんは今から60年近く前に、それを元に人類の緑色人への進化を小説に描いた作家がいることをご存じだろうか?
もちろん実際には人体の消費するエネルギー量を賄えるかなどの問題があろうが、小説としては本当らしければいい。その点は安部公房のよくするところである。

さて、80万年後にその緑色人の中に目覚めた「古代人」(我々の時代人)は、彼らの生態に驚愕する。
休息や睡眠は必要なく、食事もしない。必要なものは奴隷族が補給してくれる。500歳にならなければ死ねないというのが悩みという。彼らの興味があることは「賭け」であった。
南洋の住民が「日本人はなぜそんなに一生懸命働くのだ?」と聞いてきた。「将来楽に生活する為さ」というと「そんなら今の我々と同じじゃないか」と言われた、という話がある(らしい)。この緑色人はそんな究極の「楽な生活」に見える。
「いや、労働をしないのは人間としておかしい」ーー 労働は何のためにするのだろう。
「少なくとも労働を奴隷に依存するのはいけない。必要なものは自力で作るべきだ」ーー では自動製作が発展して、人類の必要な物資を少人数で作れるようになり、他の大部分の人間は労働する必要がなくなったとしたら?
「緑色人には文化がない」ーー 文化は何のために必要なのか?それは人間に必須のものか?
「もちろん。文化のない生活は意義がない」ーー それは自己満足では?
「いや、そうではない、はず・・・」

一方の奴隷人の社会にも問題があるのだが。
 
 

Re:R62号は復讐をしたか?

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 8月 6日(土)23時00分1秒
返信・引用
  > No.283[元記事へ]

大熊さん、エヌガールさん、hirokd267さん

この掲示板、放っておくと、Re:がどんどん増えていくので、適当にカットしてください。

大熊さんは、結末で作者が論理性を壊したのではないかという仮説を立てられてますね。
それに対して、hirokd267さんは、短編なのでその可能性は低いのではと言ってますね。
私もひとまず、論理性を継続した形で考えていきたいと思います。

>R62号君は終始純真な人物として描かれています。
そうですよね。後半のロボットの不気味な従順さも、前半の人間のバカ真面目な部分があってこそ生きる(つながる)感じがします。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re: Re.R62号は復讐をしたか?

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 8月 5日(金)02時11分24秒
返信・引用
  大熊さん、エヌガールさん、アレンさん、コメントをありがとうございます!

>終盤、R62号君は、じつに楽しげだった印象が残っています。遊戯のように、玩具で遊ぶ子供のように。自作の機械のできばえを楽しんでいたかのように?
→そのとおりですね。R62号君は機械の説明を「単純な明るい表情で」しゃべります。社長が傷ついても平然としていて、あとで「何をつくるつもりだったんだ!」と問い詰められても「ぼんやり首をかしげ」困惑するばかりです。
作品に書かれたことだけを追えば、R62号君は終始純真な人物として描かれています。それについては一点の曇りもありません。
なにしろ、命を差し出す自分の報酬が千円(散髪代を含む)で、学生のアルバイトの報酬が三千円というのは理不尽と言ってもいいくらいなのに、彼はやっかむことさえもしないのです。

ロボトミーのことは私も気になっていたところです。手術の場面で「ごらんのとおり、くだらん下位中枢でね、こういうものは抑制しちゃったほうが理性の純化によい」とあり、これはまさにロボトミーの思想ですよね。この作品では技術者としての能力が必要なので、前頭葉を切除するロボトミーではなく、装置を組み込むことになったのでしょうけれど。

一般に短編小説では、非常に精巧に組み立てていかなければなりませんので、途中で作者の意図が変わることは失敗の原因になります。長編小説では登場人物が作者の手を離れて動き出して、展開していくということはあるでしょうが。

余談ですが、これだけの作品をつくるのに、安部公房はどれくらいの時間をかけたでしょうか?
埴谷雄高宛の手紙に「20日ばかり、ほとんど寝ず」に原稿用紙(200字詰)65枚(わずか?)を仕上げたのでくたくた、と書いています。一日あたり3枚ばかり。まだワープロのない時でしたので、反古になった原稿用紙が机の回りにわんさか散らかっていたことでしょう。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re.R62号は復讐をしたか?

 投稿者:エヌガール  投稿日:2016年 8月 3日(水)12時46分59秒
返信・引用
  アレンさん、hirokd267 さん、レスありがとうございます。
大熊さんが書かれていますように、たしかに復讐というものでもないんですよね。
じつは読み返していないので記憶だけなのですが、終盤、R62号君は、じつに楽しげだった印象が残っています。遊戯のように、玩具で遊ぶ子供のように。自作の機械のできばえを楽しんでいたかのように?
欧米でロボット、というものに期待されるのは、まず、従順さなのでしょう。文句を言わずに勤勉に労働してくれるもの。(日本では、アトムの影響で、ロボットは友だちになれる、という感覚が技術者にもありますが。)それで、脳が人間のであろうと、従順であれば、ロボットとも言えるのかもしれない、と、ふとロボトミー手術のことから連想しました。ケネディ大統領の娘が、この手術をされたことを思い出して。。。体も脳も人間でありながら、自分の意志を持てないロボットにされてしまった女性のことを。いや外見が人間そっくりである人造のアンドロイドよりもロボットに、人間を改造することができることがある、と知って、安部はそれには従わず、でも<復讐>ではなく、(2001年のコンピュータHALのように?)知性と意志を持って<反乱>を考えたのかな~? と思ったり。従順ではない、ロボットではない、と示すための。。。
 

Re: R62号は復讐をしたか?

 投稿者:大熊  投稿日:2016年 8月 3日(水)01時20分38秒
返信・引用
  > No.279[元記事へ]

 私も読書会に臨む前までは、最後の場面は、アレンさんのおっしゃるように

>人間の感覚を超えたものが、将来的に現れて、「人間」の存在を脅かす。そのときには、労働者も資本家の区別もない

 というふうに捉えていて、「復讐」というのはあまり念頭になかったです(少しはあったのですけど)。
 ところが、読書会での話し合いの過程で、「復讐」というのもありかな、と考えが変わってきました。

>「花井への恋慕に見られるように、単に外部からの指示だけで動いているわけではない」
というのは、最初からそう考えていたのではなくて、読書会のなかでふと気づいたのでした。

 そしてその流れの中で、前回読書会である程度コンセンサスを得た、「第四間氷期」のラストシーンの解釈を思い出しました。それとどなたかが示して下さった、安部公房自身が「第四間氷期」のラストのゆくたてについて、「自分でも意外だった」と言っていたということも。

 安部公房が「R62号……」を書くにあたって最初に見取り図みたいなのがあったと思うのですが、そのときはおそらく、復讐という概念は持ってなかっただろうと思います。
 そのへんは岡田さんのおっしゃるとおりだと思います。論理的にはそうでなければなりません。

 けれども上記したように「第四間氷期」において、「あるべき」結末の論理的整合性を、安部公房自らが壊してしまったように、「R62号……」においてもまた、あるべき(論理的にそうでなければならない)結末に、著者自身が忍びきれず、あのような結末に(発作的に)してしまったとは考えられないだろうか。なくもないのではないか。そんな気がしてきたのでした。

 著者は論理的には「微視的連続感」を否定するわけですが(タテマエ)、その著者自身がみずからの「実存性」を払拭しきれず、「巨視的不連続感」を受け入れられなかった(ホンネ)ということなのかな、と思いました。「人間・安部公房」がはからずも顔をのぞかせた、そういうことだったのではないかなと解釈しています。

 

『R62号の発明・鉛の卵』第二回読書会

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時13分17秒
返信・引用
  お世話になります。アレン(岡)です。
9/19(月・祝)13:00に高槻市立文化会館にて、
『R62号の発明・鉛の卵』第二回読書会を岡田さんとともに開催します。

前回に引き続き、同短編集から、「パニック」「死んだ娘が歌った」「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」の三作品を取り上げます

開催要項の詳細は、以下をご覧ください。
http://w1allen.seesaa.net/article/440580217.html

初参加大歓迎です。課題本を読んでいただければ、誰でも参加申し込みいただけます。
「KAP読書会について」や前回の読書報告を参考にしていただければ、幸いです。
http://w1allen.seesaa.net/
から読めます

貴方の来訪を心よりお待ちしております。

また、ネット中継もします。
http://www.ustream.tv/channel/9p4MS4HaSRf

過去の録画は、
https://www.youtube.com/user/w1allen/videos?
でご覧になれます

ー読書会という舞台装置が、他者への通路を開くキッカケになることを夢見てー

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re: R62号は復讐をしたか?

 投稿者:アレン  投稿日:2016年 8月 1日(月)22時01分13秒
返信・引用
  > R62号は本当に復讐をしたのでしょうか?
>


分かり易い図式に映るかもしれませんが、それも一つの読み方だと思います。
本作のロボットが、一般的なロボットの定義とズレているというのも読書会で指摘があり、重要なポイントであると思います。

文庫解説の渡辺広士氏の「復讐」と言う言葉が、カバー裏の紹介にもあり、そこからこの殺人が復讐だったのかどうかというのはテーマになりやすいようです。
これが本当に復讐だったのかは、読書会でも取り上げられましたが、結局YESともNOとも言えない結果となったと思います。

hirokd267さんは、テキストを丹念に読み込みながら、R62号の行動に私情が挟む余地はなく、復讐でない説をとられています。

私も、R62号に復讐や殺人の意図はなく、条件反射(外部からの指示に対する反応、一種のプログラミング)の結果として、皮肉な殺人という結果を招いたと考えていました。
しかし、読書会で大熊さんに、「花井への恋慕に見られるように、単に外部からの指示だけで動いているわけではない」と言われ、分からなくなりました。

hirokd267さんのコメントにある通り
>そのせいか、指示には素直であるけれども、秘書の花井に心を寄せたり、窓の外の赤旗とプラカードの列に心を乱されたりします。このことはあとで読みに影響するかも知れません。

二つのパトス的なものは、ロボットのロゴス的なものとは違うと思います。
そこだけ異質な感じもするので、もう少し考えてみたいです。

そういえば、R62号は、手術の結果、感情が純化され、詩的なことを言ったり、アドリブで自作の詩を歌ったりします。

感情を純化された結果、パトスの世界をロゴス的に捉えるようになったのかもしれない・・・そんなことを思います。
譬えて言うと、コンピューターが自作する文章が、どこかしら人間には違和感があるような感じです。

人間の労働もどこかしらパトスというか、人間味のあるものが本来は必要なのかもしれませんが、ロゴスだけで詰めて、合理化ばかりしようとすると、高水社長のようにしっぺがえしを食らうのかもしれません。

最後の機械も先ほど挙げたコンピューターが自作する文章と似ている気がします。人間の感覚を超えたものが、将来的に現れて、「人間」の存在を脅かす。そのときには、労働者も資本家の区別もないのではないでしょうか?

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R62号は復讐をしたか?

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 7月31日(日)23時55分55秒
返信・引用
  R62号は本当に復讐をしたのでしょうか?

R62号君は高水製作所をクビになっていた。脳を改造された彼は高水製作所に派遣され、新式工作機械を発明する。社長がその機械に取り込まれ、惨殺される。こうして彼は復讐をなした。
脳は改造されても彼はロボットではなくサイボーグだから「復讐する」という人間的な心を持つことは可能だった・・・
分かり易い図式である。
では安部公房はそれによって何を表現したかったのか? この小説が復讐譚なら「彼は復讐を成し遂げた」それだけのことではあるまいか?

私は他の作家との関連を見たりするよりも(カフカの「流刑地にて」は既読)この作品に書かれていることをもっとよく見たい。
復讐するということは、社長に対して怨みを持っていなければならない。それはどこに表れているだろうか?
当然表れるべきなのは、最初にアルバイト学生に会社をクビになったことを告げる場面である。ところがここでは「アメリカの技術出資がきまり、仕事がなくなりましてね」「死のつらさより、生きるつらさのほうが、大きいのです」と、クビにした社長への憤りなどは書かれていず、状況を受け入れている様子である。
次には、高水製作所に配属され、社長に対面した時である。ここでは社長が彼にこだわりを持っていることは表現されているが、R62号については「わるびれずにうなずいた」「素直にうなずいた」と従順であることが表現されているばかりである。
それどころか、所長は高水に、彼の経験を抹殺し、完全な条件反射を作っておいた、さらに朝十時から午後五時まで指令箱から電波を送り、その間だけ天才になる、ことを告げている。これはR62号が完全なコントロール下にあることを示している。彼の私情が入る余地は、ないということである。
こうしてみると、安部公房は非常に慎重に、R62号の所長への怨みや憤りの記述を避けようとしていることがわかる。まさに「消しゴムで書く」という表現の真髄を見る思いである。

この機械の意味などは、このような表現の基により考察されるべきでしょう。
 私の考えは読書会でも述べ、前回の記事にも書いたとおりです。





http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

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