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Re: 掲示板名の変更

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 4月10日(日)20時40分58秒
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  > No.265[元記事へ]

hirokd267さん

「引用・返信」ボタンつけたほうがいいみたいですね。
掲示板名の件は、私もいろいろと考えます。
私の思いとhirokd267さんの思いに乖離があったのは事実だし、これから摺り合わせして修復しなければならないと思っています。
ただ、安易に変更してしまったのは事実だし、これからはもっと話し合う必要があるなと反省はしています。
これからもよろしくお願いします。

http://w1allen.seesaa.net/

 
 

Re: 掲示板名の変更

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 4月 9日(土)00時11分35秒
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  > No.264[元記事へ]

ながらくご返事できなくてすみません。

このスタイルの方が、自分でもどのコメントに対応しているのかわかりやすくてよいですね。
不要ならその部分は消せばよい、と。
もちろん手動も使えます。

私もこれから書かせていただきます。


> hirokd267さん、こんにちは
> 「Re=返信」ボタンは、管理者設定でOFFにしていましたので、手動やコピペで、「Re:hogehoge」としてもらうしかなかったのです。
> 今、管理者設定で、「記事の返信・引用」ボタン(投稿の右上に出ます)を付けました。いかがでしょうか?
> teacupでは、何故か、返信と引用を切り分けて設定できないようなのです。
> 掲示板名の変更については、説明が足りなかった部分もありましたので、メールします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re: 掲示板名の変更

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月28日(月)06時47分43秒
返信・引用
  > No.263[元記事へ]

hirokd267さん、こんにちは
「Re=返信」ボタンは、管理者設定でOFFにしていましたので、手動やコピペで、「Re:hogehoge」としてもらうしかなかったのです。
今、管理者設定で、「記事の返信・引用」ボタン(投稿の右上に出ます)を付けました。いかがでしょうか?
teacupでは、何故か、返信と引用を切り分けて設定できないようなのです。
掲示板名の変更については、説明が足りなかった部分もありましたので、メールします。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re:掲示板名の変更

 投稿者:hirokd267  投稿日:2016年 3月28日(月)00時10分24秒
返信・引用
  こんにちは。
項目へのReの仕方がわかりません。
けれど、なぜ掲示板名をこのような、一般の方にはわかりにくい名にされたのか、意味が分かりません。
ひねりが必要な意味もわかりません。
ま、アレンさんの掲示板ですから、ご自由ですけれどね。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

Re:安部公房とノア

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月27日(日)21時45分7秒
返信・引用
  大熊さん

エホバという言葉を出されて、一瞬ウッとなりましたが、ノアを話題にした以上避けられない話題ですね。ひとまず、キリスト教的神と置き換えてもいいでしょうか?
仰るような公房のエホバ観のブレは、『第四間氷期』の重層性とリンクしています。
エホバを絶対視するノアとそうではない一般市民との対比が、海底開発協会と勝見の対比の構造になると思います。
なるほど、そうか。
『第四間氷期』は、一見、微視的連続感の断絶という選民思想的な宣告がなされますが、一方でそのやり方は、決して好ましく書かれていませんね。再三、勝見博士から抗議を受けるのに耳をかさない場面が幾度と有りました。
そうなると、海底開発協会と日本共産党が重なって見えますね。
『されど我らが日々』は、知りませんでした。
無謬性を前提とすると、異なる思想は認められないわけであり、とても恐ろしいことだと思います。大熊さんや岡田さんは、中核派や革マルや赤軍、浅間山荘、よど号などの事件の周辺もご存知だと思います。(『1984年』のイングソックもそういう政党でしたね)

『第四間氷期』は、安部公房の日本共産党在籍晩年の作品です。雑誌「世界」の連載が1959年。除名後、一部改稿されたのが早川書房版で1964年。さらに、入手しやすい新潮文庫が1970年。
早稲田大学の鳥羽耕史先生は、論文にてその異同を挙げ、安部公房の共産主義への態度の変遷が窺えるとしています。

うーむ。少なくとも二義的な話になります。共産主義は良いと思うが、日本共産党はダメという態度で臨むしか無いのですかね。安部公房がどういう思いで、日本共産党を除名され、その後共産主義をどのように思っていたかは今後の私のテーマでも有ります。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re:安部公房とノア

 投稿者:大熊  投稿日:2016年 3月27日(日)16時14分30秒
返信・引用
  アレンさん
ご示唆ありがとうございます。
安部公房はエホバをどうおもっていたのか、ということを、実は考えたことがありませんでした。
アレンさんの論考を読ませていただき、はじめて、公房が(自覚的に)エホバに何かを付託していたことに気付かされました。
アレンさんは大変重要なことを指摘されていると思います。

『第四間氷期』の、一種の「ブレ」は、まさに公房のエホバ観の「ブレ」(でなければ重層性)に発しているものですね。
そのエホバ観は決して一義的なものではなく、相矛盾するものなんだと思います。
その点について、無理なつじつま合わせをせず、思いつくままに挙げてみます。

『第四間氷期』での公房の意図は、まずは一般市民の(エホバの)「羊」性への、苛立ちを伴った断罪であると思います。
その意味では予言機械(方舟)は肯定されている。

ところがそれとは位相を異にする別のスフェアでは、その選民性は否定されるものとして把握されているのではないでしょうか。
それは具体的には、日共のアナロジーになっているわけです(岡田さんが読書会で「細胞」に言及されました)。というかそのアナロジーに引っ張られてしまっている。
党の無謬性が絶対的だったのは『されど我らが日々』で扱われていましたが、予言機械も頼木グループはそのように(無謬であると)みなしています。

それと少し視点がずれますが、選民性は労働者は無自覚な労働者から自覚的なプロレタリアートに「変化」しなければならないという意味もあるはずです。これは上記の「羊」への苛立ちよ相関です。公房の中では「選民性」にその意味も含まれていたと考えられます。選民性の意味内容においても、ブレ乃至葛藤(否定のなかに肯定)があるはずです。

やはり本書成立に、共産党体験が大きく関わっていると言わざるを得ません。もとよりその個別的体験を、もっと一般的な命題に昇華しようとした試みであることは言うまでもありません。
共産党体験に戻せば、日共という組織の選民的性質は否定するも、共産主義という思想自体は肯定せざるを得ない。その二種は別位相のことではありますが、やはり関係的にしか考えられないのが、この時代の人間であるとも言えそうです。
――といつのまにか思考のおぼえ書きになってしまいました。すみません。
 

安部公房とノア

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月27日(日)13時53分13秒
返信・引用
  大熊さん

作者がその特権に溺れるかどうかで、作品の出来栄えはがらりと違ってくるのでしょうね。

方舟思想ー映画「生きものの記録」[エッセイ](全集5巻)
ノアの系譜
『第四間氷期』に対する感想
と3つノアの記事を書いたことがあります。(いきなり、リンクばかりですみません(^_^;))

安部は、ノアの方舟の物語を憎悪していました。また、何故ノアが選ばれし人物であるのか記述のない聖書に苛立ちを感じていました。
選民思想に繋がる危険な匂いを感じていたからではないでしょうか?

昔、本作を読んだとき、予言は預言と読み替えられるのではないか?と思いました。ノアは預言を聞いて、方舟を作りました。ノアに当たる人物である勝見は、予言=預言を聞いて、それができなかった。むしろ、方舟の存在をばらす方向に出て、頼木たち海底開発協会のメンバーに始末される運命になる。
洪水という未来は変えられないのかもしれないが、最後に「風の音楽」に憧れる少年を登場させたことで、本作の価値はさらに高まったと思っています。

http://w1allen.seesaa.net/

 

Re:『第四間氷期』読書会

 投稿者:大熊  投稿日:2016年 3月27日(日)13時08分56秒
返信・引用
  アレンさん
 お返事ありがとうございます。
 『死に急ぐ鯨たち』の該当ページを読み返してみました。

>>小説ってそんなものなんだよ。何でもが作者の勝手になるわけじゃない。

 小説はメッセージではないということですよね。作家は一旦作中人物が動き始めたら、いかにそれが作家にとって困ったことだったとしても、また不条理であろうと、彼らの論理に付き合わなければならないということですね。それこそが「小説」なのでしょう。
 そこが平凡な作家では、そうなり始めたら無理やり作者の特権で捻じ曲げてしまうんですよね。読書会でもどなたかがおっしゃっていましたが、そうすると小説は薄っぺらくなってしまうわけです。
 『死に急ぐ鯨たち』を読み返していて、海面上昇での陸棲人(文明)壊滅に「ノアの大洪水」がイメージされていたことを知りました。まったく気がつきませんでした。ノアの洪水こそ、ノア以外のすべての人間の微視的連続感を断罪する(神話的)出来事だったんですねえ。
 

掲示板名の変更

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月26日(土)21時13分53秒
返信・引用
  「安部公房掲示板」から「貝殻草と贋魚」に変更しました。
前者ではあまりにひねりがなかったかと思ったのが理由です。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

Re:『第四間氷期』読書会

 投稿者:w1allen  投稿日:2016年 3月26日(土)21時06分32秒
返信・引用
  大熊さん

来ていただいて、うれしかったです。前回は、台風で交通機関の遅延があったんですよね。今回は、過去最多の参加人数となり、大きな収穫となりました。

勝見博士の弱さに共感される方が多かったですね。私もその中の一人でした。
微視的連続感に埋もれるものとして、主人公は、「未来の側」から裁かれなければならない。しかし、私たち読者が共感を持つのは、権力者側に立つ少数の海底開発協会の人々ではなく、平凡な未来を夢見る一般大衆側ではないかと思うのです。勝見博士は、どちらかというと後者の側であり、そこに共感を抱くのではないでしょうか?

また、「風」に憧れる少年について、安部公房が以下のように述べています。
ーーー引用開始ーーー
そいつがどうしても、空気が恋しくてー風の音を聞きに陸地に上って、空気に溺れて死んでしまうわけだけど、ぼくにとって否定的存在なのか、肯定的存在なのか、最後まで決めかねて非常に困らされた。実は今になっても心が揺れ動いているんだ。小説ってそんなものなんだよ。なんでもが作者の勝手になるわけじゃない。一つの小説の中で、対立する両方の登場人物に同時に共感してしまうことだってあるわけだ。そこが評論の世界とは根本的に違うところなんだろうね。
ーーー引用終了ーーー
(『死に急ぐ鯨たち』、新潮文庫、P111)

少年は、作者安部公房の掌から外れて、自律して動き始めたのではないでしょうか?本作は、多種多様な考えを持つ登場人物が登場し、物語としての厚みのある作品だったと思います。

次回のご参加を心よりお待ちしております。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

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