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大熊さん
エホバという言葉を出されて、一瞬ウッとなりましたが、ノアを話題にした以上避けられない話題ですね。ひとまず、キリスト教的神と置き換えてもいいでしょうか?
仰るような公房のエホバ観のブレは、『第四間氷期』の重層性とリンクしています。
エホバを絶対視するノアとそうではない一般市民との対比が、海底開発協会と勝見の対比の構造になると思います。
なるほど、そうか。
『第四間氷期』は、一見、微視的連続感の断絶という選民思想的な宣告がなされますが、一方でそのやり方は、決して好ましく書かれていませんね。再三、勝見博士から抗議を受けるのに耳をかさない場面が幾度と有りました。
そうなると、海底開発協会と日本共産党が重なって見えますね。
『されど我らが日々』は、知りませんでした。
無謬性を前提とすると、異なる思想は認められないわけであり、とても恐ろしいことだと思います。大熊さんや岡田さんは、中核派や革マルや赤軍、浅間山荘、よど号などの事件の周辺もご存知だと思います。(『1984年』のイングソックもそういう政党でしたね)
『第四間氷期』は、安部公房の日本共産党在籍晩年の作品です。雑誌「世界」の連載が1959年。除名後、一部改稿されたのが早川書房版で1964年。さらに、入手しやすい新潮文庫が1970年。
早稲田大学の鳥羽耕史先生は、論文にてその異同を挙げ、安部公房の共産主義への態度の変遷が窺えるとしています。
うーむ。少なくとも二義的な話になります。共産主義は良いと思うが、日本共産党はダメという態度で臨むしか無いのですかね。安部公房がどういう思いで、日本共産党を除名され、その後共産主義をどのように思っていたかは今後の私のテーマでも有ります。
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