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稲垣健さんの『安部公房---乏しき時代(Die dürftige Zeit)の作家』を読んで

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 5月17日(土)12時43分38秒
返信・引用
  稲垣さん、

三浦雅士さんの、贋月報の安部公房論をもとに、マルクスと安部公房の思想の違いを鮮明に書かれた、いいエッセイ(評論)でした。

三浦さんの指摘する、安部公房のリルケの受容と、その精神の在り方、またマルクス批判は、全くその通り、稲垣さんが理解し、再説なさっている通りだと、わたしも思います。

このテーマが、どれだけ、いつも、読者を魅了するものか。

本物と贋物という二項対立軸の交換は、安部公房のリルケ理解によるものです。これを『詩と詩人(意識と無意識)』で、次元展開として、理詰めで、徹底的に思考し、追究しております。これも、三浦さんの言葉として、稲垣さんが引用している通りです。外部と内部の交換は、安部公房の生涯の創作原理でした。

稲垣さんの惹き付けられているそのテーマ、その主題、その勘所は、安部公房全集のテキストのそこここに触れて、間違いなく、豊かな、稲垣さんの言葉として結晶することでしょう。

お好きなテーマでのまたのご投稿を楽しみに、お待ちしております。
 
 

伊藤さんへの回答

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 4月13日(日)08時19分41秒
返信・引用
  伊藤さん、

こんにちは、掲示板に投稿を下さり、誠にありがとうございます。

わたくしの書いた三島由紀夫と安部公房の一文に興味を持って下さり、Evernoteに貼付して、何度も思いを巡らせているとのこと、ふたりの作家を介しての御縁を感じます。

わたしの書いたことは、二人に共通するエッセンス(本質)です。伊藤さんのおっしゃる純粋思考と関係があるでしょうかというご質問には、その通りですとお答え致します。

この場合、純粋とは何か?ですが、安部公房は既に10代で、それを人間の未分化の状態と考えておりました。この状態を一言で実存と安部公房は言ったのです。この考えは終生変わらず、安部公房の言葉はこの場所から発せられました。

実存、即ち未分化の状態とは、言語の世界では、わたしはAであるという文をつくらずに、わたし自身であることに留まる意志的な努力をいいます。これは、伊藤さんがこころのなかでなさって来た努力に通じていると思いますが、如何でしょうか。その努力は、純粋という言葉で形容されることのできる努力です。反対に、分化した状態とは、この現実、この世の中を眺めれば無数にあることに気付くでしょう。曰く、わたしは父親である、教師である、消防士である、男である、女である等々。様々な視点からの分化のなされていることの集合が社会の姿です。

さて、他方、三島由紀夫という藝術家も全く同じで、勿論実存という言葉を知っていたことでしょうが、そのような哲学用語はつかわずに、美しい仮象仮構の修辞によってその同じ思いを表現しております。例えば、『花ざかりの森』のエピグラフは、安部公房の認識する同じ実存から発せられた美しい2行の詩だということができます。

かの女は森の花ざかりに死んで行った
かの女は余所にもっと青い森のある事を知っていた

伊藤さんが安部公房のエッセイに主に惹かれるのは、上のエピグラフの持つ論理と同じ論理を安部公房が展開しているからだと、わたしは思います。

ひとことで、安部公房の実存と、それから上のエピグラフの抽象的な表現との共通する凝縮(エッセンス)を言えば、その主語は時間の外にいて、時間の中にはいない、そのような関係を構造的、体系的に思考し、表現したということだと思います。

この主題は、書き始めると筆が尽きません。

次号のもぐら通信にこのようなことを書こうと思っていた矢先のご投稿でした。何かの御縁を感ぜずにはいられません。

もし機会があれば、もぐら通信にご投稿下さい。三島由紀夫に関するエッセイでも結構です。

岩田英哉
(いわたえいや)
もぐら通信

追伸:最近新潮文庫の『花ざかりの森?憂国』を読みましたが、この中に所収の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』、『詩を書く少年』、『海と夕焼け』、『憂国』などは、上でわたしが主題と呼んだ主題について書いてあるように思いました。どんなに意匠は異なっていても、根底にあるものは、伊藤さんが直覚している通りに共通であるとお考えになってよいのだと思います。
 

伊藤さんへ

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 4月12日(土)14時34分15秒
返信・引用
  伊藤さん、

ご投稿ありがとうございます。

只今別途メールにて、伊藤さん宛にわたしの返信を発しましたので、ご覧下さい。

よろしくお願い致します。

 

Re: 安部公房と三島由紀夫について

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 4月11日(金)23時22分2秒
返信・引用
  伊藤元治さん、こんにちは。
引用されている文章は、もぐら通信ではなく、「安部公房の広場」のものですね。
http://abekobosplace.blogspot.jp/2013/03/blog-post.html
筆者の岩田に連絡しておきますので、しばらくお待ち下さい。

なお、Googleのアカウントなどをお持ちでしたら、直接「安部公房の広場」に
書き込むことが出来ます。

では、失礼します。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

安部公房と三島由紀夫について

 投稿者:伊藤元治  投稿日:2014年 4月 9日(水)17時36分28秒
返信・引用
  三島由紀夫の大ファンで、以前から安部公房の作品(特に評論文)に強く惹きつけられるものがありました。2013年3月号に
「何故ならば、安部公房もまた、三島由紀夫と同じく、性の未分化の状態である男と女をというものを理想の人間として念願し、それを主人公にして小説を書いて来た作家であるからだ」
という一文があって、そのままコピーしてevernoteに貼り付けて、意味を何度も考えています。
小学校5年生の始業式後に、クラスの女の子の自宅に遊びに行き、絵を見ながら楽しく話しているうちに初めて恋した思い出が、今だに私の心に、理想として浮かんできます。そのような純粋志向と関係があるのでしょうか? 私の都合よく解釈しているのではないかと思い、どういった内容であるか、具体的に教えて頂けると嬉しいです。
 

山本さんへ、

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 3月16日(日)18時24分8秒
返信・引用
  山本さんへ、

このたびのご寄稿、ありがとうございました。

巽先生が誉めていらした好着眼というのは、そのまま山本さんの素晴らしい能力だと思いました。

これからも、その能力と直覚を生かして、これはと思ったものをお書きになり、是非もぐら通信にご寄稿ください。

これから、山本さんが定期的なご寄稿をいただけるような書き手になってくださることを、わたくしは願っております。そのようにお考えくださると、うれしく思います。

また、友人、知人の方に、安部公房のファンがいらしたら、もぐら通信への寄稿をお誘いくださると、ありがたく思います。

もぐら通信は、若いひとのための発表の場でもありたいと思っております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

岩田
 

堀田さん、

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 3月16日(日)18時23分32秒
返信・引用
  堀田さん、

いつもながら見事な、そうしてその場を彷彿とさせるレポートをありがとうございました。

ひとつひとつ、ひとりひとりの意見が集約されていて、本当に充実した読書会であったことが、あらためて思われます。

このような濃い内容レポートのレポートから、出席者、安部公房の読者たちの熱い関心が昇立つようだと、改めて思いました。

このようなレポートを書くことは、(堀田さんもそうおっしゃっていましたが)大変なことと思いますので、今後は、無理にはお願いをしないことに致します。

とはいへ、その他(もちろん読書会のことでも結構ですが)、またのご寄稿をお願いしたいと思っております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

岩田
 

柏木さん、

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 3月16日(日)18時23分9秒
返信・引用
  柏木さん、

このたびは、大阪での『箱男』の読書会のレポートを戴き、ありがとうございました。

導入部の、読書会を開催したバーの雰囲気といい、何かが始まるという感じのする、そうしてその色調、雰囲気がそのまま本論にまで及んでいて、いい文章だなと思いました。

「この言葉の意味は、よくわからない。それでも、好きだ。」
「箱男と贋箱男のどちらが書いた文章なのか照査するような、実直な読書会は安易に想像できるが、私はそれをあまり良しとしない。」
「箱男になるとは、つまり、自己を放棄し、他者の世界に埋没することだ。」

などなど、同感するフレーズがたくさんありました。

公房読みという言葉があるかどうかはわかりませんが、もしあるとすると、そのおひとりは、きっと柏木さんだろうなと、そう思いました。

また機会があれば、ご寄稿いただけるとありがたく思います。

柏木さんの箱男論、あるいは箱男を巡る幻想論を読んでみたいと思っております。あるいは、その他の安部公房の作品についてでも。

今後とも、よろしくお願いいたします。

岩田
 

睡蓮さんへ

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 3月16日(日)18時22分39秒
返信・引用
  睡蓮さんへ

もぐら忌のお題のもとに、安部公房ファンでなければ詠めないような句ばかりをお寄せ戴き、ありがとうございました。

読者はきっと、睡蓮さんの一句一句をみて、にやりとしたのではないでしょうか。読者にだけわかる暗号の通信というところでしょうか。

わたしも楽しんで、拝見を致しました。

またのご寄稿を楽しみにしております。

よろしくお願いいたします。

岩田
 

山本奈緒さん「精神の自由の限界について」(18号)

 投稿者:w1allen  投稿日:2014年 3月16日(日)17時44分29秒
返信・引用
  『バベルの塔の狸』についての卒業論文のレジュメです。
『壁』の中では、『S・カルマ氏の犯罪』がまず大きなインパクトが有り、短篇集『赤い繭』も人気ですが、何故か『バベルの塔の狸』には語られることが少ないです。
そんな中、アンドレ・ブルトンのシュルレアリスムを紹介し、そしてそれを批判・風刺する作品として、読み解いておられます。
ブルトンは、無意識の領域を開放して、「精神の自由」を説きます。
しかし、安部公房は、それを一定程度認めながら、合理性や物質の重要性を持ちだして、本作を創作したのではないか?私はそのように感じました。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

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