teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


秋川久紫さん「『一角獣の変身』における1963年の安部公房」

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 1月16日(木)03時29分54秒
返信・引用
  秋川さんのこの文は、安部公房のあまり知られていないテキストを取り上げ、解説を付したものとなっています。そこに安部公房の当時の思考と、現在の秋川さんの思考が絡み合い、新たな価値を生み出しています。このような取り上げ方も、とても意義あるものとして、今後も多くの方の同様の参入を期待します。

秋川さんはまず、安部公房のこの挑発的な文が、同誌上の他の批評者たちの論調とまったく違っていることを示されています。これは初出雑誌に直接当たることの重要性を表しており、つい全集のみに頼りがちな私たち安部公房ファンへの警鐘とも言えましょう。

そして安部公房の論旨としては、「美の殺害者としてふるまう行為」という評を、マルセル・デュシャンから説明されているのは分かり易く、だが安部がここではシュルレアリスムなどの潮流から距離を置いているように見える、というのは秋川さんの視点です。

さらにその視点は「鑑賞者の拒否」を安部公房の心情とし、芸術運動が発見された後、反復されるとともに、「思想の喪失」「理念の軽薄化」することを予知していたのでは、と指摘されています。ここには芸術の本質的な問題が潜んでいるように思われますね。

ところでこうしてみると、安部公房は芸術家たちにどんな姿勢を求めていたのでしょうか。この小文は否定的な言葉に満ちていますが、では何をどうすることが安部公房にとって望ましいことだったのでしょうか。それは示されていませんね。

絶えざる自己否定による弁証法的な運動さえも「拒絶の商品化」と言われるとしたら、アヴァンギャルドの立場は成り立ちにくいですね。

ということを考えさせられるのも、秋川さんの取り上げて下さった視点のおかげであります。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 
 

稲垣さんの『安部公房の「孤独」と「文学」の力???雑感』

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時24分42秒
返信・引用
  第16号へのご寄稿、ありがとうございました。

代表作の終りを集約的に引用して示したことが、安部公房という作家の姿を浮き立たせることになって、これは巧まず、面白いご寄稿となりました。

安部公房の小説の最後には、おっしゃる通りの孤独感がいつも横溢しております。そうして、それは10代の詩の時代から変わらず、小説家になったあとの作品の最後には安部公房の透明感覚が出て来て終るのです。

この透明感覚は、孤独ではありますし、実は死と裏腹ではありますが、安部公房の自由の感覚でもあります。

文学の力とは、言葉の力ですし、言葉の力とは思考の力ですね。

稲垣さんの思考の力が独自の言葉となって、安部公房と渡り合う、そのようなご寄稿を遠くない将来に戴く事を楽しみに期待をしつつ、お礼の言葉と致します。

岩田
 

前の投稿の題名を間違えましたので、訂正します。

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時24分13秒
返信・引用
  前の投稿の題名を間違えましたので、訂正します。

稲垣さんの『『けものたちは故郷をめざす』と表現者安部公房』でありました。
 

稲垣さんの『安部公房の「孤独」と「文学」の力???雑感』

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時22分35秒
返信・引用
  このたびは、ご寄稿を戴き、ありがとうございました。

安部公房は、10代の詩人の時代から、学んだリルケの教えの通りに
外部に開かれている世界を知っておりましたし、自分の詩もまた小説も
戯曲もそのように執筆したことは疑いを容れません。

そのことを独自の言葉でお書きになっていて、稲垣さんが安部公房に惹かれる理由がよく伝わるご寄稿であったと思います。

『けものたちは故郷をめざす』は、強烈な作品で、わたしも好きな作品です。これもまた、安部公房の脱出の物語だといえましょう。

稲垣さんの哲学的に真摯な思考が、安部公房の世界を素材にして、より深く、言葉が紡ぎ出されることを、益々そうなることを、祈っております。

また是非ご寄稿下さい。楽しみにお待ちしております。

岩田
 

澤井館長の『安部公房没後20年記念講演会報告』

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時21分53秒
返信・引用
  第15号へのご寄稿を戴き、ありがとうございました。

北海道の東鷹栖の地で、安部公房に関する催事のあることを読者に伝えることができて、よかったと思っております。

保坂さんの安部公房へ言及した言葉は、安部公房という芸術家の急所を穿っていて、その肯綮に当たっていると思いました。いいご講演であったのだと、遠く東京から思っておりました。

これからも、東鷹栖安部公房の会の益々の活動を念願致します。

折に触れ、どうぞご寄稿下さいませ。

楽しみにお待ちしております。

岩田
 

滝口さんの『創作の秘密』

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時21分16秒
返信・引用
  滝口さんご自身が創作家ですので、このご寄稿は、誠に興味深いものでした。

安部公房の創作の機微に触れるテキストを集約的に引用したことは、読者にとって価値のあることでした。

わたしの考えでは、或いは知る限りでは、作家には二種類の作家がいるのです。ひとりは、書いて書いて書いて、原稿が良くなって行く作家。もうひとりは、最初の原稿が一番よい原稿である作家です。

安部公房は、前者であり、その師匠である石川淳は後者でした。一緒にロシアや東欧にに船で行ったときに、船中、道中で石川淳と話をして、最初原稿を書いたら直さないと聞いて驚いた安部公房の言葉が、全集のどこかにありました。

ちなみに、わたしも後者なのです。滝口さんは、多分安部公房型の前者ではないかと拝察致します。

またのご寄稿もお待ち致します。ご寄稿も、と言いましたのは、もし安部公房の読者として小説をお書きになったら、これは編集部内の調整が必要ではありますが、もぐら通信にお書きになることも、面白いことではないかと思ったからです。

また、電子書籍化するときには、ご遠慮なく声をかけて下さい。

益々の執筆の盛んなることを祈っております。

岩田
 

秋川さんの『『一角獣の変身』における1963年の安部公房』

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)21時20分36秒
返信・引用
  秋川さんのご寄稿は、実に美術界からの思いがけないご寄稿でした。

安部公房と言えば、小説や、そしてより少なく演劇作家だという理解が一般でしょうが、やはり20代の初期のころに、総合低術を目指して美術界の人間達と交流したことを、改めて思い出させてくれる貴重な文章でした。

安部公房の言葉は、確かに辛辣で、それはそのまま当時の安部公房の小説に対する真剣な思いを彷彿とさせてくれました。

ご寄稿に感謝です。

秋川さんは、詩人ですので、詩人としての視点から、次回はまた安部公房についての文章を書いて下さると、読者には実に新鮮に驚かれることでしょう。

またのご寄稿を期待しております。

今後とも、よろしくお願い致します。

岩田
 

「もぐら通信」第15号・16号合評会

 投稿者:hirokd267  投稿日:2014年 1月14日(火)20時56分59秒
返信・引用
  頭書の通り、合評会を開きます。

読者の皆さま、編集員の方のご自由な書き込みをお願いします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1000004&tid=0bit8xkbc&sid=1000004&mid=1&type=date&first=1

 

壁は譬喩(ひゆ)ではない

 投稿者:岩田  投稿日:2014年 1月14日(火)20時40分14秒
返信・引用
  ワダンノキ さん、

ご投稿ありがとうございます。こうして、安部公房の読者の方と交流ができるのは、喜びです。

安部公房は、自分の小説を何かの譬喩であるとか、寓話であるとか、そのように読まれる事を否定しております。

そうして、実際にそれはその通りであると、わたしは思います。

何故ならば、それは譬喩ではなく、現実だからです。(もっとも、譬喩(ひゆ)とは何か?でありますが。)

自分の小説の世界を全くの現実として読者に理解してもらうことを、安部公房は願ったのです。この世にはない、第二の第三の第N番目の現実として、です。

言語による全く別の現実の創造、これが安部公房の関心事でありました。

それゆえに、ワダンノキ さんも、わたくしも、その世界に魅了されるのだと思います。

 

壁の比喩

 投稿者:ワダンノキ  投稿日:2014年 1月13日(月)00時32分20秒
返信・引用
  はじめまして
安部公房は好きで以前からこのサイトも興味深く拝見させていただいていました。

安部公房は比喩の使い方がユニークだと思うのですが、なかでも「壁」の比喩は作品の題名にもなっており、安倍の好んだピンクフロイドにもwallというアルバムがあります。

読んだことはないのですが、「天使」という作品にも壁が無限そのものだったという認識が語られているそうです。

この比喩としての「壁」の謎ときをどなたかしていただけないでしょうか。ずっと気になっています。
 

レンタル掲示板
/29