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感想.《漫画『銀河の死なない子供たちへ』と『どこか遠くの話をしよう』》

 投稿者:オロカメン  投稿日:2018年10月21日(日)17時15分56秒
   アレクセイさん、こんにちは!
 「読書の秋」とも申しますが、ほぼ一年中読書ばっかりのオロカメンでございます。

 気温も涼しくなってきて、本格的に秋っぽい感じになってきましたね♪

 さて、本日は以前アレクセイさんにオススメいただいた漫画、施川ユウキの『銀河の死なない子供たちへ』をやっと読むことができましたので、そちらの感想と、あとぼくが最近読んだ中でのオススメの漫画、須藤真澄の『どこか遠くの話をしよう』のふたつの作品をご紹介させていただきたいと思います!

 例によってまたMIXIで呟いた内容をまとめたものになります。
 漫画二冊ぶんのレビューとなりましたので、ちょっと分量が多すぎたかもしれません…… (^_^;)
 ご笑覧いただけますと幸いですm(_ _)m

――――――――――――――――――――――――――――――

 施川ユウキの最新SF長編マンガ『銀河の死なない子供たちへ』上下巻読みました!

 アレクセイさんからお勧めいただいてから書店などでずっと探していたんですが、ほとんど見かけず、ネット販売など見てみると値段が吊り上がっていたりしたので、入手するのに時間がかかってしまいました……。どうやら品薄になっていたようですね。

 アレクセイさんはご存知かもしれませんが、一応あらすじを。

<あらすじ>
 人類が滅んでから1万年くらい経過した地球。そこには手つかずの自然と、不死の家族が住んでいた。ラップを作るのが趣味の天真爛漫な女の子π(パイ)、読書好きのマッキ、愛情深く超然とした存在のお母さんの三人。
 ある日、宇宙服を着た瀕死の女性が空から降って来る。彼女はπとマッキの前で女の子の赤ちゃんを産んでから死亡する。πとマッキは赤ちゃんを「ミラ」と名付け、お母さんに内緒でこの子を育てる事に決める。
 不老不死のπとマッキにとって「時間」も「生と死」も、考えるだけ意味のない概念だったのだが、ミラと一緒に生活し、ミラを育てていく事で、いやおうなく不老不死の彼らにもそれら普通の人間が抱えている難解な謎について考えざるをえなくなってくるのだった。

<感想>
 ギャグ漫画家であり結構なSF者である施川ユウキがほぼギャグを封印して本格的にSF物語に取り組んだ長編マンガ。完全に「SFを分かっている人」が描いたSFだと思う。

 本作はWeb連載と言う事もあって、コマ割りが単調で大ゴマが多い形式になっているのだが、逆にこの不思議な淡々としたテンポと、おとぎ話的な雰囲気を強くしているのだろう。

 物語の最初のほうは不老不死の家族による「普通じゃない生活」を描き、ほぼ「おとぎ話」的な感覚なのだが、普通の人間の子供「ミラ」が出てきて、普通の人間の生活に寄り添って生きる事で、どこかノンキだった主人公・πも段々と現実的な普通の人間の生と死を考えていくようなシリアス展開になっていく。

 施川ユウキは、言語感覚が非常に鋭い作家だと思うのだが、本作の特筆すべきところは、その施川ユウキの言語感覚がセリフ作りの上手さとして結実している所ではないだろうか。
 不老不死の一族が生と死について考えると言うシチュエーションはさほど珍しい設定でもないと思うのだが、そういう設定についての施川ユウキなりの考え方が、キャラクターらの口からさまざまな形で提示される。
 本作は他のマンガに比べてもさほどセリフ数は多いとも思えないのだが、それらキャラクターらのセリフには、いちいちハッとさせられたり深いなあと思わされたりと、かなり名言のオンパレードだと感じさせられる。

 無表情なマッキの「みんなどこへ行ったんろう? どうして僕らはそこへ行けないんだろう」というセリフだけで、この不老不死の一族の孤独さがしみじみ分かるし、そんなマッキが珍しく真剣な表情で、死にゆく人間の女性に対して「死ぬって、どんな気持ちだ?」と尋ねるシーンなども、絵はカンタンなのに思わずグッときてしまう。
 こういうセリフの積み重ねがあってこそ、最後のπとマッキの選択も、多くを書かずとも納得してしまうのだろう。

 本作は「このマンガがすごい!Web2017年11月度オトコ編」の第1位に選ばれるほど多くの支持を受けた、恐らく施川ユウキ作品の中でも最も多くの人が共感するであろう名作だと思う。――ギャグ抜きのシリアス展開でぜんぜんいけますね施川さんは。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ……で、今回はもう一冊、須藤真澄さんの長編マンガ『どこか遠くの話をしよう』をご紹介したいと思います!
 ちなみにこちらも、書店にほとんど置いてなくて、入手するのに随分と時間がかかってしまいました……。

<あらすじ>
 南米高地の小さな村に住む少女・チロは、物に触れるとその物と会話をすることができる不思議な能力を持つ少女だった。彼女は口のきけない祖母と二人で幸せに暮らしていた。
 ある日、突如彼女の家の納屋に、異国の言葉を喋る謎の男性が現れる。
 彼は怪我をしていて、さらに記憶を失っているらしい。
 チロはこの男に「プラティーノ」という名前を付け、彼の持ち物と対話しながら男が何者なのか確かめ、プラティーノとのコミュニケーションを試みる。


<感想>
 ぼくは本作について「須藤真澄さんの久々の長編マンガ」という情報以外、一切の前知識を入れずに読んだんですが、それは正解だったと思いました。できれば前知識なしで読んでもらいたい作品ですね。
 つまり、この作品には「謎」があるわけです。

 この物語は南米高地の村の、美しい自然に囲まれて素朴だが幸せな生活を送っている人々の前に、突如記憶喪失の男性が現れ、まずはその男性と村人たちとの心温まる交流を描くことになります。
 そういった交流の裏では、村人たちの不安と好奇心が入り混じった複雑な心境が隠れています。
 一体彼は何者なのか?どこの国の人なのか?善人なのか悪人なのか?何故この辺鄙な村に突如として現れたのか?……その謎の解明が物語のひとつの軸になっていきます。

 また、チロはプラティーノに幼い頃に死んだ父を重ね、必死になって世話をします。プラティーノが何者であろうと守ろうと決めるチロと、プラティーノとの心の交流ももう一つの軸になっています。

 やがてプラティーノは記憶を取り戻していくにつれて、どうしようもない自分の悲しい運命を思い出していく事になります。それを知ったチロは何を思い、どうしようとするのでしょうか。

 本作は基本的には終始ほのぼのとした雰囲気で物語が展開していきます。
 詳しいことは書けませんが、作者の須藤真澄さんが、この「謎の男」をこの自然豊かな南米高地の村に出現させたのは、いまは当たり前にそこに存在している「自然」と「人間」というものが、いかに愛おしいものなのか、いかに貴いものなのか、それら全てを本当に愛おしいと思う気持ちがあったのではないかと思うのです。


 本作は「ヘンテコな感覚のファンタジー」を得意とする須藤真澄さんの久々の力の入った感動作で、ぼく的にもオススメの一作ですよ!
 

「右でも左でもなく下」でしかない、山崎行太郎の批評一一 山崎行太郎『ネット右翼亡国論』のお粗末

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年10月16日(火)00時07分14秒
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  「右でも左でもなく下」でしかない、山崎行太郎の批評
  一一 山崎行太郎『ネット右翼亡国論 桜井誠と廣松渉と佐藤優の接点』のお粗末
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2QP885L0JXTEI


あまりにも酷い内容なので、落胆を通り越して「これはきちんと批判しておかないといけない」と考えるに到った。
数年前に読んだ『保守論壇亡国論』は「イマドキの保守言論人(=ネトウヨ的言論人=非本来的保守言論人)」を事実に即して批判したものとしてとても参考になったので、今回の『ネット右翼亡国論』も大いに期待して読みはじめた。しかし「桜井誠と廣松渉と佐藤優の接点」というサブタイトルに感じた一抹の不安が、最悪の形で的中してしまった。
本書は、事実としてぜんぜん『ネット右翼亡国論』にはなっておらず、実質は著者の「文学的存在論重視の名を借りた、軽薄な自己存在アピール」本でしかなかったのである。

したがって本書に帯に記された、佐藤優の『存在論的に徹底的に掘り下げて現象を考える山崎哲学の真髄がここにある。「ネット右翼」の耐えられない軽さを暴いた傑作。現下日本社会を憂うるすべての人に読んで欲しい。排外主義、自己陶酔的な日本礼賛を愛国の立場から斬る。日本の現在を深く知るための必読書である。』という推薦文は、本書所収の論文を「読まずに書かれた、無責任な提灯持ち文」だと断じて良い。

そもそも、山崎は「ネット右翼には興味がない」と何度も明言していて、ネトウヨ言論をろくに読んでもいないのだから、それをまともに批判できる道理など無いのである。

推薦文に見られる佐藤優のこうした無責任な態度というのは、本書に対するレビューとして、本書をまともに読みもせず『ネット左翼の戯言でしかなかった。』などと書いている、ネトウヨレビュアーの党派的無責任さと、基本的に同質のものである。

たしかに佐藤は頭の良い人ではあるが、決してフェアで正直な言論人ではなく、まさに「外交官」的に狡猾な人である。
つまり、自分から敵をつくることはせず、利用できそうな相手は煽て上げて味方に付け、いずれは利用しようという魂胆を隠しもった策士なのだ。だからこそ、池田大作創価学会名誉会長や公明党を創価学会員の期待どおりに褒め上げる本(『「池田大作 大学講演」を読み解く』『佐藤優が教える、池田大作『人間革命』の読み方』『創価学会と平和主義』『いま、公明党が考えていること』等)を書くことを、なんら恥じない。
佐藤にとっては、故郷沖縄と日本を害する国家権力に対抗するために是非とも必要な「中間団体」として創価学会や公明党は、利用価値が極めて高い存在なので、それとの良好な関係を構築しようと、意図的にヨイショをして接近し、それを恥じもしないのである。

当然、流行作家である佐藤に擦り寄ってきた、山崎のような三流の文筆家でも、わざわざ否定批判するような、無駄なことはしない。
だが、わざわざその著作を1冊読むのは「時間の無駄」なので、『ネット右翼亡国論』というタイトルへの当て書きで、上記のような推薦文を書いてみせたのである。もちろんベストセラーになるような本でないのは目に見えていたからであろう。

さて、本書の内容が『ネット右翼亡国論』でもなければ『「ネット右翼」の耐えられない軽さを暴いた』本でもないということをまず押さえた上で、では本書になにが書かれているのかというと、それは山崎が『世の中には情勢論的言説が蔓延している。(中略)しかし私は、彼らの言説には何かが足りないと思う。それは、原理論と存在論である。特に存在論である。』(「あとがき」より)と書いている、「存在論的言説こそ大切であり、自分はそれをやっている」という自己主張でしかない。

「情勢論・原理論・存在論」などと言うと何やら難しげに聞こえるが、ぜんぜんたいした話ではない。
「情勢論」とは「現実社会の(主に政治的)情勢についての分析的批評」であり、「原理論」とは「個々の現実的情勢の底に潜む、問題の本質を剔抉して論じる本質論」であり、「存在論」とは「現実情勢や客観的分析による本質論ではなく、問題を自己の存在における主体的問題として考える」ことだ。

山崎は『哲学者・文芸評論家』と称しているが、この肩書きが意味するのは「物事を文学的に、つまり存在論的に読んで、それを徹して考える人間である」という意味であって、決して、哲学にも文学にも専門的な(あるいは基礎的な)知識や教養を持っているというわけではない。なにしろ、ご本人曰く『素人』なのである。

つまり、山崎は「自分は、専門的研究をしておらず、その意味では素人だが、そこらの学者や評論家がやっているような知識偏重の軽薄な自慢話ではなく、自分の存在を賭けて思考している。その意味では本質的な哲学者であり、その点で存在論的に考える文芸評論家なのだ」と自己アピールしているのだ。

しかし、言うまでもなく、この「厨二病」的自己認識を臆面もなく垂れ流せるという段階で、山崎の思考の底の浅さは、すこし文章の読める人には明らかなことで、こんな山崎やその文章を絶賛できるのは、「コネを付けた有名人」については臆面もなく絶賛することのできる山崎と同類の「擦り寄り俗物」に過ぎないのも明白だろう。

「看板に偽りあり」の本書『ネット右翼亡国論』中心となる論文は、主に書き下ろしの第1章「ネット右翼亡国論」だが、ここで書かれているのは「在特会元代表の桜井誠は、その思想内容が酷いとしても、少なくとも口先だけではなく、命がけで反在日特権運動に取り組んでいる点で、立派に存在論的思想家として評価されるべき」というものである。
そして、そんな桜井は「生涯、革命を意識しながら学問を貫いてきた廣松渉」や「単なる口先知識人ではなく、その思想を生き方に体現した佐藤優」と「存在論的に通底する」と評価されるべきだと、故事付けがましい「薄っぺらな本質論」を語っているだけなのである。(それにしても、山崎の議論は念仏のごとき繰り返すが多く、およそ論理展開というものが無い。そのお粗末さは、およそ『素人』の同人誌レベルだ)

もちろん、こうした無理のある議論は、世間から差別主義者・排外主義者として「罵倒される桜井誠」のなかに、自己の似姿を(勝手に)見たからこその揚言でしかない。

山崎の自覚としては「自分は世間的な評価に抗して、損を承知で、桜井を存在論的・本質的に論じ擁護した」つもりなのだろうが、それを廣松渉や佐藤優といった「権威」と結びつけることでしか出来ないところに、山崎の評論家としての無能と、山崎が本質的には「権威主義者=権威大好き俗物」でしかないことを露呈させる。

山崎の本質が「独り善がり」「承認願望の塊」「無反省な自己愛者」でしかないというのは、「思い込みだけで断言する」その態度に明らかだろう。
山崎は『佐藤優のマルクス主義論やキリスト教論は、かなり専門的であり、素人の雑談レベルをはるかに超えている。佐藤優のマルクス主義研究やキリスト教研究は、専門家たちより広く深いことが少なくない。これは、佐藤優が存在論の人だからであることと無縁ではない。』(P59~60)などと褒めちぎっているが、まともに日本語の読める人なら、このロジックの酷さは明白だろう。

そもそも『かなり専門的』と『素人の雑談』を比較して並べるところがデタラメだ。
また『専門家たちより広く深いことが少なくない。』という判断を語るためには、判定者である山崎自身が相当の『マルクス主義研究やキリスト教研究』をやっていなければ、判断のしようがない。ところが、山崎自身は『マルクス主義研究やキリスト教研究』をやったことのない『素人』なのだ。

あとの清水正との対談で何度も自己暴露しているように、「存在論」の人である山崎行太郎が本を読む基準は「好き嫌い」でしかなく、「人の研究成果はどうあれ、自分はこう感じた」といったことを書いているのであろう「存在論」タイプの著述家(と、山崎が勝手にシンパシーを感じた著述家)の本しか、まともに読みはしないのである。
したがって、自称「保守」である山崎は、マルクス主義の基本文献も読んでいないし、ましてや(佐藤優のもの以外)キリスト教神学や聖書学の本など手に取ったこともないはずで、知ったかぶりに「又聞き」で聖書に言及してみせてはしても、たぶん聖書の通読すらしていないだろう(でなければ『僕は、モーゼの『出エジプト記』を思い出す。』(P107)などと書いたりはしないだろう)。

ともあれ、なにしろ自称『素人』だから、「興味のないもの」を読み込む気などさらさらないのだ。また、それでいて「知ったかぶりで断言的評価」を語って恥じないのが、山崎行太郎という人なのである。

山崎が、絶賛する人物というのは、小林秀雄やドストエフスキーのような「過去の大権威」か、江藤淳や清水正や佐藤優といった「コネのついた有名人」か、桜井誠のような「自己投影を出来る不遇者」でしかない。
言い変えれば、山崎が絶賛するのは「自分を珀付けするための権威者」「コネによって自分に利する有名人」「自己賛美のための代替的人物」でしかないということだ。

こんな下らない「俗物」に、ドストエフスキー研究家の清水正は、何を思って手を差し伸べたのかはわからないが、ともあれ山崎は、それまでまともにその著作を読んだこともなかった清水を、お近づきになった途端、その著作を「読んでみたら、存在論的でスゴイ研究だった」と、何とかの「一つ覚え」で絶賛し始める。
しかし、こんな軽薄な山崎と対談する清水は、こんな「太鼓持ち」に煽てられて喜んでいるだけの粗忽者かと思いきや、やはり山崎の「自意識過剰の中学生」並の酷さは、黙過するに余りあるものがあったのだろう、対談の中で何度となく、山崎の「独り善がりな存在論的独断」に注文をつけている。


『(※ 説明は出来ないが、存在論的にわかると主張する山崎に対し)説明できないとまずいんじゃないですかね。』(P171)
『(※ ドストエフスキーをろくに読んでもいないのに、断言的に評価ポイントをかたる山崎に対し)僕は恥ずかしくて(※ ドストエフスキーの)墓の前に立てなかった。ドストエフスキーはやり尽くしたなどと思った自分の傲慢が恥ずかしくてならなかった。』(P182)
『(※ ネチャーエフ的独善を批判する譬え話として)自分の目の前に三つの道があるとして、その三叉路を前にしていったいどの道を選んで行ったらいいのか。AもBもCも同じ価値を持っていたとしたら、例えばAの道を行く人は他のBとCを否定することは出来ない。』(P187)
『(※ 山崎が否定的に「ありがち」だと言うような研究手法について)あんまりそういうことを徹底してやってる人はいないんじゃないかな。』(P191)
『(※ 細かく読み込まなくても、本質はわかると言う口吻の山崎に対し)いずれにしてもラスコーリニコフの理論と、生きていた時代状況をきちんと踏まえた上で批評した人はいないかもしれない。』(P195)
『(※ 理論的なものは、本質的ではないからどうでもいいと言う山崎に対し)理論は理論としてきちんと分からないとだめだけどね。』(P199)
『(※ 山崎の独断的な決めつけに対し)そういう言い方をしちゃうとあまり面白くないんですよ。』(P200)
『(※ 説明は出来ないが、存在論的にわかると主張する山崎に対し)批評家はきちんと言葉で表現できないとだめなんです。』(P200)
『(※ ドストエフスキーに関する他の論者を、読んでもいないのに撫で斬りにする山崎に対し)山崎さんはこれからどういう仕事がしたいと思っているんですか?』(P201~202)
『(※ 殺される側の悲しみに興味はなく、殺す側の悲しみに興味があるという山崎に対し)殺す側の悲しみは、殺される側の悲しみが分かった上でやって十分間に合うんです。』(P203)
『(※ 細かく読み込まなくても、問題提起はわかると言う山崎に対し)細部がきちんと見えてこないと、小説の面白さは見えてこないんじゃないの?』(P216)
『(※ 細かく読み込まなくても、ドストエフスキー作品を正しく理解できると言う山崎に対し)騙されているんですよ。ドストエフスキーくらいの作家になると、読者をたぶらかすことなんか簡単なんです。』(P224)


このように清水は、「自分は表面的な細かい理屈には興味はないが、本質は洞察している」と主張する「ツッパリ盛りの中学生」を宥めるように、粘り強く「常識」を説いて指導するのだが、無論そんな言葉が「自尊心をこじらせた、七十男」をいまさら矯正することはない。まさに「人を見て法を説け」である。
いや、2本目の対談で最後の方で、山崎は一度だけ、

『そうですね。僕も、知ったかぶりはやめて、もっと真剣にまた読み返そうと思っています。』(P228)

と答えてはいる。
しかし、「影響を受けた作家」として片手の数に含まれるドストエフスキーについてさえ、これまで『知ったかぶり』でしかなかったのだから、いまさら山崎行太郎から『知ったかぶり』を奪ったら、はたして何が残るのか?

答は、安倍晋三や麻生太郎や櫻井よしこといった「ネトウヨ系有名人」を批判するくらいの、批評的には「簡単な仕事」だけなのである。

そもそも「存在論」的思考に価値があるのは、その存在に語るべき「中身」のあることが大前提で、桜井誠や山崎行太郎のような「不遇意識をこじらせただけの無内容な人」の「存在」など、語るに値するものではないのである。つまり「形式ではなく、中身を充実させてから語れ」ということなのだ。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2QP885L0JXTEI

 

なぜ「常識人」は啓蒙を軽視するか 一一 松尾貴史『なぜ宇宙人は地球に来ない? 笑う超常現象入門』

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年10月15日(月)03時57分58秒
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  なぜ「常識人」は啓蒙を軽視するか
  一一 松尾貴史『なぜ宇宙人は地球に来ない? 笑う超常現象入門』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2SJ5AUZB4XXTS?


本書の感想として『ただ常識的なことを書いた本。』という否定的評価をなさっているAmazonレビュアーがいらっしゃる。
そういう評価は、半分正しいけれど、半分は間違いだ。

著者がわざわざこのような「(科学的に)常識的な考え方」を示した本を書いたのは、こうした考えは、必ずしも「常識的」ではないからで、そこを読み取らないことには、本書を理解したことにはならないからだ。

例えて言えば、本書を理解できない人というのは「私は絶対にオレオレ詐欺になんか引っかからないと自慢げに語る高齢者」のようなもので、要は「自分を過信している(信じたいものを盲信しているだけの)粗忽者」だということになるからである。

本書は、扱っているのが、UFOやらお化けやらオカルトやらといった、わかりやすい「B級」カルチャーが中心なので、そこでまず軽視されがちだし、著者もそれらB級カルチャーへの愛情から、ユーモアを交えながらも、あえて警鐘を鳴らしているので、決して一般読書家がタイトルを見て感心してくれるような本の作りにはなっていない。
しかし、本書は間違いなく、現代にもまだまだ必要な、真っ当な啓蒙書である。

「俺はそんな幼稚なもの、興味ないよ」なんて思ってる貴方。
そういう貴方が、いちばん危ないんですよ。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2SJ5AUZB4XXTS?

 

親子を引き裂いた「神の真理」という美しき妄想 一一 D・I・カーツァー『エドガルド・モルターラ誘拐事件』

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年10月15日(月)03時55分39秒
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  親子を引き裂いた「神の真理」という美しき妄想
  一一 デヴィッド・I・カーツァー『エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1N6QSUT0WXPBW


識者と呼ばれる人の中にも「プロテスタントは理論先行で融通が利かない(そのために際限なく分裂する)が、その点カトリックにはいろんな人を受け入れる寛容がある」というような半可通を語る人が少なくない。

しかし、カトリックは「寛容」なのではなく「ご都合主義のダブルスタンダード」なのだ。
つまり、カトリック教会の権威を認めるかぎりは、いくらでも融通を利かせてみせるが、それに反する態度を見せる者に対しては、いきなり「原理主義」的な態度になる。

前者の好例が、俗信の追認でしかない聖母マリア信仰や聖人信仰であろう。
逆に、カトリックが本来持っている権威主義的な頑なさを示す後者の好例が、この「エドガルド・モルターラ誘拐事件」だ。

本書にも描かれているとおり、社会の近代化に伴い、カトリック教会も否応なく(ある程度は)「寛容」とならざるを得なかったし、もちろんカトリックの司祭にもいろんな人がおり、現法王(ローマ教皇)フランシスコのようにリベラルで、民衆の側、平信徒の側に立つ人も稀にはいただろう。
だが、教会そのものの本質は、本書の主要登場人物の一人である、ローマ教皇ピウス9世のように、基本的に「自分たちの権威=神の権威」というものだったのであり、そこに、人間の平等や弱者の権利などは無い。
全ての人は、神の国への鍵を委ねられた公同の教会の教導に従うが良い。一一 これが基本中の基本、原理中の原理である。

だから、彼らの権威や強権を制限するように見える存在は、たとえフランシスコ法王であろうと、神に抗する存在として(隠微に)敵視されてしまうことになる。
フランシスコ法王治世だからこそ進展中の、「司祭による児童への性的虐待」の告発さえ、さも現法王の管理責任であるかのように言い募って脚を引っ張る、現実を見ようとはしない「保守派」が存在する。
こうした「カトリック保守派」の眼には、性的虐待を受けた子供たちは、教会政治的な利用価値こそあれ、「救うべき弱者」とは映っていないのである。

「エドガルド・モルターラ誘拐事件」もまた「児童への性的虐待事件」と、本質は同じである。

こうした教会に不都合な問題を扱う場合、まず優先されるのは「教会の権威=教会の正義」である。それを押し通すためならば、子供たちの親を恋い慕う気持ちも踏みにじられ、手間暇かけた虚偽と隔離洗脳で正当化を図って、なんら恥じるところがない。

神の意志を体現し、それを実現するための彼らの行動は、よく知られるとおり「宗教殺人としての異端審問」すら教会法に基づく「正義」とされてしまう。
そんな「狂気」の事実が、本書に余すところなく描かれている。

宗教が政治権力を握り、しかもその権力が揺らぎ出した時に、彼らがどのようなことを始めたのか、私たちはしっかりと知っておく必要がある。
先述した「カトリック保守派」の事実にも明らかなとおり、こうした「妄想」は、過去の話ではなく、今もこの日本においても、生きてある現実だからだ。

仮に今、カトリック教会に絶大な統治権力を与えられたならば、彼らはその信仰の正義において、今でも誇りを持って、異端審問所を再開して見せるだろう。
時代を渡り行く「旅する教会」には、そうした危険性が密かに生き続けているのである。

信仰のグロテスクさは、何より、成人したエドガルド・モルターラの姿に象徴的である。

そして全ての人は、エドガルドのこの「変容」に直面すべきだ。
善かれ悪しかれ、これが「信仰」の力なのである。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1N6QSUT0WXPBW

 

暗い時代だからこそ

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 9月24日(月)23時34分43秒
  みなさま、西日本豪雨の際に、二階の天井が雨漏りをし、その直後、修理しなくてはなあ思い、屋根屋に見積もりを取らせました。「築30年の木造二階建てだが、私が死ぬまで屋根を保たせるなら、どのような工事になるだろうだろうか」と相談したところ、あと20年30年保たせようと思えば、屋根を吹き替えて土台からやらないといけないとのことで、費用を聞くと、足場代だけで50万かかり、瓦も軽いものに変えると、総額200万円かかると言われました。
工期も1週間くらいはかかるとのことで、職人さん2、3人が1週間来るのなら、そのくらいはかかるかなと思いながらも、やはり急に200万と言われても、じゃあやりましょうとはならず、しばらくは好天が続いたため、どうしようかと思いながら、しばらく放ったらかしにしておりました。

すると、今度は地震があり、さらに屋根が傷んだのではないかと心配していたところ、友人が他の業者にも見積もりを取らせて比較したほうが良いというので、他の業者に見積もりを取らせることにしました。
ところが、次の屋根屋が来てみると、二階の屋根に普通の梯子では登れないことが判明。うちの家は一階の屋根から二階の屋根に登れるような構造になっておらず、簡単に言うと、二階建ての直方体の上に瓦葺きの三角屋根が乗っているかたちであるため、普通の梯子では屋根には登れなかったのでございます。
そこで、後日三段式の梯子を持参するということになったのでございますが、そうするうち今度は台風が関西を直撃して大きな被害を出しました。
幸い我が家は目に見える被害がなかったのですが、屋根屋からの連絡がなく、たぶん相当忙しいのだろうと推測し、しかし、そうだからこそ急かしたほうが良いと再連絡をしてみると、予想どおりの状況でしたが、連絡が遅れて申し訳ないと謝罪をうけ、近々に来てもらうことになりました。

そして、再びやってきた屋根屋は、今度は屋根に登ることもなく「ひとまず雨漏りの原因になっている部分と、他にいたんでいる部分があればそこを修繕するということで、18万円でどうでしょうか」と言ってきました。私が「屋根に登らなくてもいいのですか?」と訊ねると「下から見てもおおよそはわかりますし、これ以上いただくことはありません」という返事でした。
私は、屋根屋の仕事がにかわに忙しくなったものだから、屋根の葺き替えといった大きな仕事は受けられないので、ひとまず問題の部分だけをなおすという方針にしたのだなと推察できましたし、現状ではそれは当然だろうと理解もしました。ですから、今回は本格的な葺き替え考えず、いたんだ部分を修理するしかなく、18万円なら出せない額ではないので、それで手を打つことにしました。
実際、どれだけ屋根が傷んでいるのか正確なところは、屋根屋も分からないでしょうが、一見したところわかるような大きな破損がなかったので、屋根屋としては、それで損をすることはないとそろばんを弾いたのでございしょう。

詳しい説明は省くとして、結局は屋根屋の踏んだとおり、18万円もかかるような工事ではなかったのですが、大きな被害を出した、地震と台風に見舞われながら、直接的な被害がなかったのは、大変ついていたと申せますし、まあ、この時期に雨漏りの問題をさっさと片づけられたのは良かったと、私自身はそう考えております。


Coelian Pantherさま

こんばんは^^;

お書き込み、ありがとうございます。

> あちゃぁ・・・遂に、mixiのアカウント、凍結されてしまいましたか^^;

まあ、二度目ですし、いずれこうなることは想定の範囲内でしたから、前回ほど悔しくもなく、運営にしつこく噛みついたりもしませんでした(笑)。

> それにしても所詮は出来レースとは言え、やはり安倍が三選しましたねぇ・・・
> 馬鹿なコメントは、サイトに近づかなければ読まずに済みますが、テレビではあの安倍の『ヨーダ面』をあと3年も見続けなければならないのかと思うと、もう怒りしか無いですね!

私の場合、怒りと言うよりも、うんざりといった感じでございます。
そしてそれは、安倍晋三個人に対するよりも、安倍を支持する人々に対し、そう感じるところが大きゅうございますね。

> そもそも何故、総理大臣の任期が何故『連続3期9年』も可能になったのか、3期目当選も見越して決めたのだとしたら、そのうち金正恩の様に「永年制も可能」とか言い出しそうですね^^;
> それでいて、野党に政権を奪取されたら、「3期は長い、改正すべき!」とか言い出しそうな・・・

安倍晋三なら、それくらいのことは言うでしょう。

> とにかくもう、あの不愉快な面は、一日でも早く、メディアから消えて欲しいです><

まったくでございます。
ただ、私は、安倍政権による、このどうしようもない時代の日本を経験できたことは、必ずしも悪いことではないと思っております。

と申しますのも、私は若い頃から、反体制的な性格ですので、独裁権力下や戦時中などの自由が制限された時代に、それでもそれに抗った勇敢な人たちの歴史に接して、憧れの念をもっていました。
しかし、私の世代は、先の大戦も戦後の焼け跡も経験せず、高度成長期の日本に生まれて、言わば日本がもっとも豊かで幸福な時代に生きてきたと申せましょう。バブル崩壊後、日本の経済は長期低落期に入ったとは言え、私個人はお金に困ったことはなく、これまで何不自由なく幸せに恵まれた(中流)生活を送ってきましたから、かえって「自分が、先人が経験したような不幸な時代に生まれていたら、はたして時代の風潮に流されたり、権力に迎合して保身をはかったりはしなかっただろうか?」という疑問とも後ろめたさともつかぬ感情が、心の片隅にいつもありました。
ですので、先人が経験したほど厳しい状況ではないにしろ、安倍政権による日本のこの不幸な時代は、私自身の真価を試すのに好都合だと感じられもするのでございます。「俺は、平和で恵まれた時代に威勢の良いことを言ってるだけで、いざとなったら権力に迎合するような、そんな人間ではないぞ」ということを、何よりも自分自身に示す、良い機会が与えられたと感じているのでございますね。
もちろん、大きいことは出来ませんが、この暗い時代の日本を、時代に迎合することなく、理想を棄てずに生きてみせようと、そのように考えているのでございます。

人間、最後は、金や地位や名声といったものは意味を失って、自分に誇りを持てる生き方が出来たか、という一点に「生きた価値」を見出せるのではないかと思うのでございます。ですから、幸福な時代だけではなく、こんな時代の経験できたことも、あながち悪くはないと思っているのでございます。



それでは、みなさま、お休みなさいまし。

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こんばんは^^;

 投稿者:Coelian Panther  投稿日:2018年 9月24日(月)21時18分29秒
  あちゃぁ・・・遂に、mixiのアカウント、凍結されてしまいましたか^^;
自分もネトウヨ連中の馬鹿な戯言を読んでると、突っ込んでは居られない性分だったので、よく解ります^^;
ブラウザのトップを『Yahoo!』から『Google』に替えてから、『Yahoo!ニュース』も読まなくなり、アホなコメントも見なくなったので、最近ではもうすっかり落ち着いています^^;

それにしても所詮は出来レースとは言え、やはり安倍が三選しましたねぇ・・・
馬鹿なコメントは、サイトに近づかなければ読まずに済みますが、テレビではあの安倍の『ヨーダ面』をあと3年も見続けなければならないのかと思うと、もう怒りしか無いですね!
そもそも何故、総理大臣の任期が何故『連続3期9年』も可能になったのか、3期目当選も見越して決めたのだとしたら、そのうち金正恩の様に「永年制も可能」とか言い出しそうですね^^;
それでいて、野党に政権を奪取されたら、「3期は長い、改正すべき!」とか言い出しそうな・・・
とにかくもう、あの不愉快な面は、一日でも早く、メディアから消えて欲しいです><
 

日本の暗い時代・第三期

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 9月21日(金)19時50分41秒
  みなさま、mixiを離れてちょうど1ヶ月になり、当然のことながら、やらないならやらないで、それなりに忙しく生活しております。

さて、昨日は自民党総裁選があり、圧倒的な優勢が伝えられていた安倍晋三が、大方の予想どおり三選を果たしましたね。mixiでは、ネトウヨたちが、さぞやわざとらしく勝ち誇っていることでございましょう。
とは言え、石破茂も地方党員票では大健闘をしました。安倍一強による独裁体制に不満をもっている地方議員の少なくないのが浮き彫りになったかたちでございます。

もっとも、安倍があと三年も総理を勤める日本は、この先どうなっていくのでございましょう。
私が予想しますのは、
 (1)さらに経済二極分化が進む
 (2)各種セーフティーネットが切り崩されていく
 (3)自衛隊の軍隊化・米軍の先兵化が進む
 (4)アメリカの属国化が鮮明化する
 (5)知識人、言論人の権力迎合が進む
といったところでしょうか?
つまり、一般国民にとっての日本は、さらに暗い時代へと進んでいくということでございますが、そこで問われるのは、一人ひとりの信念や美意識でございましょう。
ハンナ・アレントが描いた『暗い時代の人々』のように、私たちは、そんな時代を美しく生きることが出来るでございましょうか?

『レッシング、ローザ・ルクセンブルク、ヤスパース、ヘルマン・ブロッホ、ベンヤミン、ブレヒト…自由が著しく損なわれた時代、荒廃する世界に抗い、自らの意志で行動し生きた10人。彼らの人間性と知的格闘に対して深い共感と敬意を込め、政治・芸術・哲学への鋭い示唆を含み描かれる普遍的人間論。』(『暗い時代の人々』内容紹介)



オロカメンさま


感想《花沢健吾の漫画『ルサンチマン』》

お書き込み、ありがとうございます。

> 横浜のほうはこの頃、かなり気温も落ち着いてきましたので、最近はまたジョギングを始めていたりします(今年の夏は暑すぎて、ぜんぜん運動ができなかったんですよねー (^_^;) )。

お変わりないようで何よりでございます。
私も、医者から運動をするように言われておりますので、寒くなれば、いよいよ運動を始めなくてはと思っております。 (^_^;)

> こうやって少し涼しくなってくると俄然、読書が進むようになってきてゴキゲンですね♪
> ぼくのほうは例のごとく『資本論』の三巻を読み進めていますよ。

それは結構でございます。
私もそろそろ、住井すゑ『橋のない川』を読まなくてはと、手近に出してまいりました。
これを読まないことには、その次の長編へ進む気にもなりませんしね。
いま念頭にあるのは、小説ではございませんが、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』でございます。


> 花沢健吾さんの漫画『ルサンチマン』読みました!
>
> 本作は『アイ・アム・ア・ヒーロー』で有名な花沢健吾さんの初連載のときの作品です。今回は新装版の上下巻で読みました。
>
>  ちなみに一昨年の2016年はVR(ヴァーチャル・リアリティ)元年だったそうで、「PlayStationVR」をはじめVRゲームやを使った様々な商品が出て来たと言われています。本作はVRのゲームを扱った漫画なのですが、VR元年から12年も前の2004年に連載されていた作品です。

私もVRには興味がございますので、ちょうど先月の末に、刊行されたばかりの、ジェレミー・ベイレンソン『VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学』というのを読みました。

この本で、興味深かったのは、VRは脳を錯覚させる力が極めて強く、脳に与える影響がきわめて大きいという研究結果でございます。
具体例として紹介されいるのは、アメリカンフットボールのクォーターバックの訓練方法の変化とその効率性向上の現実でございます。
知ってのとおり、アメリカンフットボールというのは極めて知的なスポーツで、作戦行動が重きを為す競技でございます。ですから、司令塔となるクォーターバックは、もちろん身体も鍛えはしますが、より重要で大変なのが、敵チームの個性にあわせて展開される複雑な作戦行動のシュミレーション訓練なのでございます。
こうした訓練は、最初はノートに書いてやっていたものがビデオを利用するものに変わり、そして近年はVRが取り入れられはじめているのですが、二次元のビデオでのシュミレーション訓練と、VRを使った訓練では習熟度が全然ちがうというのでございます。
これは、画面に枠があり、しかも視線の移動に映像が対応しないビデオ画像とは違い、VR映像では脳が現実と勘違いする度合いが極めて高いため、現実経験にちかい習熟も可能になっているというのでございます。

しかし、ここで問題になるのは、エロVRよりも、兵士の訓練用VRだとか『バイオ・ハザード』のような殺戮ゲームのVR化でございます。
アメフトの例からもわかるとおり、兵士訓練用のVRは、確実に有効でございます。ならば、『バイオ・ハザード』のような殺戮ゲームのVR化が、人間にもたらす影響も、とうぜん馬鹿には出来ません。

これまでは「エロマンガを読んで、性犯罪を犯す」とか「殺戮ゲームの影響を受けて、銃乱射事件を起こす」といった、よくある危惧は、現実にはその因果関係を立証できるような有意な数字はなく、その点でエロマンガも殺戮ゲームも、あくまでも娯楽として容認されました。
しかし、VRの場合、はたして同じような理屈が通るのかどうか。
これは実証実験がなされるべき、リアルな問題となりつつあるのでございます。

そんなわけで、オススメの『ルサンチマン』も近々読んでみたいと存じます。
オロカメンさまのご感想については、そのあとでということで。

> ※余談ですが、VRゲームと言うとやっぱり岡嶋二人『クラインの壺』を思い浮かべちゃいますね。

私の場合は、前にもお伝えしたかも知れませんが、第14回(1993年)日本SF大賞受賞作、柾悟郎『ヴィーナス・シティ』でございますね。未読なら、ぜひお読みください。

あと、VRものではありませんが、近い作品として、桂正和のコミック『電影少女』
これは、ビデオの中の美少女が実体化するお話でございますが、実体化するとビデオの中のキャラクターそのままではなく、人間的な個性と意志を発揮しだします。そのうえ、このビデオガールの名前が「あい」。もっとも、人工知能ではないので、これは偶然でございましょう。



それでは、みなさま、お休みなさいまし。

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感想《花沢健吾の漫画『ルサンチマン』》

 投稿者:オロカメン  投稿日:2018年 9月21日(金)14時05分32秒
   アレクセイさん、こんにちは!
 オロカメンでございます。

 お元気ですか?
 横浜のほうはこの頃、かなり気温も落ち着いてきましたので、最近はまたジョギングを始めていたりします(今年の夏は暑すぎて、ぜんぜん運動ができなかったんですよねー (^_^;) )。

 こうやって少し涼しくなってくると俄然、読書が進むようになってきてゴキゲンですね♪
 ぼくのほうは例のごとく『資本論』の三巻を読み進めていますよ。

 さて、本日は僭越ながらオススメの漫画……というか、わりとぼく好みの漫画を発見しましたので、そちらをご紹介させていただきたいと思います。

 例によってまたMIXIで呟いた内容をまとめたものになります。ご笑覧いただけますと幸いですm(_ _)m

――――――――――――――――――――――――――――――

 花沢健吾さんの漫画『ルサンチマン』読みました!

 本作は『アイ・アム・ア・ヒーロー』で有名な花沢健吾さんの初連載のときの作品です。今回は新装版の上下巻で読みました。

 ちなみに一昨年の2016年はVR(ヴァーチャル・リアリティ)元年だったそうで、「PlayStationVR」をはじめVRゲームやVRを使った様々な商品が出て来たと言われています。本作はVRのゲームを扱った漫画なのですが、VR元年から12年も前の2004年に連載されていた作品です。


《あらすじ》
 本作の舞台はVR(仮想現実)の技術が進化した近未来。
 主人公は、禿げて太っていておまけにブサイクという冴えない30歳独身男性、坂本拓郎。
 彼は印刷工場に10年間勤務していて、楽しみと言えば風俗に行く事くらいなもの。絶望的に女性と縁がなく、夢も希望もなくうっすらと現実に失望感を感じている、そんなある日、友人からVRのゲームをやるように勧められる。


――今のゲームは昔と全然違うんだぜ。
  スゲエAIエンジンが開発されてよ、生きてんだよ本当に。

――(VRゲームの中のAIヒロインたちは)そこらへん歩いている女より
  全然カワイイし、何といっても最大のウリは、
  最初からおれに好意を持ってんだぞ!!
  もう現実の女なんていらねーよ(笑)。

――現実を直視しろ。おれ達にはもう仮想現実しかないんだ。
  《以上、花沢健吾『ルサンチマン』より抜粋》


 主人公の拓郎は醜い容姿と冴えないおのれの現実に嫌気がさし、遂に友人の勧めに従って、貯金をすべて使ってVRの美少女ゲームを購入する。

 彼はVR上の仮装世界で出会った"月子"と名乗るAIの美少女と早速やらしいことをしようとするが、何故か彼女は全力で嫌がり、あまつさえ自分には別に好きな男がいると拓郎を拒絶するのである。

 というのも"月子"は普通の美少女ゲーム用にプログラムされたAIではなく、人間に近い教育を受けた高密度情報体だったのだ。
 そうとは知らず、現実の女の子のようになかなか自分を好きになってくれない美少女ゲームのヒロインに対して、まるで現実の女の子に好きになってもらおうと奮闘する男子と何ら変わりのない努力を重ねる拓郎。

 実は"月子"の開発には大きな秘密があるのだが、そんなことは露知らず、なんと現実の女性といい仲になり始めてしまった拓郎。それがきっかけとなって仮想現実と現実とのはさまで熾烈な戦いがはじまってしまうことになるのだが……。


《感想》
 主人公の坂本拓郎の描写は、見ていて辛くなってくるほど情けないものだ。
 彼は古谷実の『ぼくといっしょ』や『グリーンヒル』で描写されるダメ人間と同じ遺伝子を持っているキャラクターなのだ。

 彼らはどんどん容姿が醜くなっていく自分に対して嫌悪感を抱き、モテず、無能で、他人には馬鹿にされ、生きる喜びさえないこの人生に絶望しているのである。「悲劇」という文学的な言葉さえも似合わないおのれの格好悪さ。ダメ男であるおのれの情けなさから延々と抜け出せない無力さ。
 それが非モテ系の彼らを取り巻いている絶望感なのだ。
 彼らにとってこの世界は決して平等ではないのである。生まれたときからブサイクだった彼らは、生まれながらに容姿がいい男たちにルサンチマンを抱きながらも、それをどうすることもできずに生きていくしかない。
 そういうダメ男である拓郎が逃げ込んだのがVRの世界だった。
 そこでは自分の容姿を好きなように変えられるし、AIの女の子からも無条件に愛される世界なのだ。拓郎は、それが「現実逃避」であることを十分承知したうえで、現実の世界での成功を諦めてVRの世界に没頭しようとする。

 だが、そうやって自分の欲望が簡単に満たされると思っていた拓郎の前に待っていたのは、現実の女の子と何ら変わらない思考と感情とを併せ持つAI"月子"だった。
 拓郎はなんとか"月子"に好きになってもらおうと精一杯の努力をする。

 そして、やっと"月子"が自分に好意を持ちはじめたところで、なんと現実の世界に、拓郎に好意を寄せる女性が出てきてしまう。
 この現実の女性はまるで美少女ゲームのヒロインのように、拓郎が何の努力もしていないのに勝手に好意を寄せてくれる。これは仮想現実のAI"月子"が、努力しないと振り向いてくれない存在である事と対をなすキャラクターとなっているのである。

 果たして拓郎は、おのれの努力で愛を勝ち取った"月子"を取り、現実に生きることをあきらめて仮想現実という偏った楽園に閉じこもるのか、――それとも、VRのヒロインほど完ぺきではない現実の女性を取り、苦しくてシビアな現実を共に生きようと考えるか。

 本作は、ダメ人間が現実と仮想現実との苛烈なせめぎ合いの中で苦悩する物語なのだろう。
 本当に現実に生きる事が幸せなのか? 本当に仮想現実に没頭する事が幸せなのか?
 いったい、幸せはどちらの道にあるのだろうか?

 ぼくから言わせてもらえば、彼らにとっては、どちらにも本当の幸せなどは待っていないのだ。
 どちらにせよ結局は同じ荊の道が待っているのなら、過酷な現実のほうを生きるしかないのである。
 そういう意味でこの物語は、ダメ人間への哀歌なのだと思う。


※余談ですが、VRゲームと言うとやっぱり岡嶋二人『クラインの壺』を思い浮かべちゃいますね。2016年がVR(ヴァーチャル・リアリティ)元年だと言われているそうですから、『クラインの壺』は随分とネタを先取りした作品だったんだなあと改めて驚かされます。『クラインの壺』の出版は1989年で携帯電話さえもない時代でしたから、VRと言われても近未来的なお話しでしたが、実際にVRゴーグルをつけて楽しむゲームが出てくると、何だか現実味を帯びて来たんじゃないの?とか思っちゃいますね(笑)。

 

それは、生き残るための「誤読」 一一 ジェシー・ベリング『ヒトはなぜ神を信じるのか 一一 信仰する本能』

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 9月18日(火)22時08分53秒
  ,



  それは、生き残るための「誤読」
  一一 ジェシー・ベリング『ヒトはなぜ神を信じるのか 一一 信仰する本能』

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R24WQ74CA15T57

『自然淘汰の推進力は、生存と繁殖にあるのであって、真実にあるのではない。ほかのすべての条件が同じなら、動物にとって、誤ったことを信じるよりは真実を信じたほうがよい。正しい知覚のほうが幻覚よりよい。ところが時には、ほかのすべての条件が同じにならないことがある。』(P245)


本書に引用された、心理学者ポール・ブルームの言葉だ。
これを本書の内容に即して言い変えれば「ヒトが、種として生き残るために必要なのは、必ずしも真実ではなく、しばしば幻想のほうである。そして、そうした幻想の最たるものが、神に代表される有意味化幻想だ。ヒトはそのような本能を発展させて今に至っている」ということになる。

ブルームの言葉を捩ってみよう。
「レビューは、言いたいことを言うために書かれるのであって、必ずしも対象を客観的に分析評価するために書かれるわけではない。」

例えば、本書を『冗漫』だと評するレビュアーもいるが、本書は娯楽作品ではないので、リーダビリティーを云々するのは、基本的に筋違いだろう。それでも、そう言いたい気持ちがあったからそう書いたに違いない。
しかし、本書は決して読みづらい本ではない。レビュアーによっては「本書は、体系的な科学書ではなく、エッセイ集だ」と評しているほどで、それほど読みやすい。
もっとも「体系的な科学書」とは、どんな基準でそう呼ぶのかは定かではないし、体系的であれば良いというものでもないのは「体系的な神学書」などを見ても明らかだろう。

古典的な本格ミステリ(例えば、S・S・ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』)を、ミステリ読みでない人が読んだら、きっと『冗漫』に感じられるだろう。なかなか事件がおこらず、事件関係者の動きが延々と描かれたあとに、やっと事件が起こったと思ったら、残るは解決編だ。
本格ミステリを読み慣れていない人は、途中をすっとばして「結論としての犯人」指名のシーンを読み「やっぱり、私が思ってた人物が犯人だった」といって満足したりする。しかし、これは作品を読んだことにはならない。
つまり「結論を知ることと、作品を理解することとは別」なのである。

古典作品を読むのには、それ相応の根気がいるが、ラノベばかり読んでいる若い読者には、純文学の長編はたいがい『冗漫』に感じられるだろう。
文学作品の多くは、多少退屈な部分があっても最後まで読んで、初めて総合的にその深い意味を味わわせるものとして書かれており、読者サービスとして常時小ネタをバラまいて最後まで引っぱるといった態の、娯楽作品とは一線を画する。

以上は、本書の読み方を論じたものではなく、ヒトというものは「正確な理解」よりも「自分に都合のいい読み」を、自分のために正当化したがるように進化してきた動物だ、という本書のテーマを敷衍したものだ。このテーマ(不都合な現実)を、自らにしみ込ませ、刻み込むには、本書の記述は決して無駄に長いとは言えまい。
 

ねじれた二項対立 一一 森本あんり『異端の時代 正統のかたちを求めて』

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 9月15日(土)10時17分53秒
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   ねじれた二項対立
    一一 森本あんり『異端の時代  正統のかたちを求めて』

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RF0NK16AOXI2U


本書を通読して気づくのは、そのいかにも執筆の苦労が偲ばれる、まとまり(一貫性)の無さである。

現在の日本を代表するプロテスタント学者の著作に対して、素人がこのように断ずるのは申し訳ないが、無理にわかったつもりになれる人以外、多くは私と同じように感じた人はずだ。
そして、このように感じられるのも、当然故なきことではない。

端的に言えば、著者は、プロテスタントでありながら『プロテスタント病』という否定的な表現をわざわざ使って見せるほど、プロテスタントとしては保守的な立場にありながら、それでいて、政治的にはリベラルな立場にある、という実質的「二律背反」状態にあるからだ。

そのために前半では、異端を「理想主義的で完璧主義の堅物エリート」といった感じで、皮肉交じりに誉め殺しにする一方、正統については「正典にも教義にも人(聖職者)にも根拠規定されない『聖濁併せ呑む(自堕落な庶民にも寛容な)』存在論的(先験的)正統」だと、対比的なかたちで擁護する。

何故こんなに屈折した、わかりにくい規定になるのかと言えば、著者は、プロテスタントとは言えキリスト教徒である以上、宗教改革以前の異端を肯定することは出来ない一方で、カトリックの客観的教会をそのまま肯定するわけにもいかないからなのだ。
そのため「正統」を、中味を明示的に規定できない「抽象的なもの」としか語り得ないのである。

著者は「正統」に対する一般的な悪イメージ(正統教会は、権威主義的かつ暴力的に、異端を排除撲滅した、という一般的理解)を『陰謀論』だと権威主義的に否定して見せるが、これははっきりと「護教的な嘘」である。

著者は、あたかも異端が自滅し、自然消滅したかのように言うが、正統教会が異端を虐殺した歴史的事実(アルビジョワ十字軍、異端審問など)について、一言も具体的に触れないのが、意識的な「嘘」である何より証拠だ。

たしかに著者の言うとおりで、正統教会が生き残ったのは、半ば幸運(神の意志?)であり、異端を排除し叩き潰してきたからだけではない。
それだけで生き残れるほど、歴史は見えやすいものではないのだけれど、だからと言って、それが直ちに、異端への排除や虐殺や『陰謀』が無かったことにはならない。
正統教会は、ただ平穏に祈っていただけで生き残ったわけではなく「聖濁併せ呑み」大嘘もつきながら、何とか生き残った結果、「勝てば官軍」「死人に口なし」ということで、「正統」の地位を得たのである。
つまり、歴史は生き残った者によって総括されたのだ。

さて、このように、本書の大半を、異端批判、プロテスタント的な正統擁護に筆を費やしながら、まとめとしての「現代の政治情勢」の話になると、著者の批判は「異端よりも酷い、ポピュリズム」へと向かい、(名指しこそ避けながら)現在の自民党・安倍政権が体現するポピュリズム政治批判へと移行する。

そして、その批判は、安倍晋三的な、あるいはネトウヨ的な「自称保守」に対する、正統・保守主義者に典型的な「嫌悪」を露わにする。

実際、本書の中では、エドマンド・バーグ以来の保守主義者の定番である「フランス革命批判」も出てくれば、ポピュリズムではない本物の民主主義としての「議会制の尊重」という定番も登場する。
また、保守主義の敵であるリベラルの祖たる、エマソン、ソローといった人たちへ向けられた悪意も、(異端に対する以上に)とてもわかりやすい表現で語られている。

つまり、著者は軽薄なリベラルが大嫌いな正統保守主義者であり、その立場からすれば、安倍政権はエセ保守主義でしかない、ということなのだ。

だからこそ、連載時(タイトル「権威の蝕 ?? 正統の復権は可能か」)には無かった最終章(現在の日本の政治情勢について、他で書いたものを組み込んだ)は、いきなりおかしな具合に「本物の異端たれ、そして正統となれ」というような、妙にドラマチックな、あるいはロマン主義的な、それまでの「異端批判・正統擁護」とは、素直に繋がらない、無理なまとめとなってしまっているのである。

私は、現在の日本の政治情勢に関しては、著者とほぼ同じ立場である。
それは、反安倍、反ポピュリズムであるばかりではなく「リベラル保守」という立場においてもだ。

しかし、キリスト教の歴史に関するかぎり、著者の非現実的な、多分にレトリカルな「正統擁護(としての陰謀論批判)」はとうてい是認できない。端的に言えば、その「護教的虚偽」は容認できない。
著者は「正統とは、すべての後付けの根拠に先んじて、存在論的な正統であった。正統は作られたものではない」という趣旨のことを言うが、正統教会が「聖濁併せ呑む」ものである以上、そこには「血に塗れた手」もあり、それは「自然」や「神の意志」には、とうてい還元できないものなのである。

このようなわけで、本書における「ねじれ」とは、正統擁護に好都合な「抽象的な大衆」に対しては寛容でいられるのに、自身の思想には合わない、個人主義リベラリストやエセ保守ポピュリストには、寛容のカケラも感じられない「異端審問官」的な顔が覗く点においてなのである。

「寛容」とは「罪を憎んで、人を憎まず」ということなのだが、私には、著者がこの難問への直面を避けているようにしか見えないのである。
 

アカウントを止めるな!(止めてもいいけど)

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 8月31日(金)23時18分21秒
  みなさま、ご報告が遅れましたが、私、また「ネトウヨ苛め」が過ぎまして、今月21日に、mixiのアカウントを止められてしまいました。

前にmixiのアカウントを凍結された際やtwitterを止めた際にも「ネトウヨとのケンカに時間を割くのは時間の無駄なので、むしろ良かった」という趣旨のことを書いておりますし、十数年ぶりの今回のmixiも、いつまでやるかわわからないし、mixiにこだわることはしないでおこうというのは、当初から考えておりました。
しかし、目の前に、身の程知らずの馬鹿がしゃしゃり出てくると、それを放っておくことの出来る私ではございませんので、前回ほどではないにしても、結局はネトウヨ苛めが日課になってしまいました。
mixiを継続するつもりがあるなら、多少は自制もしたのでございますが、その気が無いものですから、私に晒しものにされたネトウヨが運営に泣きついた結果、運営から届いた警告メールを無視してガンガンやったために、アカウントを止められたという次第でございます。
おかげで、以降スマホを弄っている時間が激減して、今月は20册を越える本を読むことが出来ました(笑)。

それでも、そのご報告が十日も遅れたのは、ひとえに私の怠惰の故でございます。
本日もmixiでお世話になったオロカメンさんがお書き込みを下さったので、やっと重い腰を上げたという次第でございます。



オロカメンさま


映画の感想

お書き込み、ありがとうございます。
こちらこそ、ご無沙汰しております。

> ケン・ローチ監督の映画『ルート・アイリッシュ』

ご感想拝読しました。
たしかにラストは知らないで観た方がよい作品ではありますが、どちらにしろ私は、この作品も監督もまったく知りませんでしたから、興味を持てただけでも儲け物であったと存じます。

この映画、イラク戦争の汚い裏面を描いておりますが、しかしラストが無ければ、ただのアクション映画と大差が無いとも言えますから、ラストの紹介なしではなかなかその面白さを伝えられないという、宣伝しにくい作品ではありますね(笑)。
でも、私は、この監督の意地の悪いやり方は、とても好みですので、機会があれば、ぜひ拝見と存じます。


さて、その後に私の観た映画でオススメの作品は、ちまたでも話題の作品、上田慎一郎監督の『カメラをとめるな!』でございます。

この作品、「ネタバレ厳禁」と言われておりますし、タイトルがタイトルですから、オロカメンさんなら、どういうネタを扱った作品かは、だいたい当たりをつけておられるのではないでしょうか?
「あれかな?」とお思いになったら、たぶんそれで正解でございます。

しかし、この映画の良いところは、それがすべてではない(面白さの一部でしかない)という点でございまして、その枠を使いながら、とてもよく出来た(作り込まれた無駄のない)ドタバタコメディーになっている点が、たいへん素晴らしいのでございます。
ですから、ネタが割れるのは、ラストではなく中盤。むしろそこからが面白いので、ぜひネタの推測は出来ても、それにこだわらず、ぜひご覧になっていただきたいと存じます。

ちなみに、この映画は、もともと舞台として上演された作品の映画化として企画されながら、それがいったん頓挫した後、監督が同じネタで新たにシナリオを書き起こして、オリジナル映画として発表したものでございます。ですから、エンドロールには、元ネタとなった舞台作品へのスペシャルサンクスも掲げられておりましたが、「原作」という扱いではございませんでした。
そのために、この映画が思わぬ大ヒットをしたところ、元の舞台の作者から「原作表記が無い」「何の相談も無かった」「原作としないのなら盗作ではないか」とクレームがついて大騒ぎになったのです。
しかしながら、こうした作品における「アイデア=ネタ」自体は、法律では保護されないそうでございます。つまり、筋や台詞や画面・シーンなどを比較して、どの程度、具体的に似た部分があるかで、「盗作」か否かを判断するのでございます。
ですから、舞台の作者はメインのネタや構成がパクられたという点に立腹しているようでございますが、それだけでは盗作にはならない。法廷闘争となれば、舞台と映画を具体的に比較して、どれくらい(見た目に)似たシーンがや台詞があるかという問題になりますので、登場人物の台詞や何かがほとんど書き換えられておれば、(同じアイデアを使った)別作品ということになるようでございますね。

まあ、この「アイデアそっくり」問題は、世間の人には少々わかりにくいところかも知れませんが、私やオロカメンさまのような人間ならば「その舞台のアイデア自体が、そもそも山ほど前例のあるものなんだから、それを盗作とは言えないよ」ということになるのではないかと存じます。

ともあれ、ここまで書いても、かならず楽しめる作品ですので、是非ご覧下さいまし。
またのお出でを、心よりお待ちしております。




それでは、みなさま、お休みなさいまし。

http://www80.tcup.com/8010/aleksey.html

 

映画の感想

 投稿者:オロカメン  投稿日:2018年 8月31日(金)19時34分51秒
   アレクセイさん、こんにちは!
 MIXIで仲良くさせていただいておりました、オロカメンでございます。

 すんません、ごぶさたしちゃってます……またアレクセイさんとお話ししたくて、僭越ながら書き込みさせていただきます☆

 初回なので、どんなテーマを書き込んだらいいものかと悩んでいたのですが、そんな折にけっこう面白い映画を見ましたので、今回はその映画の感想について投稿させていただこうと思います!!

 例によってMIXIで呟いた内容をまとめたものです。

 ※ちなみにアレクセイさんがご覧になったことがない映画かもしれませんが、ネタバレ感想も含んでいます……というのがちょっと不親切だったかもしれませんけど(;´Д`)。

――――――――――――――――――――――――――――――
 ケン・ローチ監督の映画『ルート・アイリッシュ』見ました!
 以下、この映画を見た感想になります♪

《あらすじ》
 主人公ファーガスは民間軍事会社に雇われた民間兵としてイラク戦争に参加し、戦争の酷さに嫌気がさしてイギリスに帰国していた。彼は兄弟同然に育った友人のフランキーの葬儀に出席する。フランキーはファーガスと共に参加したイラク戦争で戦死していた。
 ファーガスは友人を同じ民間兵としてイラクに誘ったことに責任を感じる。葬儀の場でファーガスは知人の女性からフランキーが遺した携帯電話を受け取る。そこにはフランキーと同じ部隊の兵士が民間人を殺害した画像残っていて……。というお話。さすが社会派ケン・ローチだけある重い重いテーマの映画だ。

《感想》
 物語はフランキーの死の謎を主人公が追っていく推理小説的なストーリー展開で進んでいき、調査が進んでいくごとにイラク戦争における民間軍事会社の非情な姿が浮き彫りになってくる社会派ミステリ的な構造になっている。だが、ラストの辺りはミステリ的な枠をはみ出して、主人公が破滅していくこととなる。
 米軍がイラクで民間人を無慈悲に殺害していたことが元CIAのスノーデンによって暴露されたのは有名な話だが、民間軍事会社という形でイラクに介入していたイギリスの民兵の実態も同じようなものだったことが本作で暴露される。
 イラクに派遣された民間兵は「イラク戦争に不可欠な存在である」として、いかなる犯罪を行っても一切不問に付される「オーダー17」という法令で守られている。そのような法令があるから兵士による過剰防衛がエスカレートしたり、戦友を失った腹いせに民間人を殺戮するという横暴がまかり通っていたのだ。
 ぼくの印象では、ケン・ローチは驚きの展開やどんでん返しやサプライズエンディングなどの意表を突かれるような物語は書かない人だと思う。テーマに対していつも、真正面から地味な正攻法で物語を作っていく。だから本作は、ミステリとして見てしまうと少々平凡すぎると感じてしまうかもしれない。
 だが、ケン・ローチが描きたいのはいつも、社会問題的なテーマと、その問題に対面して苦悩しながらも生きていくしかない人間たちのドラマなのではないかと思う。



◆◆◆《以下ネタバレ感想》◆◆◆
 主人公ファーガスが最後にたどり着いたのは、多くのテロリストを悩ませてきた難問だ。「善なる目的は、悪なる手段を浄化するか?」である。親友を殺した容疑者ネルソンを拷問して罪状を自白させた上で殺し、復讐を遂げたと思ったファーガスは、帰国したかつての部下ジェイミーからネルソンが無実だと知らされる。
 ネルソンは無実の民間人を殺したが、ネルソンを殺したファーガスも同様に、ネルソンという無実の民間人を殺した卑劣な男に他ならない。その事実をファーガスはおのれの喉元に突き付けられたのだ。その後、真犯人が分かってももう遅い。改めて真犯人に天誅を下しても、ファーガスが卑劣な殺人鬼であることに変わりはない。
 これは本作を見ている観客も他人事ではないと思うべきだろう。民間人を殺害して反省することなく、それを録画した携帯電話という証拠を隠滅するために実力行使する卑劣な悪人・ネルソンを、親友の仇討ちとして殺害し復讐を遂げたファーガスに感情移入して共感し、胸のすくような思いをした観客はいなかっただろうか?
 ネルソンに対して復讐を遂げたファーガスに喝さいを送った観客に向けて、この映画は「ネルソンは無実だった」という真相を出す事で、「テロリストのアポリア(難問)」をその喉元に突き付けているのである。「貴方もファーガスもネルソンも民間軍事会社もみんな同じ、人殺しを正当化する卑劣な人間なのだ」と。
 

ネトウヨの度しがたい「頭の悪さ」

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 6月28日(木)20時51分44秒
  みなさま、私の今月最大の事件と言えば、もちろんワールドカップサッカーではなく、今月18日早朝に発生した「大阪北部地震」でございます。

幸わい我が家は揺られただけで、家屋への被害などはまったくございませんでした。ただし、あらかじめの想定の範囲内とは言え、平積みにしていた本の「山脈」が崩れて、二階の二部屋は足の踏み場もない惨状となり、仮復旧にのべ20時間ちかくを要しました。

本の量が多かったために直接床面にまで落下した本も少なく、そのせいで本の破損はほとんどございませんでした。ただ、積み直しによってひととおりの片づけ済ませた後に気づいたのは、近々読む予定だった本が何冊か行方不明となっていたことでございます。特に痛かったのは、読んでいる最中の本の下巻が見つからなくなったことでございます。3500円ほどする本ですので、買いなおす気にもならず、やむなく再会待ち。さて、いつのことになりますことやら…。



Coelian Pantherさま


警部補・警備員射殺事件について
追加投稿

お書き込み、ありがとうございます。

> 大阪の方の地震、無事だったでしょうか?
> ライフラインとかかなりストップしている様ですので、心配です・・・

ありがとうございます。
幸い我が家には、被害らしい被害はございませんでした。
もっとも、前回の阪神淡路大震災の教訓として、寝室に本を置いていなかったのが良かった。
本棚は無論、平積みの本の山があったら、私は確実に圧死していたことでございましょう。いくら本が好きでも、そんな死に方をしたくはございませんからね。

> 一昨日だかに起きた、『警部補・警備員射殺事件』ですが、ここ数日、Twitterで賑わしてましたね^^;
> んで、案の定書き込みはアレが多いのですが、流れが「警部補・警備員射殺事件発生」⇒確証もないのに「どうせやったのは在日」⇒「犯人は元自衛官と判明」⇒「マスコミの偏向報道止めろ」www

「ネトウヨ」の、度しがたい「ヘイト・ツイート」でございますね。
まあ、いずれにしろ、馬鹿っぽすぎて怒る気にもなりません。
彼らは「鳥頭=思考の連続性欠如」ですから、前言との「論理的一貫性」など、気にもならないのでございましょうね。

> もう「アホ」を通り越して(関西では『アホ』は褒め言葉の様ですので・・・)救い様の無い「バカ」ですなw
> 連中の大好きな『ブーメラン』が、自分に返って来た訳ですが・・・今ではTwitterでも、必死に『火消し』に回っている様です^^;

関西でも『アホ』は決して「褒め言葉」ではございませんが、「馬鹿=頭が悪い」よりは「アホ=愚か者」というニュアンス込められる場合があり、例えば「そこまで人の為に苦労せんでもええのに、あんたはホントにアホな男や」といった感じで「同情的共感」がこもるのでございます。つまり、誉めてはいないが、必ずしも否定しているわけではない、という感じでございますね。

> 自分も元陸自ですが、正直自衛官の方々も、こんなバカ連中に支持されても、辟易としてると思いますよ^^;

まったくです。
日蓮も『愚人に褒められたるは、第一のはぢなり』と申しておりますが、身も蓋もなく申しますと「擦り寄ってくるな、汚らわしい! シッシッ」って、ところでございましょうね(笑)。

> 『警部補・警備員射殺事件』、犯人の自宅から多数のナイフやモデルガンが押収された事で、ワイドショーのコメンテーターが「サバイバルゲームの影響か?」との発言を、していました。
> その事により、Twitterでの流れが「警部補・警備員射殺事件発生」⇒確証もないのに「どうせやったのは在日」⇒「犯人は元自衛官と判明」⇒「マスコミの偏向報道止めろ!」に加え、「確証も無いのにサバゲーの影響とかの報道は止めろ!」が加わった訳ですが・・・
> 確かにこういった方向に持って行くマスコミの報道の仕方も、否定できない訳ではありませんが、少なくとも確証も無いのに「犯人は在日」と言ってたネトウヨ連中に、「確証も無いのにサバゲーのせいにするのは止めろ!」と主張できる資格は無いと思います。

まったくでございます。
しかし、そのダブルスタンダードに気づかないのが、ネトウヨのネトウヨたる「頭の悪さ」だとも申せましょう。
まさに「バカにつける薬はない」。

ちなみに、私が昨日読了した、橘玲『朝日嫌い よりよき世界のためのリベラル進化論』(朝日新書)に、なかなか興味深いことが書かれておりましたので、mixi日記としてアップした書評を、こちらにもアップしておきました。

・ リベラルと保守の「不都合な真実」

拙書評をご参照に上、出来れば同書をお読みいただければ存じます。
決して読んで損をするような本ではございません。




それではみなさま、本日はこれにして失礼いたします。


http://www80.tcup.com/8010/aleksey.html

 

リベラルと保守の「不都合な真実」

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 6月28日(木)20時11分5秒
  下の書評は、本日、mixi日記としてアップしたものでございます。

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  リベラルと保守の「不都合な真実」
  ―― 橘玲『朝日嫌い よりよき世界のためのリベラル進化論』
http://mixi.jp/home.pl?from=g_navi#!/diary/65880466/1967235363

とても興味深い本だ。
リベラルにもリベラル嫌いの保守やネトウヨにも、ぜひ読んでほしい。日本のリベラルの偽善性がこき下ろされ、他方ネトウヨの「不都合な真実」も科学的に語られていて、どちらが読んでも面白い。私は著者の割切り方が好きではないが、否定はできない。

私がこの著者を好まないのは、遺伝形質に関する実験を重視するそのリアリズムで「これが(あなた方が避けて通る、不都合な)真実だ」とやりたがるところ。わかりやすい例で言えば、犯罪者的性格は遺伝するといった実験結果を持ち出したがるところだ。

たしかに犯罪向きの性格は遺伝する。例えば、短気などだ。しかし、この事実の扱いはデリケートでなければならないが、著者の場合、こうした現実から目をそらして綺麗事の建前ばかり語りたがる人たちへの反発が前面に出るため、どうしても表現が刺激的でデリケートさに欠けるところがあるのだ。

このような著者だから、リベラルへの批判も辛辣だ。その趣旨は、日本のリベラルは、今や自由や平等を推し進めるのではなく、権力から高齢者などの既得権益を守る側に立っており、結果として真の弱者たる若者から見放されている、といったところだ。たしかに、痛いところを突いていると思う。

しかし、著者の本領が発揮されるのは、こういうところではない。リベラルと反リベラルの保守という二極は、どのようにして生み出されるのか。この問題について、著者は遺伝学を持ち出し、保守の知的劣性をあっさりと指摘して見せるのである。つまり、頭の良い者がリベラルになり、そうでない者が保守になると。

どういうことか。頭が良い者は、思考に柔軟性があり、新しいものを好み、学習する。他方、頭が硬い者は、世界を敵対的なものと感じがちで、他者への共感を欠き、保守的な考え方になりがちだと。

人間社会は、元来後者(新奇嫌い)の方が多いが、生き残りのためには前者(新奇好き)も必要。ところが、現代の知識化社会では、前者(リベラル)のアドバンテージが大きく、それで妬まれもする。大雑把に言えば、こういうことだが、実験データの紹介があると説得力が違う。

私の正直な実感としても、この実験結果は正しいと思える。ただ、これは全体としての傾向であって、個人全員がそうだという話ではないので、そこが誤解されてはならない。つまり、個別に馬鹿は馬鹿だと評価しなければならないということだ。

だが、いずれにしろ保守主義者やネトウヨとしてはうれしくない話なのは明白だ。しかしまた、これに対しネトウヨなどが「差別をするな」とは言い難いところが皮肉。もっとも、頭が悪いので、きっと言うだろうが、何はともあれ、本書を読み、知識を得ることに積極的になって欲しい。遺伝的に苦手でないのであれば、だが。
 

追加投稿

 投稿者:Coelian Panther  投稿日:2018年 6月28日(木)16時07分45秒
  アレクイセイさん、こんにちは^^
『警部補・警備員射殺事件』、犯人の自宅から多数のナイフやモデルガンが押収された事で、ワイドショーのコメンテーターが「サバイバルゲームの影響か?」との発言を、していました。
その事により、Twitterでの流れが「警部補・警備員射殺事件発生」⇒確証もないのに「どうせやったのは在日」⇒「犯人は元自衛官と判明」⇒「マスコミの偏向報道止めろ!」に加え、「確証も無いのにサバゲーの影響とかの報道は止めろ!」が加わった訳ですが・・・
確かにこういった方向に持って行くマスコミの報道の仕方も、否定できない訳ではありませんが、少なくとも確証も無いのに「犯人は在日」と言ってたネトウヨ連中に、「確証も無いのにサバゲーのせいにするのは止めろ!」と主張できる資格は無いと思います。
 

警部補・警備員射殺事件について

 投稿者:Coelian Panther  投稿日:2018年 6月27日(水)23時39分26秒
  アレクセイさん、こんばんは^^
一昨日だかに起きた、『警部補・警備員射殺事件』ですが、ここ数日、Twitterで賑わしてましたね^^;
んで、案の定書き込みはアレが多いのですが、流れが「警部補・警備員射殺事件発生」⇒確証もないのに「どうせやったのは在日」⇒「犯人は元自衛官と判明」⇒「マスコミの偏向報道止めろ」www
もう「アホ」を通り越して(関西では『アホ』は褒め言葉の様ですので・・・)救い様の無い「バカ」ですなw
連中の大好きな『ブーメラン』が、自分に返って来た訳ですが・・・今ではTwitterでも、必死に『火消し』に回っている様です^^;
自分も元陸自ですが、正直自衛官の方々も、こんなバカ連中に支持されても、辟易としてると思いますよ^^;

大阪の方の地震、無事だったでしょうか?
ライフラインとかかなりストップしている様ですので、心配です・・・
 

学び続けることの喜びと人生の充実

 投稿者:園主メール  投稿日:2018年 6月10日(日)22時26分15秒
  みなさま、また4ヶ月ぶりのレスとなってしまいました。私の方は、相変わらずでございます。
mixiの方でこまめに書いており、再びというより、今回もまた、ネトウヨイジメを始めてしまいました。
一昨日でしたか、mixi内で「ネトウヨに嫌われている人物」についての、ネトウヨによる「反人気投票」が開催中であるというのを知りました。ネトウヨ用語で、そういう人物を「ホロン部」と言うそうでございますが、その「ホロン部投票」で、私はニューフェースとして、暫定第5位でデビュー。私のmixi復帰が一昨年で、ネトウヨ批判を活発に始めたのが、この一年だからでございます。衰退したmixiとは言え、ネトウヨが大嫌いな人は大勢います。その中で暫定第5位というのは、なかなか自慢できることなのではないでしょうか?(笑)



吾妻ケイさま


お久しぶりです
追伸

掲示板アップが遅れてしまい、本当に申し訳ありません。本日、ご投稿に気がつきました。
下のCoelian Pantherさまはmixiで知り合った方ですが、mixiをお辞めになるというので、ここ「花園」へのお書き込みをお願い致しました。その際に「ご投稿に気づかないことが多いので、お書き込みの際は、お手数ですがメールでご連絡ください」とお願いしており、昨日、そのメールが届きましたので、本日、管理画面を確認したところ、2ヶ月も前に吾妻さまからお書き込みをいただいていたことに初めて気づいた、という次第でございます。本当に失礼いたしました。

> 前回から六年ぶりの投稿となります
> アレクセイさんはお変わりないでしょうか。

ええ、私はよくも悪くも変わりなしでございます(笑)。

> 実はあれからちょくちょく覗かせて頂いていたのですが、こうして投稿するのは本当に久しぶりになります。

ありがとうございます。

微々たるものですが、カウンターも回っているようですから、何人かは覗いてくれているようでございますね。更新が出来ておりませんので、ありがたくも申し訳ない気分でいっぱいでございます。
ちなみに、mixiの方では「昔「アレクセイの花園」を十年くらい読ませていただいてました」という方とマイミクになりました。こちらはぜんぜん気づかない方が、やはり実在するのでございますね(笑)。

> …前回投稿時が大学生の時で、現在社会人六年目になりますから、月日が経つのは早いものですね。

でも、やっぱりまだお若い、羨ましいかぎりでございます。
若い時は若い時の苦労や苦しみもございましょうし、まして今の日本では、将来への不安も大きいことでございましょう。
しかし、いまお持ちの「時間」を大切になさって下さい。「時間」は、決して買えない価値でございますが、それに気づく人は少ないのでございます。

> 前回は、過去にアレクセイさんが書かれた、奈須きのこ著「空の境界」評を読んで、その感想を書かせて頂いたのでした。

ああ、あの頃ですね。
じつはあの論文、今は読めない状態になっております。ホームページを置いていたサーバの管理者が変わったため、データの移行をしなければならないのですが、面倒なので、それをしておらず、データは確保してあるのですが、今はリンクが切れてしまっているのでございます。

まあ、私自身、年齢のこともあって、過去のデータに関しては、昔ほど執着しなくなりました。昔は、すべての記録を残そうとするところがありましたが、今は、今この時を充実させることに集中しており、過去データの保存に時間を割く気にはなれないのでございます。五十代も半ばになると、残された時間をいかに有意義に、納得のいくものに出来るか、そればかり考えるようになりますね。

> 「個人的な好き嫌いと、作品としての良し悪しを判断する能力は別物」という認識をベースに、「良し悪しを判断する能力」を身につけるべく、六年間、できるだけたくさんの本を読み、日常生活においても様々な人の物の考え方、思考方法などに触れて来ましたが、勉強すれば勉強するほど、目指す目標の遠さと、自身の飲み込みの悪さを痛感しております(笑)

私もまったく同じでございます。
ただ、今は、目的は達成するものではなく、到達できないような高い目標の向かって歩むことこそが大切だ、と考えるようになりました。つまり、その道の半ばで前のめりにバッタリと死ぬのがベストなのだと考えるようになったのでございます。

> しかし、たとえ自分の思うように進まなくとも、この勉強は一生続けていきたいと思っています。
> 必ずや、それが自身にとって糧になるという確信があるからです。

おっしゃるとおりだと存じます。
勉強とは、何かのためにするものではなく、勉強し続ける自分に誇りが持て、人生を充実させることが出来るからするのではないかと考えます。つまり、最後は身につかなくても、ぜんぶ忘れてしまっても、それでも勉強している自分には、満足できると思うのでございます。

逆に、勉強しない方は、漠然たる劣等感に由来する承認欲求に縛られがちでございます。
自信がないからこそ、ことさらに自身を誇示して、他者の承認を求めずにはいられないのでございますが、そうした「私を見て!」という心理状態は「孤独地獄」の一種ではないかと存じます。
つまり、自分の評価は自分で出来る人が、心の安寧を得ることが出来るのだと、私は考えます。
またそれ故、ネトウヨには「鼻持ちならない」と憎まれもするのでございますが(笑)。

> この掲示板は、自分にとっては、上記のような初心を思い出させてくれる場所です。ですから、アレクセイさんの気持ちが続く限り、できるだけ長く運営を続けていって欲しいと思っています。

過分なるお言葉に恐縮いたします。
歳をとると涙もろくなっていけません。
「遠くに知己を得る」というのは、本当に幸せなことだと存じます。

> そういえば、竹本健治の著作の再文庫化が進んでおりますね。
>
> ウロボロスの偽書、永らく絶版でしたが、ようやく読むことができます。
> 非常に楽しみです。

現在「ウロボロス三部作」の、『ウロボロスの偽書』『ウロボロスの基礎論』まで文庫刊行がなされ、来月当たりには『ウロボロスの純正音律』が刊行の予定でございます。
ぜひ、忌憚のないご感想をお聞かせくださいまし。
なお、私が登場するのは『ウロボロスの基礎論』でございますから、そこまでは是非(笑)。

> アレクセイさんも、最近読まれた中でおすすめの本などありましたら、よければまた教えてください。

小説ということでしたら、最近はあまり読めておりません。
買ってはおりますが、小説を読むのは6冊に1冊くらいで、それがミステリであったりSFであったりその他であったりですので、なかなかお奨めするほどの作品は当たりませんね。
専門書や教養書は、それなりに勉強になる部分が必ずあるのですが、小説は面白くなければゼロですから、読書の効率としては悪い。歳をとって残された時間を考えると、読みたくても、なかなか小説は読めなくなります。

小説以外ということであれば、やはり面白いのはキリスト教関係の専門書でございますね。
私は、クリスチャンではなく、信仰者ですらありません。
キリスト教書を読むのは「こんなに頭のいい人たちが、どうしてこんな荒唐無稽なフィクションを信じられるのか?」という、人間心理の謎を考えるのに、キリスト教は適当な素材だからでございます。
これは信仰一般に限らず、思想やイデオロギー、そして日常一般の人々の「夢」や「希望」や「理想」にも通じてくる、普遍的なテーマだと思っておりますし、だから面白いのでございます。

> また時々投稿させて頂きます。
> その時は、どうぞよろしくお願い致します。

是非ともよろしくお願い致します。
でも、その際、できれば「園主」の部分に貼られたメールリンクか、掲示板の一番下にある「管理人にメール」でご連絡いただければ、ご投稿を早期にアップできると存じます。

あと、mixiはなさっていないかと存じますが、もしよろしければROMで結構ですので、mixiの方も覗いて下さいまし。
「アレクセイ」のハンドルネームでやっております。アイコンは『けものフレンズ』のサーバルですので、検索すればすぐに見つかるかと存じます。

では、またのお出でを心からお待ちしております。


Coelian Pantherさま


こんにちは^^

お書き込み、ありがとうございます。

> 今回は、『憲法改正』について考えてみましたが・・・
> 出た答えは結局「考えれば考えるほど、判らない・・・」でした><
> 戦争は絶対に、やってはいけない事です。
> これだけは明らかです。
> しかし、だからと言って、やられてからしか手を出せない状況でいいのかと言うと、これも違う様な気がする・・・
> やられた時点で既にこちらは壊滅状態、全てが後手後手の『負の連鎖』という事も、充分にあり得ます・・・
> それでは自民党の言う様に、「敵ミサイル基地だけを先制攻撃して破壊」できればいいのか?
> 残念ながら、そんな単純な線引きで幕切れできないのが戦争の現実です。
> 敵ミサイル基地を攻撃すれば、今度はその修復を防ぐ為に補給基地を、そうしてどんどん内陸に侵攻して行き、結局は泥沼にハマる、これが戦争だと思います。
> 『憲法改正』・・・この問題は、単純に賛成、反対で割り切っていい物では、無いと思います。
> もうすぐ目の前に『憲法改正』がぶら下がってるもんだから、政府自民党はモリカケをはじめ、様々な不祥事が噴出してきても、必死に抵抗して居座ってますが・・・


確かに難しい問題だと存じます。
と言うのも、おっしゃるとおり「憲法改正」については、固定的な「正解」があるわけではなく、極めて「状況依存的」だからではないでしょうか。

つまり、原則としては、憲法を改正せずに済むのならしない方が良いでしょうが、状況の変化がそれを許さない場合も想定されるので、今はよくても先ではそれで済まないかも知らない。しかしまた、また先回りしての改正は「寝た子を起こす」とか「墓穴を掘る」ことにもなりかねないからでございます。

したがって、憲法改正は「状況を見ながら無難な線で」というのが、一応の私の考えでございますが、これは「正解」ではなく「考え方」なのでございます。

ちなみに、一つだけ言えることは、今の安倍政権下での憲法改正は、いずれにしろ危険極まりないので、やらせない方がいい、というリアリズムでございます。
仮に、まったく同じ改正案だとしても、その提案者が信頼できる人か否かは、重要な判断基準なのでございます。言い変えれば、「本物の善人」も「ペテン師」も、似たようなことを言う、という現実なのでございます。

あと、この問題を考える上で重要なのは、「南スーダンPKO」の現実であり、「日米地位協定及び日米指揮権協定」の現実でございましょう。自衛隊の軍隊化は、まず自衛隊員のために極めて危険でございます。
誰であれ、このくらいの現実知識も無しに、憲法改正を唱えるのは無謀だと存じます。

では、またご感想をお聞かせくださいまし。
またのお出でを、心よりお待ちしております。




それではみなさま、本日はこれにて失礼いたします。

https://8010.teacup.com/aleksey/bbs

 

こんにちは^^

 投稿者:coelian Panther  投稿日:2018年 6月 9日(土)12時19分48秒
  アレクセイさん、こんにちは^^
お久しぶりです^^
今回は、『憲法改正』について考えてみましたが・・・
出た答えは結局「考えれば考えるほど、判らない・・・」でした><
戦争は絶対に、やってはいけない事です。
これだけは明らかです。
しかし、だからと言って、やられてからしか手を出せない状況でいいのかと言うと、これも違う様な気がする・・・
やられた時点で既にこちらは壊滅状態、全てが後手後手の『負の連鎖』という事も、充分にあり得ます・・・
それでは自民党の言う様に、「敵ミサイル基地だけを先制攻撃して破壊」できればいいのか?
残念ながら、そんな単純な線引きで幕切れできないのが戦争の現実です。
敵ミサイル基地を攻撃すれば、今度はその修復を防ぐ為に補給基地を、そうしてどんどん内陸に侵攻して行き、結局は泥沼にハマる、これが戦争だと思います。
『憲法改正』・・・この問題は、単純に賛成、反対で割り切っていい物では、無いと思います。
もうすぐ目の前に『憲法改正』がぶら下がってるもんだから、政府自民党はモリカケをはじめ、様々な不祥事が噴出してきても、必死に抵抗して居座ってますが・・・
 

追伸

 投稿者:吾妻ケイ  投稿日:2018年 4月12日(木)00時43分35秒
  そういえば、竹本健治の著作の再文庫化が進んでおりますね。

ウロボロスの偽書、永らく絶版でしたが、ようやく読むことができます。
非常に楽しみです。

アレクセイさんも、最近読まれた中でおすすめの本などありましたら、よければまた教えてください。

それでは
 

お久しぶりです

 投稿者:吾妻ケイ  投稿日:2018年 4月12日(木)00時40分44秒
  前回から六年ぶりの投稿となります
アレクセイさんはお変わりないでしょうか。

実はあれからちょくちょく覗かせて頂いていたのですが、こうして投稿するのは本当に久しぶりになります。
…前回投稿時が大学生の時で、現在社会人六年目になりますから、月日が経つのは早いものですね。

前回は、過去にアレクセイさんが書かれた、奈須きのこ著「空の境界」評を読んで、その感想を書かせて頂いたのでした。

「個人的な好き嫌いと、作品としての良し悪しを判断する能力は別物」という認識をベースに、「良し悪しを判断する能力」を身につけるべく、六年間、できるだけたくさんの本を読み、日常生活においても様々な人の物の考え方、思考方法などに触れて来ましたが、勉強すれば勉強するほど、目指す目標の遠さと、自身の飲み込みの悪さを痛感しております(笑)

しかし、たとえ自分の思うように進まなくとも、この勉強は一生続けていきたいと思っています。
必ずや、それが自身にとって糧になるという確信があるからです。

この掲示板は、自分にとっては、上記のような初心を思い出させてくれる場所です。ですから、アレクセイさんの気持ちが続く限り、できるだけ長く運営を続けていって欲しいと思っています。

また時々投稿させて頂きます。
その時は、どうぞよろしくお願い致します。

それでは
 

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